第38話 四日目 派手な馬車はトラブルの前兆か?

順調に街道を走っていた路線馬車が突然急停車した。


「うおっ! 危ないじゃないかっ!」


穏やかなオーリーの父親の口から、らしくない激しい声が漏れた。


「な、な、なんだ! ぐらっときたぞ! 何が起きたんだ?」


座席にしっかり座っていたつもりだったが、馬車の停車と同時に耀太の上半身は前に大きく揺さぶられた。


「きゃっ! えっ……どうしたの……?」


普段は冷静沈着で通るアリアすら小さな悲鳴をあげるほどの、小さくはない衝撃が車内を揺らした。


「あっ、わたしの大事なおにぎりちゃんが坂道を転がっていっちゃう!」


夢と現実が判別出来ない教師の寝言はとりあえず無言でスルーしておく。


「みんな、大丈夫だったかい? いやー、すまない。ここは道幅が狭いのに、こちらを無理やり追い越していく馬車がいたものだから、急停車せざるをえなくて……。まったく危険極まりない走り方をするもんだ!」


オーリーの父親は怒り心頭といった具合だ。お客を乗せている御者にしてみれば、事故を誘発しそうな無謀運転は到底許せないのだろう。


「そんな危険な走り方をする御者なんているんですか? そんなことしていたら路線馬車の御者を辞めさせられちゃうんじゃないですか?」


耀太の頭に当然の疑問が沸いた。


「あっ、それとも何か急用があって、それで急いでいたんじゃ……? 例えば、急病人を乗せていたとか? ぼくらの国にもそういう急病人を専用に運ぶ救急車という車がありますが……」


「いや、今危険な追い越しをしていった馬車は個人が所有しているものだよ」


「えっ、個人で馬車を所有している人たちがいるんですか?」


「ああ、馬車といっても四人がやっと乗れるぐらいの小さなモノだけどね」


「そうなんですか……」


個人が馬車を所有していると聞いて、耀太は少し意外な気がした。てっきりこの世界で馬車を持っているのは、王族か業者、もしくは大金持ちの貴族だけと思い込んでいたのだ。


「それって馬車を操るのが趣味の人たちが乗っているんですか?」


「いや、馬車の操縦が目当てというよりも、単に目立ちたいだけというか……」


そこでオーリーの父親は口ごもった。



もしかして言いにくいことなのかな……?



話を続ける代わりに、耀太は追い抜いていった馬車に視線を飛ばした。


「あの馬車って、かなり変わった見た目ですよね?」


「どうも最近、ここら辺であの手の馬車が流行っているらしくてね……」


オーリーの父親が操縦する馬車と比べて、その違いは一目瞭然だった。追い越していった馬車には派手な装飾が施されており、日本のお祭りでよく見かける山車のようにも見える。


「まあ、危険な走行さえしなければ、こちらとしてもわざわざ目くじらを立てることもないんだが……」


その言い方からすると、それなりに迷惑を被っているらしいことが察せられた。


「どこの世界にも悪目立ちをしたい輩がいるっていうことね」


いつのまにか耀太の脇に来ていた耀葉が訳知り顔で頷く。


「まあ、この世界も善人ばかりというわけじゃないっていうことだな」


オーリーたちには聞こえないように、耀太は小さな声でぼそっとつぶやいた。


「あんたの顔に、これってトラブルの前兆かもって出てるわよ!」


双子のシンクロニシティでこちらの胸の内を読んだ耀葉が茶化してくる。耀太とは反対に、耀葉は何か面白そうなことが起きるんじゃないかと期待しているのか、顔を輝かせている。


「さすがに四日連続でトラブルはゴメンだからな!」


「いいじゃない。旅にトラブルは付きものよ! いざとなったらスタンガンと痴漢撃退スプレーで解決すればいいんだし!」


「スタンガンと痴漢撃退スプレーは万能アイテムじゃないからな!」


一応、自分勝手な姉上に言い聞かせておく。


その後、馬車はトラブルに遭遇することなく、定刻通りに目的地のフーリマヤに到着した。フーリマヤの町には、先行していた派手な馬車の姿は見当たらなかった。どうやら目的地はこの先だったみたいだ。



とりあえずあの馬車に遭遇しなくて良かったよ。耀葉のことだから、あの馬車を見付けたら、ケンカを売りにいきそうな感じだったからな。



耀太は無事に到着した安心感と、問題の馬車がいないことにほっと安堵のため息を漏らした。


「わたしは君たちが次に乗る馬車のことを聞いてくるよ」


一番最初にオーリーの父親が御者台から地面に降りる。


「いえ、さすがにそこまで面倒を掛けては――」


「それじゃオーリー、皆さんとここで待っていてくれ」


耀太が引き止める声も聞かずに、そのままオーリーの父親は町中に向かってすたすたと歩いていく。


「わたしもさっそく撮影に行ってくれるから!」


続いて耀葉が馬車を飛び出していこうとする。


「おい、もう忘れたのか? この町ではすぐに乗り継ぎをする予定なんだぞ!」


「だから、せめて町の様子だけでもスマホに収めておかないとならないでしょうが!」


逆に姉に怒鳴り返されてしまった。


「町の風景を撮ってもしょうがないだろう? だいたい、ヨーハはグルメの写真を撮っていたんじゃないのか?」


「本当に残念極まりない弟ね! いい、わたしはこの異世界の街の光景を写真に収めて、ゆくゆくは『死ぬまでに行ってみたい異世界旅行記』っていう本を日本で出版するつもりなの! そのためにはグルメの写真だけじゃなく、街の光景の写真も資料として必要でしょうが!」



