第一話 鬼食う鬼〈2〉




 翌日の夕刻。

 辺りが暗くなるのを待って、黒装束で装備を固めたユーリンはヤオ家の敷地に忍び込んだ。

 街中でも一等地に位置するヤオ家の邸宅は豪奢で広く、複雑に入り組んでいた。

 ユーリンは素早く暗闇の中を移動していき、棺の安置された部屋を探して回る。ところが、一向にヤオ・ジルイの棺の部屋は見つからない。

 ……この土地も随分と買い上げたものだ。これだってきっと汚い手管でもって他人から奪いとったも同然の財産だろうが――。

 走りながらひとりごちる。まったく、これだから成金ってやつは。

 生前の強欲。富への凄まじいまでの執着は魂魄を現世に強く引き付ける。魄が地中に還らず、肉体に留まり続ければ死人は僵尸となり果て、生者を襲う。

 ……たしかに、これだけの業突張りなら僵尸になってもおかしくは無いな。

 ユーリンはため息をつき、視線をまた別のところへ向ける、と。母屋とは別に離れ家が存在していることに気がついた。

「あー……あっちか」

 一度足を止めて周囲の様子を伺い、通りを掛け抜け、そっと戸を開けて離れへと侵入する。中は真っ暗だ。室内には豪華な家財道具が所狭しと並べられ、一種のコレクションといった趣を呈していた。成金趣味は好きではないが、さすがのユーリンでもその貴重さがわかる品ばかりだった。しかし、肝心の棺が見当たらない。

 こちらもハズレかと落胆しかけて、手近な樽に寄り掛かる。と、蓋がずれて危うく転びそうになった。体勢を立て直しながら、注意深く中身を覗くと――それは樽一杯にたっぷりと満たされた油であった。そして横には同じ樽が複数並んでいる。

「ここ、離れ家なんかじゃない……これは冥宅だ」

 冥宅。それ自体は紙や竹ひごで精巧につくられた邸宅や家財道具の模型のことである。この地では紙銭という紙でこさえた架空紙幣を葬式で燃やすことで、紙銭があの世に届き、先祖の死後の財産になると考えられていた。冥宅、あるいは冥間用具もまた同様。あの世で祖先が満ち足りた暮らしができるようにと残された家族がそれを燃やし、送り届ける――……。

 周囲の状況から、ユーリンは悟ったのだ。ヤオ・ジルイは自らが成した財産を一切合財あの世にまで持っていくつもりなのだと。これはまさに強欲の権化。転化も時間の問題だろう。

