第七話 画竜点睛

第七話 画竜点睛〈1〉

 


 第七話



 暮夜。上海駅の歩廊プラットホーム

 車輪を軋らせ、轟音と共に一台の機関車が重たくゆっくりと滑り込んでくる。黒光りする鋼鉄の車両に一切の活気はなく、その姿はどこか棺桶めいていた。

 怪物が息を吐くように大きく蒸気を吹き出し、列車が停まる。

 到着を待っていたのは車掌姿の男が一人だけ。旅客はおろか、他の駅員さえもいない。それもそのはず、そもそもいるはずのない時間だからだ。

 駅舎は列車が完全に止まると共に静寂に包まれた。

 ……そこに、鈴の音が響き渡る。

 帝鐘を構えた車掌は、再びそれを打ち鳴らした。今度は鈴の音が歩廊の奥まで響いていく。

 それを合図に、開け放たれた車両から、次々と僵尸が降りてくる。揃いの黒い死装束、額に随身保命の呪符を貼られた姿の彼らは、すぐに隊列を組んで車掌へと向き直った。

「よし。全部いるな」

 一糸乱れぬ規則正しい動きで、僵尸たちは一歩、また一歩と前進し始めた。

 車掌姿の男は彼らをどこぞへと導かんと、帝鐘を鳴らし続ける。

「……車掌さん、いけませんねェ。危険物は車内持ち込み禁止の筈でしょうが?」

 そこに、彼の行く手を遮る形で立ちはだかったのは――グウェンである。

「なんだ、お前は!? 今夜は立ち入り禁止にしてある筈だぞ!」

「関係ねェよ、ンなこと。何者かが時刻表にない列車で僵尸を輸送しているって噂を耳にしたんでね。ちょいと運び先を確かめに来たのさ」

「なっ、だ、誰が教えるものか! かかれっ、こいつを殺せ!」

 男は慌てて帝鐘を打ち鳴らし、グウェンへと僵尸をけしかける。

 一挙に押し寄せる僵尸の首を刀で薙ぎ、四肢を切り捨て、グウェンが叫ぶ。

「雪蓮!」

 転瞬。後方から僵尸どもの悲鳴が上がる。

 真紅の大爪で隊列ごと薙ぎ払い、媚肉の怪異と化した女が疾駆。次々と僵尸を屠ってゆく。

ゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥッ!」

 咆哮と共に後列の僵尸が弾け飛ぶ。首が、腕が、脚が、歩廊や線路にぶちまけられていく。

 男の道術の腕と雪蓮の霊力は比ぶべくもない。僵尸どもはあっという間に薙ぎ倒されて、その数を残り数体に減らしていた。血相を変えて逃げ出しかけた男を蹴倒し、グウェンはニヤリと微笑んだ。その眼だけが笑っていない。

「言えよ。こいつら、どこに運ぶ気だった?」

「ひっ、ぎ……い、言うものか!」

「言わねえとオマエも僵尸だぜ?」

 牙を打ち鳴らす僵尸の首を男に突きつけ、グウェンは悪鬼の笑みを浮かべて見せる。

「ひぃぃぃっ!? わかった、言うからっ、僵尸だけはやめてくれぇっ! フランス租界の地下施設だっ! や、やつら、廟を潰して立てた教会の地下に格納庫を拵えてやがるんだよ!」

「奴らって?」

「お、おれも知らないんだっ! 本当にっ……おれは運びをやらされていただけでごぶっ!?」

「あっそ。じゃあ、おやすみ」

 グウェンは男がこれ以上情報を持っていないとみるや昏倒させ、その場に転がした。

 一方で僵尸の首には呪符を貼り、一瞬にして燃やしてしまう。他の屍も同様に、外套から飛び出した幾枚もの呪符が舞って貼りつき、僵尸となった者たちを浄化していく。

「……グウェン様。こちらは片付きましたわ」

 僵尸部隊を一掃した雪蓮がグウェンのもとへ歩み寄る。返り血を浴びてはいるが、彼女自身は傷一つ負っていなかった。

「こっちも吐いたぜ。どうやらフランス租界の地下にでかい施設があるらしい。僵尸どもはそこへ運ばれて格納されているのだと。どうりで見つからないわけだねェ」

「そうでしたのね……では、そちらへ向かいましょうか」

「ああ。雪蓮、ユーリン、行くぜ」

 そう口に出してから、グウェンは頬を歪め、「くそ」と小さく毒づいた。自らの言動によって少女の不在を再認識してしまい、苦い気持ちが湧き上がる。

「グウェン様」

「……なんでもありませんよ。ほら、雪蓮、行きましょう」

「なんでもないだなんて、嘘ですわ」

 表情は曇らせたまま、けれど、雪蓮は毅然として言った。

「グウェン様はユーリンのことが誰より心配なのでしょう。それを無理して隠す必要などありませんわ。ただ……おひとりで抱え込まないで欲しいのです」

「僕は別に、無理してなど」

 次の刹那。再び怪異の姿に変化した雪蓮の大爪が、グウェンの喉元に突きつけられていた。

「嘘、ですわよ」

 雪蓮は真紅の大爪で優しくグウェンの頬を包み込む。

「普段のグウェン様であれば、先ほどの僵尸も偽の車掌も数手早く倒している筈ですわ。そして、私などに隙を突かれたりもしない。あなたは、少し無理をなさっている。違いますか……?」

