猫と過ごす店 ~猫好き店主の奮闘記~
ゆるり
猫好き店主と悩みの種
窓から柔らかな日差しが降り注ぐ店内。夜の間の就寝スペースから駆け出した猫たちが、それぞれの気に入りのスペースで毛繕いを始めていた。
そのいつもの光景を見て微笑んだメアリーは、頬を軽く叩いて気合いを入れる。
ここは『にゃんにゃん食堂』。可愛い猫たちとの穏やかな時間と美味しい食事を楽しめる店だ。メアリーがこつこつと貯金して、やっとのことで開店させた、長年の夢がつまった店である。
メアリーはこの店を大切に思っているし、毎日のように来てくれる常連客との会話は日々の幸せの一部だ。だが、この店にはある問題があった。
「どうしたら新規のお客様が来てくれるのかしらね……」
この店を訪れるのは、ほとんど昔馴染みの人たちだ。それは心からありがたいと思っているのだが、経営は常にヒヤヒヤもの。猫たちの生活のためにも、新規客の獲得は常に頭を悩ませる課題だった。
思わずため息をついてしまうと、三毛猫ハリーが足元にすり寄ってきた。その煌めく眼差しにハートを撃ち抜かれ、メアリーは表情を緩めてハリーを抱き締めた。
「ハリー、心配してくれているのね。……大丈夫よ。あなたたちの食事のためなら、この身を売ることだって――」
「何を馬鹿なこと言っているんだ。そんなことを君がする必要はないよ」
「……あら、聞かれてしまったわ」
呆れた表情の男が店の奥から出てきた。メアリーの夫のマーリンだ。この店の料理人でもある。元々は城で料理長をしていたが、メアリーの夢を一緒に叶えたいと言って、名誉のある職を辞して店の料理人になってくれた。それがプロポーズの言葉だったとは、指輪を渡されるまで気づかなかった。驚きで裏返った悲鳴をあげてしまい、跪いて指輪を差し出すマーリンを大いに戸惑わせたのは、当時その場に居合わせた昔馴染みの間で恒例の笑い話になっている思い出だ。
「だって、今月厳しいのよ……」
「だからと言って、身体を売るなんて、冗談でも言ってほしくないな。それくらいなら、俺が表通りで屋台を開くよ。閉店後の夜から明け方までやれば、それなりの収入になるさ」
「そうなったらあなたはいつ休むの? そんな生活をしていたら体調を崩すわ……」
マーリンの提案に驚いたメアリーが言い募ると、軽く肩を竦めてため息をつかれた。
「俺が君を心配する気持ちも分かった?」
「……とても、分かったわ」
夫の言いたいことが身に染みるように分かって、自分が気軽にしてしまった発言を反省する。だが、店の経営状況の問題はすぐに解決法を見つけないといけないところまできている。
「ああ、どうしたらいいのかしら……」
腕を組んで難しい顔をしているマーリンの横で、メアリーが頬を押さえて嘆いていると、店の扉が開く音がした。
「おはようございます」
「あ、ごめんなさい、開店はまだ……。アル君?」
店に入ってきたのは最近店に来てくれるようになった冒険者の少年だった。従魔の森狐ブランが肩に乗っている。
彼は猫と過ごす時間とマーリンが作る料理を気に入り、週に一度は来てくれていた。最近はマーリンから料理を習うこともしており、驚くほどの腕前を披露してくれている。料理人として期待の星だ。今のところ冒険者を辞める予定がなさそうなことが、唯一の残念なところだ。
「ちょっと珍しい魔物を狩ったので、お裾分けをと思ったんですが」
「ありがとう! 食費が浮くわ!」
喜色満面でお礼を伝えると、勢いが凄すぎたのか、ひきつった顔で仰け反られた。マーリンがさりげなくメアリーの肩を掴み、元の位置に戻してくれたので、咳払いで醜態を誤魔化す。
「えぇっと、これが大水蟹で、小籠包の具材に良いのではないかと思ったのですが」
「大水蟹! 高級食材じゃない!」
「ほぅ、随分と新鮮なものだ。小籠包以外でも色々使えそうだ。ありがたくいただくよ」
食材の目利きも素晴らしいマーリンですら、手放しで褒める質のものだったらしい。これを転売した場合の利益が頭をよぎったのは、絶対口にできない事実だ。マーリンから注がれる視線には気づかなかったことにしたい。
「……それと、これは猫たちにと思って持ってきたんですが」
「まあ! 猫たちにもあるの?」
大水蟹だけでなく、猫たちにもお裾分けを持ってきてくれたらしい。アルが差し出したのは鳥の肉らしきものだった。それは市場でよく見るものだったが、量が尋常ではなかった。テーブルに山積みされた肉に暫く呆然としてしまう。
自分たちの食べ物だと理解した猫たちが、テーブルの周囲に集まって可愛くも悩ましい大合唱を始めたことで、漸く気を取り直した。慌ててアルにこれほどの量をもらっても良いのかと聞くと、苦笑が返された。
