ともしびピエロ
雪猫なえ
1.すっぴんマスク、下界のスーパーへ
「いっ……た」
最近来てなかったのに、今日は朝から自己主張してきた。デスクチェア、ゴミ箱、衣服にヘアブラシ、今までも所構わず出会ってきたが、家を出る際のドアノブ君にバチッとアプローチされたのは初めてだ。静電気は、岡山桃科の三大怖い物第一位を飾る強敵なのだ。小さい頃から大の苦手で、デパートの入口なんかも萌え袖でファーストタッチする。一度ちょん、と触って何もなかったからと言って油断して素手で挑むと「かかったな」と言わんばかりに感電させてくる静かな魔物は本当に憎らしい。
ちなみに他二つはお化け屋敷とゴムなのだが、ここでは説明を割愛させてもらう。もう出かけなければいけない。玄関先でうかうかしていたら他の住人が出てきて鉢合わせてしまうかもしれない。それは、あまり好ましくないかな、特に私が住む一階は私の他は全員男子だし。同年代の若い男は苦手だ。一言で形容すると、怖い。
「行きますか」
小さく呟く独り言は習慣というか癖というか。自分を鼓舞してぐっと顔を上げて背筋を伸ばす。他の人たちはどうやって気楽に生きているんだか、私には到底わからない。私はこんなちっぽけな外出でさえ一苦労を要するというのに。心底羨ましい限りだ。
背筋を伸ばさずに外を歩けない。誰かの視線に敏感でなくいられない。頭の先の寝癖から、地面に着地するつま先の先の先まで意識を全集中、がデフォルトだ。疲れる。疲れないわけがない。誰だ、「えー、そんなこと考えてたら疲れない!?身がもたなくない?」なんて不毛なリアクションとった奴は。アホか、疲れるに決まってるだろうが。だから困ってるんだよ。
今は午前十時。この時間帯であれば、出かけている年齢層はあまり低くない、要するに、若者に出会う可能性がやや低い。
目指すスーパーはここら辺で言う「下界」にある。割と急な坂を下った先にある「下界」にはスーパーはもちろん、靴屋やドラッグストア、服屋、本屋などが集まっており、多くの人が常時行ったり来たりを繰り返している。平日の午前中に白昼堂々と出かけられるのは、大学生の特権だと思う。まあ、社会で頑張っている大人や子ども達には少々申し訳ないけど、四年という期限付きだし、受験勉強をそれなりに頑張った報酬だと思って自分の中の天使をやり過ごす。狙い目は午前中、
今日は調子が良かったので午前中からの出陣だ。こんな日は道路を挟んで隣にある大手の某有名本屋にも足を運びたくなるが、必要な物はないため今日はスルーすることになる。文房具店と本屋、そして画材屋は永遠に居られる三大拠点だ。いや、ウニ丼も三日あれば飽きるのに十分なことを鑑みると、永遠には嘘かもしれない。
鬱陶しいご時世になったもんでマスクに水滴が付くと、この上なく不快なので息が切れないように心がけながら大股で旅路を急ぐ。下界への道はそこまで遠くはないがやはり遠い。ふらっと行ってくるわーにしてはちょっと遠い、かなって感じ。行きはよいよい帰りは怖いとはよく言ったもので、帰りは重量・体積が共に増えたエコバッグと上り坂が追い打ちを掛けてくる。だから一回の買い物はできる限り減らしたい、はずなのについ買いすぎることもしばしばではある。
今日の空はどうだとか、交通量はどうだとか、すれ違う人が多くて嫌だとか少なくてラッキーだとか考えながら歩くと、前方に四角い箱が見えてくる。店舗カラーというのだろうか、が赤なので結構目立つ。思えばスーパーは明るい色味が多い気がする。でも全国のスーパーを豊富に知っている訳ではないので狭い見聞ではある。「~な気がする」って一般論は大抵は当たってない。人間は、自分が信じたい物を信じる生き物だから、結局はね。それは心理学の分野においても「確証バイアス」って専門用語で実証されてるし、って他学部の教授(名前は忘れた)が後援してくれるし、脳内で。
最後の信号機を待機する時間は私にとって束の間の休憩時間だ。どういうわけかここの信号はほぼ毎回引っかかるし、ぶっちゃけ待ち時間としてもちょうど良いので引っかからなかった日はアンラッキーという感じだ。
