魔王の息子、(勇者の息子のドレスで)女装アイドルになる。

栗原ちひろ

第1話 俺が運命を見つけた日

 かつて、勇者と魔王の戦いがあった。

 双方軍を率いての激戦。

 世界は荒廃、国は疲弊した。

 

 そして、二十年後。


 世界の命運は、ふたりの若者に任されていた。

 勇者の息子と、魔王の息子に。



■□■



「いけ、勇者!! 殺せーーーーーーっ!!」


「負けてんじゃねえぞ、魔王!! 今月の給料、全部つっこんでるんだからよ!!」


 はあ……うるさい。

 毎回ほんと、うるさすぎる。

 俺は闘技場の真ん中で、深い深いため息を吐く。

 ここは国営闘技場。広大なすり鉢状の観客席はいつも満員。庶民も、貴族も、王族も、みんなかじりついて俺らを見ている。

 ギラギラした目、汚い叫び、酒と焼き肉のむっとするような匂い、やりとりされる銅貨の匂い。


 正直聞いてやりたいよ。

 みんな暇か? 暇なのか?

 この国に、もっとまともな娯楽はないの?


 俺がうんざりしていると、耳元で声がした。


『どうしたよ、ため息なんか吐きやがって。まさか、もう疲れたか?』


「いやー、そういうわけじゃないけどさ」


『だったらシャキッとしやがれ、アラタ! 勇者の息子だろぉ!?』


 元気に叫ばれ、俺のまとう全身鎧がぶるっと震える。

 ――そう、そのとおり。

 俺は栄誉ある勇者の息子、アラタ・ギガース十七歳だ。

 この国でもっとも有名で、もっとも期待されている十七歳かもしれない。


『いいか、アラタ。お前も疲れたかもしれねえが、相手もかなり疲れてる。その証拠に、ちっともたたみかけてこねえじゃねえか』


 耳元で囁いてくるのは俺の親友、セイ。

 彼は俺の鎧だ。

 いわゆる、リビングアーマーってやつ。

 俺の親父は勇者で、セイのおふくろは勇者に仕える魔法使い。ふたりはとっても仲良しで、だけど結婚はしなかった。

 代わりに約束したんだそうだ。末代まで、お互い助け合って生きようね、って。

 それはいいけど、ふつう、息子をリビングアーマーにするか?

 しかも全身真っ赤な鎧。赤って。そんな鎧ある?

