頭を撫でてあげましたが、何か?
「あれれ、いつの間に……?」
ふと気がつくと、ボクの身体はまたしてもお姉さんの膝の上へと移動させられていた。このボクの隙を突くなんて、お姉さんってば只者じゃないね。
ん? お姉さんがどうこう以前に、そもそもボクが隙だらけだったんじゃないかって? ハハハ、面白い冗談だね。まったく、そんなわけがないじゃないか。まさか子どもじゃあるまいし。社会の荒波に揉まれ続けてきたこのボクを見くびってもらっては困るよ。
そんな具合に、誰とも知れない相手に向かって心の中で強がってみる。非力な今のボクにでも手伝える仕事はないだろうかと考え込んでいて注意力散漫になっていた数分前の己の姿は見て見ぬ振りをしながら。
「ーー、ーー、ーー」
「…………んぅ?」
誰かの声がすぐ側から聞こえてくる。何事だろうかと意識を現実に戻すと、ボクの目の前に旅人さんがしゃがみ込んでいた。彼女は自身を指差しながら、頻りに何か語り掛けている。
「ーー、ーー、ーー」
「…………?」
旅人さんがボクに対して何かを伝えようとしていることくらいは理解できる。だけど残念、何を伝えようとしているのかまでは理解できない。ボクはちょっぴり戸惑って、目をくるくると回してしまう。
「ーー、ーー、ーウ」
「…………」
いや待て、落ち着くんだボク。ボクはこう見えても頭脳明晰な大人だろう? すぅう、はぁあ。ひとつ大きく深呼吸して、冷静に今の状況を観察する。
「ーー、ーー、クウ」
……あっ、なるほど! たぶんそういうことだな。ふふ〜ん、分かっちゃいましたよ。
何度も繰り返し聞いているうちに、聡いボクは彼女が伝えようとしている
「んと…………くぅ?」
「ー、ーーー。ーー、クウ!」
「……くぅ! くぅ!」
えっへん、大正解。
ボクの推測した通り、旅人さんは自身の名前をボクに伝えようとしていたらしい。嬉しそうな旅人さんの反応を見て、やはりそうかと確信する。
どうして理解できたのかって? そんなのは簡単な事さ。旅人さんは自身を指差しながら何度も同じ単語を呟いていたんだけど……これって要するに、以前お姉さんたちからボクの名前について問い詰められたときとよく似たシチュエーションなんだよね。
そんなこんなで、ボクはこの世界で目覚めてから六日目にして、ようやく他人の名前を知ることができたわけだ。ふっふっふっ、遂にやってやりましたよ。流石でしょ。だから褒めて褒めて!
……あれ? 今一瞬、まるで幼い子どもみたいな思考が頭を過った気が。
ま、まあたぶん気の所為でしょ。
さて、そこから先の展開は目まぐるしかった。
まずは、ボクと旅人さんのやり取りを頭上で目撃していたお姉さんから名前を教わり、それを真似したダークエルフさんからも名前を教わり……そして今度はあの謎の幼女までもがボクの前へとやって来た。
「ーーーー。ーーーーーーーーー、ーー」
「らぁ……のぁ?」
むむむ。舌っ足らずなこの口では、どうしても彼女の名前を上手く発声できない。
謎の幼女とお姉さんたちが何か言葉を交わしている間も、何度も口に出そうと試みる。だけどやっぱり舌がついてこない。そうこうしているうちに、時間だけが過ぎてゆく。
「うぅう……ぐすん」
唐突に、ボクの耳へと幼女のすすり泣くような声が届いた。あ、いや、ボクは泣いてないからね?
泣き声の主がボクじゃないということは、つまり本物の幼女が泣いているということで。再び幼女に視線を向けると、案の定彼女の目元に大粒の涙が滲んでいる。どうやら必死に堪えようとしているみたいだけど……残念ながら堪えきれていないね。
いやはや参った。降参です。ボクってば、子どもの涙には弱いんだよね。彼女の泣き顔を眺めていると、何だかつられてボクまで泣きそうになってしまう。最近のボク、ほんと涙腺が緩々で困っちゃう。
兎にも角にも、子どもはやっぱり笑顔じゃなくっちゃ。ということで、ボクはひとつ決心する。
よし、ボクが一肌脱いでこの子を泣き止ませてみせようじゃないか!