 揺らめく真紅の瞳が真剣にグウェンの双眸を見つめ、問うている。グウェンとて、もう嘘はつけなかった。

「……違わない、ですね。悪いことをしました、雪蓮」

「いいえ」

 突きつけていた爪を離し、雪蓮は再び可憐な女の姿へ戻る。

 ユーリンが消えてから、七日七晩が過ぎようとしていた。

 パブリックガーデンの事件があった翌日。ユーリンの姿がないことに気付いた二人は、辺りをくまなく捜索した。しかし、出てきたのはユーリンの部屋に施してあった結界が破られた形跡と、僅かながらに残ったジーンの痕跡。このことから、グウェンはユーリンがジーンによって連れ去られたと踏んでいた。

 それから七晩。夜の魔都を彷徨い、その姿を求めても、ユーリンを見つけることは叶わなかった。

「ユーリンは……ユーリンならきっと大丈夫ですわ。それをグウェン様が信じてあげなくてどうするのです」

「そうですね。奴も何か目的があってユーリンを連れていった筈だ。ならばすぐには殺さない……利用価値があるからこそ、今頃になって欲しくなったんだ。それなら、ユーリンはまだ生かされている筈だろう」

 自分自身に言い聞かせるような言葉であったが、雪蓮はそれに頷き、グウェンの頬に手を触れた。今度は人の姿のままで。その指先はほんのりと温かかった。

「そういうことです。だから、グウェン様もしっかりなさって。私も、それにラウ様も傍におりますわ」

「……ありがとう、雪蓮」

「よいのです」

 頬に触れていた指先に手を添え、やさしく元に戻してやると、グウェンは遠慮がちに微笑んだ。その表情は幾分かいつもの通りに戻っていた。雪蓮も淡く微笑む。

「これから向かう教会の地下施設……そこにジーンもいる筈です。覚悟はいいですね?」

「はい。まいりましょう」

 二人は上海租界の地下施設を目指して駆けだした。

 グウェンの後方を走りながら、雪蓮は己の手のひらをぎゅっと握りしめた。

 自分でも信じていないわけではない。もちろん、先ほどグウェンに言った言葉だって本心だ。

 けれど、ユーリン。

 どうか無事でいて。どうか――。

 内心の焦燥と不安を押し隠し、雪蓮は前を向いた。

 今は自分にできることをする。それが友の助けになると信じて。


 §


 上海城内、フランス租界。

 目的地に辿りついたグウェンと雪蓮は、真新しい教会の扉を抉じ開けた。

 もともとこの地にあった廟を潰して建てられたという教会は、昼間こそ抗議に押し寄せる中国人とそれに抗する外国人でごったがえしているが、真夜中の今は閑散としていた。

 門をくぐる際、枯れ木に留まっていた数羽の鴉が啼き交わし、まるで招かれざる客の来訪を主人に告げているかのようだった。

 果たして教会内部はしんと静まり返り、祈りを捧げる信徒の姿もない。

「なにか……嫌な感じがしますわね。この建物も、どこか造りものめいて……人々の信仰とはあまり縁がないように感じます」

 礼拝堂の中を探りながら、雪蓮が呟く。

「さきほどの男の言い分が正しければ、教会という姿はあくまで表向きのフェイクにすぎませんからね。おそらく、どこかに地下に通じる階段がある筈ですが」

 仕掛けがあると踏んだのか、パイプオルガンの周辺を重点的に調べながらグウェンが答える。

「あら? ……グウェン様、鍵盤が妙ですわ」

 様子を見ていた雪蓮がオルガンの傍に寄り、一か所だけわずかに窪んだ鍵盤を指で押さえた。すると、パイプオルガンがひとりでにいくつかのコードを奏でる。

「なんですの、これ……?」

 荘厳な音色が響き終わると、ごごん、と音をたてて突き当たりの壁が奥へと開く。

「隠し通路か! 雪蓮、やりましたね」

「ええ。この先に……僵尸の格納庫があるんですわね?」

「情報が確かなら、ですがね。さあ、行きましょう」

 地下へと続く階段を降り、暗い廊下を通り抜ける。すると、洋風建築特有の壮麗な扉が二人を待ち受けていた。会堂の造りからして中は大広間の筈である。

 扉に手を当て、グウェンは雪蓮に頷きかけた。雪蓮も決意したようにそれに応える。

 グウェンの手で扉が押し開けられていく。その先には――



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