 見るからにどぎついし、目立ちすぎるし、コーディネートもしづらすぎる。

 セイも拒否すりゃいいのに、ダチを守れるなんていいじゃねえか! なんて言って引き受けてしまった。だから俺は、ひたすらに戦うしかない。


 宿敵である、魔王の息子と。


「レックスさまーーーーー!! やっちまってくださーい!」


「人間なんかひねりつぶして、魔族の世を作るのよぉ!!」


 闘技場の客の半分は、角やら翼やらがある魔族たち。

 この闘技は、人間と魔族の戦争だ。

 正確に言うと、戦争の代わり、なのだ。


 かつて俺の父と魔王が戦い、国は荒れた。

 互いの実力は互角。このままでは永遠の消耗戦になる……と思ったふたりは、協定を結んだのだという。

 ひとまず魔族と人間族の国境を決め、今後は毎年自分たちが一対一で戦おう。

 そうして、互いの勝ち負けで領地を取ったり取られたりしよう、と。


 親父たちの協定から二十年。

 今年から、戦うのは俺ら、息子の世代になった。


『見ろよ、レックスのやつ、鎌を出せてねえ』


 耳元でセイの声。俺は視力がイマイチな目をこらす。

 俺の敵、魔王の息子、レックス・フォールデン十八歳。

 漆黒のマントと金属製の仮面で装った彼は、魔法の黒い霧に囲まれている。

 いいなあ、黒いマント。いかにも魔族らしい伝統的な装束で、仕立てもいい。

 マントをじろじろ見つつ、俺は囁く。


「俺らが奴の精神攻撃に屈しなかったからだろうな。奴の鎌は、心弱った者からしか命を刈り取れないらしい」


『だったらいくぜ、相棒!! こっちが必殺技で仕留めるときだ!』


「……わかった」


 俺は鞘に入った勇者の剣に手をかける。

 こいつを抜くには、呪文が必要だ。

 俺は息を吐き、吸いこむ。

 呪文だ。言うんだ。

 言えば、終わる。


 そのとき。


 ――フォールデン。


 耳元で、あまい声がする。

 え? セイの声? 

 ……じゃ、ない。

 ちがう。

 やばい。

 俺は自分の足下を見る。が、足が見えない。

 目の前が真っ黒で、何も見えない。


 レックスのまとう黒い霧が、俺の全身を包んでいる!!

 一体、いつの間に!?


 ――アラタ・フォールデン。勇者の剣に手をかけて……その先は、どうする?


「ぜ……」


 ――ぜ、なんだ?


 優美な声。きれいな声。

 俺はひきつる。


「ぜ、絶技……ひ、必殺……」


 ――ぷぷっ。絶技て。


 わ、わらわらわらわら、笑われ、てる!?

 きれいな声に、めっちゃ笑われてる!!


「っ!! ひ、必殺、この世で最強は、全知全能完璧超人このオレ様……」


 ――何それ。本気で言ってる?


 今度はめちゃくちゃ声が冷えた!!


「ひっ」


 俺は思わず息を呑む。

 が、相手は容赦しなかった。


 ――控えめに言うよ。まずはダサい。徹底的にセリフがダサい。言葉選びにセンスの気配すら感じない。完全に辞書とか引いたことないひとのセリフ。今って剣を抜こうとしてるんだよね? なんでいきなり自慢話入った? 君って何歳? その年で飲み屋で管まくおっさんレベルのセリフ怒鳴ってたら実際くさいおっさんになったときはもう取り返しがつかなくなるよ特級汚染物だよ真夏の台所に一ヶ月放置された湿ったパンみたいな存在だよ。


「う、うわああああああああああああああああああ!!」


『アラタ!! アラタ、どうした!!』


「か、カビ!!! ぬめり!!! むしむしきゅーーーーーーー」


『くそっ、精神攻撃にはまりやがって! 正気に戻れ、アラタ!! レックスが、来る……!!』


「……!!」


 レックス。

 その名を聞いて、俺はうっすらと我に返った。

 目の前で、きらりと何かが光る。

 反射的に叫ぶ。


「守れ、断絶の盾!!」


 しゅるり、セイの変化した鎧の腕部分が盾に変わり、硬いものを弾いた。

 一度、二度、三度、硬質な音が響く。

 襲い来る冷たい剣風を、俺は盾で弾き続ける。

 盾の合間から見える、紫の光。

 冷たくて、熱い眼光。

 ――レックスだ。

 魔法による精神攻撃で俺を絡め取って距離をつめ、命を狩る大鎌で攻撃してきている。

 剣を抜かなければ勝てない。

 だが、ここまで距離を詰められては――。


『レックスと距離を取る! アラタ、シールドアタックだ!!』


 セイの声。


「わかった!!」


 叫んで、大鎌をはねのける。

 レックスのマントが翻る。

 マントで見えないが、おそらく、脇が空いている。

 そこに、シールドの尖った先を、叩きこむ!!