えっと、その為の手段は……例えば、頭を撫でてあげて落ち着かせるのなんて良い案じゃないかな。
たしか甥っ子の面倒を見ていたときには、それで見事に泣き止んでくれたからね。ふふん、ここでボクの人生経験が生きてくるわけだ。
タイミング良くお姉さんが立ち上がる。当然ながら、膝に乗っていたボクはそこから降ろされた。
これ幸いとボクも一緒に立ち上がり、幼女の隣へと移動する。そして彼女の頭へと腕を伸ばし、
「よ~しよし、いい子いい子」
お兄ちゃ……いや、お姉ちゃんが慰めてあげるからね。何があったのかは知らないけど、きっと大丈夫。
「…………!?」
謎の幼女はこちらを見て一瞬大きく目を開いた後、何か言いたげな表情を浮かべながらボクの手を払い除けようとしている。
あらら、もしかして照れ屋さんなのかな? だけど子どもは遠慮なんてしなくて良いんだよ?
ボクは優しく微笑んで、尚も頭を撫で続ける。
「ーー、ーーーーーー!」
「ん? どうしたの?」
「…………はぁ」
あ、あれ……? 今、肩を落としながら小さく溜め息つかなかった!?
しかしまあ、いつの間にか幼女は泣き止んでいたので、僕の行動は正解だったのだろう。うん、良かった良かった。ため息をついたかどうかなんて、そんな細かいことは気にしないで良し!
◇
「えっと……里長、もしかして泣いてます?」
「わ、悪かった。オレもフー姐もちゃんと謝るからさ、機嫌直してくれよ……な?」
「うぅう……ぐすん」
零れそうになっている涙を堪えながら、儂は小さく鼻を啜った。フウラとナナシはそれを見て、珍しくおろおろと狼狽えておる。
ふん。こやつらときたら驚くべきことに、儂の名前をちっとも憶えておらなんだのじゃ。儂としては、それなりに近しい距離で成長を見守ってきたつもりだったのじゃぞ? もちろん、さすがに親の代わりを務められたとまでは思っておらぬが。
そんなこんなで、儂の心は僅かながらの傷を負ったというわけじゃ。
まあ実際には、ここ数十年を振り返っても他人に名前で呼ばれた記憶すらないので、こやつらが覚えておらぬのも特段おかしなことではないのじゃがな。それはそれ、これはこれということで。日頃から散々弄ばれている仕返しの意味も込めて、本心半分仕返し半分といった具合で目元に涙を溜めてみる。
「さ、里長……」
「うっ、なんだこれ。猛烈に罪悪感が湧くんだけど」
しめしめ、儂の思惑通りに狼狽えておるわい。これに懲りたら、今後はもう少し年長者に対する敬意というものを持ってじゃな……って、んん? 娘っ子よ、急にどうしたのじゃ?
何を思ったか小走りで近づいてきた娘っ子が、儂の頭上へと腕を伸ばしながら小さな口を開く。
「ーーーーー、ーーーーーー」
「…………!?」
ななな何をするのじゃ! こやつ、甘ったるい口調で何やら囁きながら、いきなり儂の頭を撫で始めたのじゃが!?
「おい、止めるのじゃ!」
「ー? ーーーーー?」
儂は娘っ子に対し抗議の意思を込めた視線を送りつつ、小さなその手を払い除けようと試みた。
しかしながら現実は無情。残念ながら娘っ子には、儂の抗議なんぞ微塵も伝わっておらぬ様子じゃ。儂は小さくため息をつく。
「ナナシちゃん、あれ見て……。幼女が幼女に頭を撫でられているわ」
「しっ、フー姐。その一言、里長の耳に入ったらまた面倒なことになるって。そもそも里長は見た目が幼いだけだからな?」
いや、しっかり聞こえておるからの?
目元に溜めていた涙はとうに渇き果て、もはや苦笑いを浮かべるより他にない。別の理由で泣きたい気分にはなってきたが……。
うぅう、何がどうしてこうなったのじゃ!?
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