信号を待つ時間が私は好きだ。むしろ、青に変わったばかりの信号機が前方に見えるときほどうんざりする瞬間はない。いつ点滅するかわからない恐怖は、私の心臓の鼓動を早め、胸を痛めつけてくる。あのドキドキ感が私は大嫌いなんだ。もちろん、急いでるときに点滅を始めた青信号に内心舌打ちをする場面もある。しかし赤信号が視界に登場したときや既に点滅を始めた青信号を捉えて安堵した回数は舌打ちした日数を圧倒的に超えている。横断歩道の白線一本目で点滅したときは、いざ尋常に勝負、とゴングが鳴る。くそ真面目な自分VS一般大衆に従う自分だ。近年は前者の白星が多い。自分を強く持てるようになった証拠だと思いたい。
信号機の待機時間は、一瞬女優になれる時間でもある。母に似たのか、何も考えていないのに、真顔で居ると怖がられることは幼少期からの積み上げで解っている。底を利用するチープなゲームだ。ぼーっと瞬きもせずに一点を見つめて意味深さを醸し出してもいいし、マスクで覆われて見えない口角を上げて、るんるんな元気少女を演じていても良い。口元が見えなくても案外目は口ほどに物を言うものだ。大流行中のウイルスは、昔から伝わることわざまでも実証してしまう猛威なのだから凄い。今日は気分的に快活な真面目学生を演じることにする。天気が良いし。あ、もちろん疲弊しきったインターン帰りの就活生を演じても問題ないとどうでもいい補足もしておく。
そんなこんなでスーパーに着く。本当は反対側のドアから入った方が余計な菓子パンやお菓子やスーパーのスイーツなどを買わなくて済むから好都合なのだけれど、家からの経路の都合上菓子パン側から入るしかない。スーパーの反対側のドアは、遠いじゃん?横に長い箱だから。
菓子パンコーナーではまずランチパックの新作が出ていないかチェックして、その後気になる新商品がないか流れ作業を行う。憎いことに大抵ランチのパックの新作は出ている。カゴ一番乗りはコレに決まる。パンを乗り越えたら次の関門はスイーツだ。買うな買うなと買わない理由を模索してはぶつけ、購買意欲に対抗する。二十年弱生きてきて最近有力になった防衛の言葉は「どうせ食べたことある味だしね」になった。
惣菜にもざっくり目を通し、清涼飲料水の誘惑を断ち切ったところで一息入るのだ。ここから先は決まり切った「いつもの食材」+αを買っていく。一応言っておくが、この一連の流れはきちんと買い物リストを持ってきた上で行われている戦いである。もはや買い物リストの意味とは?
野菜も肉魚もカゴに入ったあと生活用品の不足を再確認してレジに向かう。どれだけ念入りにリストを作って買い物に臨んでも、毎回買い忘れはないかという不安に襲われる。やっぱり、買い物リストの意味とは?である。絶妙に来るのが大変なことも、この不安を煽る一因となっている自覚はある。
レジの待機時間は信号の待機時間と通ずる物があるため描写割愛。レジの人には心から誠実な対応をしたくなるし、実際そうするようにはしている。マジであの方々は神ってると思う。なんか、凄く優しい気持ちになるのは私だけだろうか。きちっと揃ったおつりとその下に敷かれたレシートを会釈時々お辞儀で受け取り、ぶつかる人が居ないか確認してレジコーナーを抜けて出口に向かう。ここで、ふぅっとガス抜き。ミッションコンプリートだ。家に帰るまでが遠足ではあるが、帰り道は息と違って緊張感が薄い。この現象は幼い頃からのミステリーなのだが誰か答えを教えてはくれまいか。単純に場慣れした状態と言えばそれまでかもしれないが、なんか、それだけなんだろうか?帰り道も考え事はするが基本ぶらぶらうだうだと脚を交互に前に出し、坂を必至に上って帰る。家までのラスト直線五百メートル辺りが辛い。玄関に着いたときは上着も、靴も、なんなら買い物袋も全て空中にぽーーーいと投げ出したくなる解放感がある。実行しないのは言わずもがなだが。
開封したら、三種類買ったトッポの内、なぜかイチゴ味だけがボキボキに折れていた。なぜ。
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