 が……。


 手応えが、ない。

 

『馬鹿野郎、踏み込みが甘い!!』


 セイの叫び。

 空振りの勢いで、俺はよろめく。

 ぱさり、と、魔族の黒いマントが地面に落ちる。

 マントの向こうには誰もいない。

 兜の下、わずかな鎧の継ぎ目に、ひやりと冷たいものが当たったのがわかった。


「遅い」


 背後から、あまく冷たい声がした。

 レックス。

 俺の動きを読んでいた。

 マントだけを残して俺の後ろに回ったのだ。


 俺は、命を、狩られる。


「いけ、レックスさまーーーーー!!」


「何やってんだ、アラタぁ!!!!」


 闘技場を歓声と怒声が埋める。

 時間がやけにゆっくりに感じられる。

 俺は遠く、貴賓席のほうを見た。

 そこには父さんがいるはずだった。

 勇者であり、今は貴族となった父さん。


 かつての父さんなら、こんなことはしなかっただろう。

 あなたは、貧乏騎士から成り上がった、本物の勇者。

 俺はただの、勇者の息子……。


「……もっと腕を磨け」


「え?」


 急に冷たい感触がなくなり、俺は振り向く。

 そこにはもう、レックスの姿はなかった。

 残るのは黒い霧のかけらと、観客たちの怒声。

 

 ぼんやりと首に触れる。

 血なんか、一滴も出ていない。



 俺は――生かされたのだ。

 


■□■



 どん底だ。どん底だ。どん底だ。

 ただそれだけを考えて、俺は歩く。


 あのあと、闘技場は荒れに荒れた。

 へまをやった俺。

 俺にとどめを刺さなかったレックス。


 どちらにも罵声が飛んだ。

 困り果てた勇者と魔王は、一ヶ月後の再試合を決めて、その場はおさまった。


 だけど俺は、今すぐ死にたい。


『なんだよ、一緒に反省飲み会しねーの!?』


 人間に戻ったセイは明るく誘ってくれたけど、今日はほんとに無理だった。

 もう、勇者の息子らしくふるまいたくない。

 友達をいたわることも、謝り続けることもできない。

 わがままかもしれない。それでも、少しだけひとりでいたい。


 俺は武装を解除すると、粗末なフードつきローブを深くかぶって町に出た。

 俺らの闘技があるのはいつだって休日だから、町は賑わっている。

 紫に暮れていく世界の中、軒先につるされたランタンがぽわぽわと光り、少し濡れた石畳に反射する。道ばたに出されたテーブルには、木製ジョッキを持って歌う人々。

 蛇腹を押し引きして奏でる、メロディオンの楽の音と、ごちそうの匂い。

 俺もあの楽しそうな中に入りたい。

 疲れた体を椅子に乗せたい。

 だけど、だめなんだ。


「今日の勇者の息子、見たか?」


「情けなかったねえ……なんだって勇者の息子が、剣を抜けないんだい?」


 町のひとたちが熱心に話しているのは、そんなこと。

 そうだよな。そう思うよな。俺だってそう思う。

 どうして俺には羞恥心があるんだよ。

 あの親父の息子なのに!!


『ん~~今日はかっこ悪かったけどな、息子よ。かっこ悪いからこそ、カッコイイんだぜ!! 覚えときな!!』


 今日の親父を思い出すと、ますますげっそりする。

 俺は、勇者の息子が向いてない。

 勇者の息子、辞めたい。

 どうやったら辞められる?

 やっぱり、死ぬしかないのかな。

 レックスの鎌の感触を、あまい声を、俺はぼんやり思い出す。


 と、そのとき。

 鼻先で、ふわっとあまい香りがした。


「おにーさん、寄ってかない?」


 現れたのは、鮮やかなドレスのお姉さんだ。

 客引きだ。断ろうと思いつつ、俺は無意識に立ち止まった。

 ドレスが、すごい。すごいきれいだ。

 特に胸部分がいい。たわわな胸の重みをきっちり支えつつ、さらに胸の形を完璧に整えている。タイトに締め付けているようで、編み込みにはひっそり余裕がある。これなら動いても苦しくないだろう。いかんせんちょっとシワは入ってしまっているけど……。


「……すごいですね」

 

 お姉さんの胸をガン見しつつ言う俺。

 お姉さんはころころと笑った。


「あらやだ。うちは色っぽい商売じゃないのよ?」


「ひっ!! す、すみません!! 違うんです、俺……」


「いいわよ、若い証拠だもーん。私、旅芸人なの。本日デビューの子がいるから、見ていかない? 今回だけは無料公演よ。この先の広場でやってるわ!」

 