「ブランがたくさん獲りすぎてしまって……。どうぞ活用していただければ」
「ありがとう! 猫たちもとっても喜ぶわ! ……既にうるさいくらいだけど」
テーブルに跳び乗ろうとする猫たちを必死に妨害する。朝ごはんはもうあげているので、今追加のごはんをあげるのはダメだ。デブ猫が誕生してしまうし、そもそも健康に良くない。
「いや、でも、猫たちだけじゃ、消費しきれない量じゃないかな」
「どうぞご自由に店のメニューにも使ってください。追加が必要でしたら狩ってきますよ? ブランが」
アルが最後に付け足した言葉に、灰色猫のグレイにまとわりつかれて暴れていたブランが、ショックを受けたように固まった。その後、抗議するようにアルへとパンチを繰り出す。相変わらず、人の言葉を正確に理解しているとしか思えない不思議な魔物だ。
「それは嬉しいね。市場価格以上のものは支払えないけど……」
「気にしないでください。大した手間ではありませんから」
マーリンの遠慮がちな言葉にアルがあっさりと返して微笑む。アルは冒険者の中でも有名で、結構なお金を稼いでいるらしい。戦闘能力を一切持たないメアリーからすると羨ましさしかなかった。もしメアリーに冒険者としての才能があれば、店で使う食材の多くを自分で狩ってこられるのに。
「そういえば、暗い顔をしていた気がするんですが、何かあったんですか?」
「ああ……それは……」
マーリンが言いよどむ。弟子とも言える存在に、自分の店の窮状を教えたくなかったのかもしれない。アルは今日のようにお裾分けを持ってきてくれることが度々ある。とても良い子なのだ。今以上に気を遣わせてしまうことを申し訳なく思うのも仕方ない。
だが、メアリーは意を決し口を開いた。夫婦二人では問題の解決法が見つからなかったのだ。他の人の意見を求めるべき時がきたのだろう。
「聞いてくれるかしら」
「メアリー……」
「もちろんですよ。お二人には日頃からお世話になっていますし。僕のできることは限られますが」
穏やかに頷いてくれたアルを見て、メアリーは少しだけ安心する。不思議と、アルなら何とかしてくれるのではないかと思えた。
説明に長い時間はかからなかった。
店の中のソファ席に腰を落ち着けた三人は、沈黙の時間で思考を巡らせる。膝の上で寛ぐ猫が、今はメアリーの心を安らげてくれる唯一の存在だった。
静かに思考を終えたアルが、沈黙を破って口を開く。
「まずこの店の問題点は二つあります」
「二つ?」
「まずは立地の問題です」
「ここは、表通りから少し離れているものね……」
アルに痛い指摘をされた。自分の貯金では、表通りに店を構えるなんて夢のまた夢の話だった。裏通りで廃業した店を見つけて買い取り、メアリーとマーリンで整備した。外装も内装もこだわった自慢の店だが、立地についてはどうしようもない。
「ええ。でも、やりようはあると思います。表通りにもっと目立つ看板を立てて人の目を引き付ければ、ここまで一直線だし、迷う可能性もないでしょう」
「そうね。一応看板は既に置いているけれど」
「小さすぎますし、何の店なのかよく分かりませんよ」
「……返す言葉もないよ」
メアリーの小さな反抗はアルによってあっさりと潰えた。黙って落ち込んでいると、マーリンが苦笑してアルに続きを促す。
「二つ目の問題は、そもそも動物と過ごす食堂というものの認知度が低いことです。猫を好む人も美味しい食事を好む人も多くいるでしょう。ですが、食事を楽しむ場で猫を愛でるということに慣れている人はそういないと思います」
「……猫を愛でる場所で食事を楽しむのよ」
「どちらを主とするかは現時点で関係ありません。問題は変わりませんから」
メアリーの反抗は再びばっさりと切り捨てられた。落ち込んで抱き締めたハリーにまで迷惑そうな顔をされる。逃げ出すハリーを切ない気持ちで見送った。
「うん、それでアル君はどうしたら良いと思うんだい?」
「宣伝するしかないと思います。認知度を一気に上げる魔法なんてありませんからね」
「宣伝か……、看板屋に新たに依頼をするには、お金がなぁ……」
「看板屋? それも必要かもしれませんが、今必要なのはそれではありません」
「え?」
「マーリンさんの腕前を存分に生かすんですよ。もちろんメアリーさんにも頑張ってもらわないといけませんが」
にこりと自信ありげに笑ったアルに、メアリーとマーリンは顔を見合わせるしかなかった。
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