「……早く棺を探さないと」

 すぐに踵を返し、出口を探す。それらしき手近な戸を開けば、

「うわっ、ぷ!?」

 何故か天井までどっさりと積み上げられた土が、ユーリンに覆い被さる形で降ってきた。黴臭くて、湿った土だ。半分埋もれかかったユーリンは泳ぐようにして顔を出す。

「……死臭……これ、墓場の土?」

 その時だった。身を起こそうとしたユーリンの足首と肩をそれぞれ強く掴むものがあった。

「っ……!?」

 振り返れば土から突き出た無数の腕がユーリンの体を引きこもうと蠢いている。

 その腕や足のどれもが朽ちて痩せ細った死体の一部であった。すなわち――

「僵尸!」

 だが、なぜ? しかし、今は考えている余裕などない。

「――急急如律令!」

 腰に巻いたホルスターから呪符を取り出し、土を被った僵尸どもに向けて放つ。グウェンが書きつけた符咒の力は絶大で、土の塊と共に蠢いていた死体はぴたりと動きを止める。

 ユーリンは肩で息をしながら、なんとか土と死体の山から抜け出した。

 ヤオ家の邸宅に大量の土塊と僵尸。これは一体どういうことか? と――、

「うひゃっ! くすぐったい!」

 背中でもぞもぞと動くものがあり、手を伸ばして引っ張り出す。仕留め損ねた腕だけの僵尸だ。

 慌てて地面に打ち捨てれば、腕から先だけの死体は地面に爪を立てて動き始めた。

 彼らは体がバラバラになっても、魄や怨念を抜かれぬ限り動き続ける。腕から先のみの僵尸は、地面を這うようにして転がり、長い爪で戸口の土を掻き始めた。

「こいつ……!」

 踏みつけて止めを刺そうとしたユーリンだったが、腕の示すものを見とめて慄いた。

 朽ちた骨が掘り返したのは、土の下に埋め固められていた墓碑だった。死者の腕は自らの無念と憤りの根源を示したのだ。

「この家、他人の墓を潰して建てられたってことか……!」

 死後、僵尸となって甦る死体には大きく分けて三つの共通項がある。

 一つ。なんらかの事由によって風水的に正しく埋葬されなかった者が、三魂七魄のうち魂を失い、魄のみ持つ僵尸になる。

 二つ。なんらかの事由によって、恨みや憎しみを抱いてこの世を去った者が、死後も魄・怨念をもつことにより僵尸になる。

 三つ。符呪師や道士の符呪や儀式により、故意に埋葬されていない死体に魄を入れることにより僵尸となる。

 ヤオ・ジルイも、眼前で起き上がろうとしている死者たちもこの項目に漏れなく当て嵌まる。

「なんてこと……この下が全部墓地だなんて。ヤオ・ジルイ……! 糞爺が、どこまで強欲を貫く気だッ」

 いきり立つユーリンの背後で無数の影がゆらゆらと立ち上がる。

『……ヤオ……許ス、まジ』

『ヤオ……ジルイ……許スまジ……』

『……ヤオ……我ラが墓所を潰シた恨み、忘レヌゾ……!』

 墓所から甦った無数の僵尸たちが一気に起き上がり、跳ね飛んで本宅の方へ殺到し始める。

「いかせない!」

 感情を殺せ、冷静になれ、ユーリン。師の声が頭の芯に響く。

 ユーリンは墨壺を手繰り、鶏血を染み込ませた黒縄で僵尸たちを締め付けた。糸がぐいぐいと引っ張られ、ユーリンは渾身の力でその場に踏み止まる。自分の力では足止めが精一杯だ。

 ……墓所を潰された彼らの恨みは分かる。しかし、ユーリンは霊幻道士の弟子だ。霊幻道士の仕事は退魔――とりわけ僵尸を討伐し、死者に安寧を、そして生者に救いをもたらすことだ。謂わば、現世と幽世のバランスを保つ導き手。ならば、今は生者を救うことだけを考えるべきだ。

 この分だと本宅もどれくらいもつか分からない。

 せめて先生に知らせる事ができれば……!

 ユーリンは焦りを募らせ歯噛みした。


 §


「なんだか離れの方が騒がしいですな」

「なに、酔った若衆が騒いでいるだけですよ」

 ヤオ家、本宅。

 棺が安置された部屋では葬儀まで寝ずの番をするヤオを労うため、親族が入れ替わり立ち替わり訪れていた。ヤオは兄弟と酒を酌み交わし、麻雀卓を囲みながら嘆いた。

「それにしても、親父のやつァ、息子(おれ)たちに遺産も残さず、ぜんぶ葬式代につぎこむなんて。あの世でも財産独り占めにする気なんだろうが……見上げた強欲だよ」

「まったくだ。業突張りも大概にしてほしいね。死んでくれたのがせめてもの救いさね」

「おい、聞かれるぞ」

「親父にか?」

「死んでも耳だけは聞こえるというじゃないか」

「ならちょうどいい。親父よ、ちゃんと遺言どおりやっているから心配しなさんな」

 一人がわざとらしく呼び掛け、全員が笑う。

 ずどんっ。

「なんだ? 地震か?」

 ず、ずん、どすんっ。

 間を開けずしてもう一度。今度は一同が沈黙するほどの勢いで棺が振動――否、中から揺り動かされていた。誰もが息を呑み、その場を動けないでいる。動けたとして、彼らにどのような手が打てただろうか。

 ずどん、ずどん、ずどん。ずずっ、どっ、どがん。どがっ、ぐごんっ――!