 サクサクと言い、お姉さんは俺を広場に押しこんでしまう。

 広場には結構な人数がいた。

 一、十、二十……四十人弱か。

 これだけいたら、俺の正体に気づくやつもいるんじゃ!? と思ったけど……みんな、仮設舞台に釘付けだ。まだ誰も出てきていないのに、ファンコールが飛んでいる。


「レインちゃーーーーん!!」


「マリーちゃん、がんばれぇーーー!!」


 結構人気がある旅芸人なんだな、と思いつつ、俺は少しだけわくわくしてきた。

 さっきの女の人の仲間なら、衣装に期待がもてるから。

 何を隠そう、俺の趣味は裁縫だ。

 勇者の息子なんかじゃなかったら、俺は裁縫師になりたかった。

 唯一無二のドレスを作って、ひとを笑顔にする仕事がしたかった。

 

 そんなこと、言い出せる相手もいなかったけど。


「みなさぁーーーーん!! こんばんはーーーー!!」


 広場に華やかなドレスの少女たちが駆けこんでくる。

 周囲の熱量が、ふわっと上がる。


「「「「こんばんはぁーーーーー!!」」」


「ひえ」


 ビシッと揃った観客たちの声に、俺はおののいた。

 規模は違えど、闘技場の熱と似ている。

 違うのは……。


「今夜は、私たちのための集まってくれて、ありがとう!」


「今日は、大切な仲間のデビュー公演です。応援してあげてね!」


 違うのは、舞台上の女の子たちがきらきらしいていることだ。

 俺は、こんな目で闘技場に立ったことはないと思う。

 それに、ドレスももちろんすばらしい。

 スカート丈は短いけど、ふわふわで、ひらひらで。

 嫌らしい感じはすこしもない。甘いお菓子みたいなドレスだ。

 俺の鎧みたいに、嫌々着せられているものじゃない。


 見入っていると、ドレスの女の子たちがふたつに分かれた。

 間からひときわ若い子が出てくる。

 今日デビューなのは、この子だろう。

 彼女は緊張で頬を赤くして、一息吐く。

 そして、俺らに言う。


「ずーっとずーっと、こうしてみんなの前で歌うのが夢でした。今日、夢が叶います。――私の夢の始まりを、見ていてね」


 音楽が、始まる。

 華やかにシンバルが鳴り、弦楽器と笛の音が一気に走り出す。

 女の子たちがいっせいにポーズを決める。

 ゆれる、ゆれる、ドレスがゆれる。

 踊りが弾け、歌が始まる。


 息が、つまる。

 

 すごい。

 きれいだ。

 輝いている。

 こんな言葉じゃ足りないよ。

 足りないけど、なんて言ったらいいのかわからない。


 光だ。光がここにある。彼女たちの全身が、光。

 彼女が、そして、彼女の衣装が、光。

 目の前が、きらきらして。

 俺は、あんな服を、作りたいと思った。

 あんなふうに、光り輝くひとの服を。

 あんなふうに、ひとを光り輝かせる服を、作れたら――。


「あんな服を、着られたら……」


 ――え。


 俺は超高速で隣を見た。

 ぎっしりつまった観客の中、俺の隣にいたのは、ものすごくきれいなひとだった。

 そのひとは、めいっぱい背伸びをして旅芸人を見ていた。

 背伸びするたびに、あごまである銀髪がさらさらゆれる。

 旅芸人を見る瞳は、生きた宝石みたいなきらめく紫で。肌はどこまでも澄んだ乳白色で。それが、喜びでほんのり赤くなっていて。

 粗末なフードつきローブを着ていても、そのひとは輝いていた。

 

 そのひとを見たとき、俺は思ったんだ。


 運命を、見つけたって。

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