そんな旅行記、誰が買うんだよ! ていうか、肝心の異世界にはどうやって行くんだよ? まさか異世界に行くにはまず最初にバスに乗って、それから崖の上から転落してください、とか書くつもりなのか!



心の中でツッコミが止まらない。


「じゃあ、みんなはここで待っていてね!」


耀葉はひらりと馬車から飛び降りると、街中へ猛ダッシュしていく。


「ヨーハちゃんなら大丈夫だよ。しっかりしているから」


隣にいるアリアに慰められる耀太だった。


それから十分もしないうちに、次に乗る馬車のことを聞きに行っていたオーリーの父親が戻ってきた。その隣にはちゃっかり耀葉の姿もある。耀葉が馬車に乗り遅れる心配だけは回避できたみたいだ。


「この先の『バリーポイント』行きの馬車は定刻通りの9時30分に出発するみたいだ。この場所に馬車がやってくるらしいから、このまま待っていればいいよ。バリーポイントまでは一時間三十分弱掛かるみたいだ」


「ぼくらはこの町で休憩することなく、そのまま先へ急ぐことにします」


耀太は当初の予定通り、先へ急ぐことにした。


「それじゃ、みなさんとはここでお別れですね……」


オーリーの目はすでに涙目になっている。


「オーリーちゃん、本当にありがとうね! もしも日本に遊びに来ることがあったら、先生、東京を案内するから!」



クミッキー先生、東京を案内したい気持ちは分かりますが、まず先にぼくらが現代日本に帰る方法を探さないと!



「東京観光ならあたしに任せて! ディープな歌舞伎町のホストクラブに案内するから!」



フーミンさん、清純なオーリーさんに変なことを教えないでください!



「ホストクラブってなんですか? なんだかとっても魅力的な響きを感じるんですが?」



だから、オーリーさんもそこで興味を惹かれないの!



二人の大人が言っている話の内容をどこまで理解しているのか定かではないが、オーリーが耀太たちとの別れを惜しんでいるのだけは手に取るように分かった。たった二日とはいえ、かなり濃密な時間を過ごしたので、時間では計りきれない関係性が生まれたのかもしれない。実際のところ、耀太もこの旅が終わったら、またオーリーに再会したいという気持ちがあった。


「おっ、時間通りに来たみたいだね」


オーリーの父親が向けた視線の先からバリーポイント行きの路線馬車がやってきた。


「まだまだ名残惜しいけど、ぼくらはもう行くことにしますね」


耀太は最後にオーリーとしっかりと握手を交わして、車内に乗り込んだ。


「皆さーん、行ってらっしゃーい! 気をつけて旅を続けてくださいね!」


オーリーはこちらの馬車が街道に出るまで、ずっと手を振ってくれていた。


「うえーん、悲しいよ……」


「クミッキー先生、泣かないでください。旅に別れは付き物なんですから」


「うえーん、これであの美味しいおにぎりがもう食べられなくなるなんて悲し過ぎる……」


「それを悲しんでいるですか!」


思わず声に出してツッコでしまった。


耀太たち一行が乗る路線馬車は街道を少し進むと、そこからじょじょに内陸部へと進行方向を変えていった。


あたりの景色がまたのどかな田舎の風景へと移りすぎていく。


「あの、ひとつお聞きしたいんですが。実はここに来る途中の道ですごく派手な馬車を見たんですが――」


御者のおじさんに聞きたいことがあったので質問をしてみたのだが、耀太が最後まで言い終える前に御者のおじさんが口を開いた。


「ああ、あの連中のことか」


御者のおじさんは眉間に皺を寄せて、あからさまに不愉快そうな表情を浮かべる。その顔を見れば質問の答えを聞くまでもない。どうやら、あの馬車に乗っている人間は、この世界では相当嫌われているみたいだ。



この話題はこれ以上広げないほうが良さそうだな。



耀太はこちらの印象も悪く思われると思ったので、早々に話を切り上げることにした。


「ヨータ、さっきの馬車がかなり気になっているみたいだな。ああいう危険な『馬車ばしゃ』は池にでも落ちればいいんだよ! 『バシャ』ってな!」


「正直なところ、おれもケーマの意見に頷きたい心境だけどな」


耀太は慧真のダジャレを珍しく褒めた。ダジャレにでもすがって、胸の内に広がる嫌な予感を少しでも忘れたい気分だったのだ。

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