 棺の内部から突き上げるような衝撃が床を伝い奔る。棺の蓋が内側から弾け飛び、もうもうと埃の立ち込める中で蓬髪痩躯の死体が起き上がる。

「お、親父……」

「ひぃ、ひ、ぎぃぃぃいっ!?」

「ジルイさん!? な、なんでっ、あっ、あぃぎゃあぁぁあああぁっ!?」

 起き上がったヤオ・ジルイの僵尸は手近な人間の首を噛み千切り、吹き出す血を浴びると、おぞましい咆哮をあげた。一拍の間を置き、その場にいた者たちが逃げ惑う。僵尸は低く唸り声をあげながら、匂いを嗅ぎあてたとばかりに自らの長子であるヤオを追いかけ始めた。

「くそっ、僵尸だ! 親父が僵尸になっちまった!」

 生前の財以外にジルイが最も執着するもの――それは家督をつぐ長子のヤオだ。僵尸は爪を突き立て、その血肉を喰らうべくヤオを壁際に追い詰める。

「くるなっ、くるなぁぁっ!」

 必死に抵抗するヤオの首を冷たく硬直した腕が掴まえる。僵尸の長い毒爪がヤオを斬り刻もうとした、その瞬間だった。

「――鬼魔駆逐、急急如律令!」

 黄色い呪符が舞い飛び、視界を塞ぐ。と同時に何者かがヤオをぐいと引っ張って下がらせた。

「ったく、クソ弟子がよォ。やたら遅えと思ったら、案の定面倒なことになってやがんのなァ!」

「あ、あなた、は……リー先生……?」

「ヤオさん。御無事ですか? お怪我はありませんね」

 略式の道袍に革の外套を羽織った姿。長身痩躯の男は倭刀を構えながら軽く微笑んだ。

 丸眼鏡をしておらず、表情とそれに雰囲気までもがヤオの知っている顔とは違っていたが、眼前の人物は紛れもなく義荘の道士リー・グウェンであった。

「あ……、ああ、ぶ、無事です! でも、親父が僵尸に……!」

「大丈夫、分かっていますよ。ヤオさんはなるべく高いところに……そうですね、梁の上にでも逃げて待っていてください。僕がよいというまでけして降りないで、いいですね?」

「はっ、はいっ!」

 何度も頷き、ヤオは慌てて逃げ出した。それを見届け、グウェンが向き直った瞬間、僵尸を抑えていた呪符が弾け飛ぶ。紙吹雪が舞い散る中、グウェンはジルイの僵尸に対峙していた。

「さすがの強欲っぷりに、このオレちゃんもちょっとドン引きしちゃうねェ?」

 言葉を解するのか、グウェンの挑発に僵尸は、ぐるる、と喉を鳴らして威嚇する。グウェンは口元に姦悪な笑みを浮かべてせせら笑った。しゅ、と倭刀をひと振りすると素早く身を翻す。

「さァて、オマエはこっちだ。うすのろ!」

『グおォおォォ……ォおォッ、ごおォおォッ!!』

 グウェンは回廊を真っ直ぐに疾駆した。目指すは離れの冥宅だ。背後からは悪鬼の形相の僵尸が迫りくる。

「ユーリン!」

 果たして、冥宅の中はぐちゃぐちゃに壊されていた。

 あちこちに土がぶちまけられ、甕や壺だけでなく、高価そうな家具の類までが散乱している。

 その真ん中に黒だかりができていた。痩せ細った餓鬼のような骨と皮のみの僵尸どもが小さく華奢な体躯に群がり、衣服を引き裂き、好き勝手に貪らんとしている。

 グウェンは暗がりでも夜目が利く。彼にはそれが何か、すぐに分かった。

 床に倒れ込んだユーリンを死人どもが弄んでいる。ユーリンは人形のようにされるがままで、ぴくりとも動かない。

 胸の悪くなる光景だが――




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