第一話 ヒーローとヴィラン①
「はあッはあッ……頼むッ間に合ってくれよ」
炎の様に赤いボサボサ髪の前髪を遮光ゴーグルで持ち上げた変わった髪型の青年が同じく夕陽で真っ赤に染まった街を走り抜ける。
街頭の人出が何時もの比ではない位に多い、どこもかしこもお祭りムードで屋台まで出ている始末だ。街全体がこれから出現する世紀の戦いを純粋に一つのイベントとして楽しみにしている事の動かぬ証拠である。
「寄ってらっしゃい見てらっしゃい、楽しい射的だよ~。この空気銃で悪の科学者プロフェッサーディックを撃ち落として豪華景品をゲットしよう。悪者を倒して君もスーパーヒーローの仲間入りだ!」
「其処のお嬢さん、楽しいゲームは如何かしら? モグラ叩きならぬプロフェッサー叩きだ。穴から出てくる悪者を叩いてヒーローを応援しよう。あら、お父さんイケメンだねえ。特別に一回サービスしちゃうよ」
「美味しいヴィランの串焼き、出来たてだよー! 悪者を美味しく食べて退治しちゃおう。おっと、奥さん怖がらなくても大丈夫。本当はイカに飾りを付けて焼いただけだから。身体に悪い物なんて一つも入っちゃいませんよ」
街はとても賑やか、右を見ても左を見ても笑顔が浮んでいる。だが其れなのにまるで言葉の通じぬ外国へと迷い込んだが如き孤独感であった。
何処もかしこも敵だらけである。
「何か最近の戦いは毎回ワンパターンに成っててつまんねえよな。どうせハルトマンが勝つって分かってんじゃん。やっぱりプロフェッサーディックって馬鹿なんだね、唯の人間がヒーローに敵わない何て今時幼稚園児でも……痛ってえ!?」
話している内容にムカついたので同年代位の男の脇腹を擦れ違いざまに抓ってやった。別に自分の悪口を言われた訳ではない、だがしかしあの人の悪口を言われて黙っている訳にはいかなかったのだ。
それでも心の暗雲は僅かすら晴れる兆しはないのだが。
「大丈夫さ、今日こそ勝って皆の鼻を明かしてくれる筈だ。アイツら今に吠え面かくぞ」
独り言は喧噪に紛れ、気持ちを切り替え前を向く。
少しでも先に進みたかった、少しでもあの人に近づきたかったのである。しかしそれは全ての群衆も同じな様で、進めば進む程人壁は厚くなりかき分けるのが困難になってくる。10分近く前に進もうと藻掻いたが、押しては押し返され結局3メートル程しか進めなかった。
「クソッ、このままじゃ間に合わない。やっぱり前日から場所取りしておかないと厳しいのか」
余の暑さと濃厚な人間の匂いに顔を顰めながら青年は自分のポケットから携帯を取り出す。時刻は午後7時55分、犯行予告に書かれた時刻まで残り5分しかない。しかし目的地はまだ見えない程遙か遠くにある。
「駄目だ諦めるなッ、オレには今日しかないんだ。何が何でもあの人に会って直接話をしなくちゃ……」
青年は必死な形相で多少強引にでも前に進もうとするが、もう既に前方は人口密度100%を越えるすし詰め状態。このまま進む事は物理的に不可能に思われた。
そこで地面スレスレを四つん這いで進むという閃きを得る。足下であれば未だスペースがあり進み易い筈だ。同時にこの大群衆に足蹴にされて複雑骨折というリスクも孕むのだが背に腹は変えられない。
「スゥゥゥゥ………………ッ!?」
人の海へと潜るため目一杯酸素を取り込もうと天を仰いだその時、頭上を巨大な影が過った。
鳥にしては余に巨大。隕石にしては余にシステマチック。そんな物体が今日のこの瞬間此処に現われたとするとその正体はもう一つしかあり得ない。
正義の宿敵、我々地に伏す物達のヒーローの登場である。
「ヒャッハァーーッ!! 紳士淑女の諸君よくぞ来てくれた。知っているぞ、我が輩の勝利を祝う為に態々出向いてくれたのだろう? ご苦労であった!! 褒美として我が輩のご尊顔を見せに一足早く参上してやったのだ、感謝しろッ」
過った影の正体、サーフボードとコンポを組み合わせた様な飛行物体の上から声がした。その声に対し街の人間達は各々出来る限りのブーイングで応じる。
半径百数十メートルに存在する殆ど全ての人間が心を一つにして悪意を一点にぶつける異様な空間。しかしそんな空間で唯一人、赤髪の青年だけは携帯のカメラを掲げて歓声を上げた。
「マジかよッ、まさか開戦前に顔を見せに来てくれるとか……ファンサービスが過ぎるだろ!! おーい、こっち向いてくれェ!! ッうお!?」
直ぐ10メートルほどの距離に現われた憧れの人に自らの声を届けようと青年は力の限り叫ぶが、その声は周囲を満たす罵詈雑言に呑まれて消えてしまう。すると背後から不意の衝撃を受け、蹌踉めいた拍子に手に持っていた携帯を落してしまった。
「安心したわ。今日もきっかり社会の嫌われ者、絶好調やで」
青年が携帯を探している間に空中の人影は自らへ向けて力の限りに怨嗟の声を上げる群衆をゆっくりと回転しながら眺め、そして満足気に頷いたと同時に急加速。更にブーイングの声を掻き消す程の大音量を空飛ぶサーフボードに備え付けられたスピーカーから解き放った。
それは聞いていれば絶対にママに怒られてしまうパンクでテクノでサイケデリックなミュージック。そんなアンチスタンダードな音楽をBGMに人海の上空を駆け、警察の規制線を容易に飛び越し犯行予告で指定した巨大な白い像の元へと躍り出る。
この世で彼にしか出来ない、大胆不敵で縦横無碍な登場であった。
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