見つかった

 尋ね人の依頼を出して以来、僕は毎日世界中のギルドで成果を確認していた。出して数日で情報が集まる訳もなく、世界のあらゆるギルドを訪ねては世界のあらゆるギルドで「まだ来ていませんね」を繰り返す。いない所にはいないんだから言われた回数なんて関係ないのだが、それでも一日に無数のはずれを引かされるのはかなり精神的に来るものがあった。



「ああ、一件の報告がありましたよ」


「え!!」



 流れ作業で結果を処理している所に唐突に当たりはあらわれた。一瞬の声が出た後、数秒間抜けに固まってしまう。


「本当ですか!?」


「ええ、昨晩見かけたという方が現れまして」


 思わずガッツポーズを取る。掲示板の尋ね人なんてそうそう見られないのではと不安にもなっていたが、やはり効果はあったのだ。奇跡の使えない先人達がこつこつと築き上げたシステムは正しかった!


「あ、ちょうどそこにいますね。ほら、酒場の机で飲んでる方ですよ」


 この町のギルドは酒場も併設しているようだ。示された方を向くと、確かに食事中の男が一人いる。僕が見ていると、あちらも気付いたようだ。


「おう、あんたが依頼者か! こっち来いよ!」


 ジョッキを持った手を振り、大きな声で呼びかけてくる。言われた通りそちらに歩いていくと、少し顔を赤らめた気の良さそうな笑顔の男が待っていた。


「尋ね人の依頼者だな。俺はこの町で爆炎の彼方ってCランクパーティで戦ってるロブだ。よろしくな」


「Cランクですか、頑張ってください! 僕はライトです、よろしくお願いします!」


 握手を交わし、自己紹介を済ます。がっしりとした体つきで、背の高い男だ。おそらく戦士だろう、刈り上げた頭部が似合っている。


「ちょっと待ってな、この一杯だけ飲んじまうから。近くだから案内するよ」


 言うが早いか立ち上がり、ごくごく一気飲みしたジョッキを机に叩き置く。近くという言葉に反応し、急に心臓の動きが早くなった。



「あっちの方の宿屋に泊ってるのを見かけたんだ。俺の部屋がちょうど同じ階でね。多分あんたが探してるやつだと思うよ」


 街に出て案内される道すがら、僕は気もそぞろに相槌を打っていた。今までいくら探しても見つからなかった彼女が突然もう目の前だ。失敗が続きすぎて成功の準備なんて全然できていない。何を聞いて何を話せばいいのかなんてもう忘れてしまっている。


「えっと……突然やってきて迷惑ですかね……」


「さあ? でもそういうの考えても仕方ないだろ」


 頑張りなよ!と肩を叩かれてしまう。これまたあいまいな返事を返す事しかできない。


 そんな無駄な会話を交わしている間にも件の宿屋に辿り着いた。外観を眺め、特別古くも新しくもない作りだと思う。前面の高い場所に何個か窓があり、二階の部屋数は四つ程度。向かって右から二番目の窓の奥に先のとんがったのようなものが動いた気がした。


 ドクンと心臓が高鳴り、思わず目をしばたかせる。! 次の瞬間には窓には何も見えなくなっていたが、それでも僕は穴が開くほどその部屋を凝視していた。


「早く入ろうぜ」


 声を掛けられて我に返る。宿屋の入り口をくぐるロブさんの後ろに慌ててついていき、何の感情も整理できないままただ心臓だけがむやみやたらに動き続けていた。


 ロブさんは宿の主人への挨拶もそこそこに、ずかずかと階段を上っていく。何階にいるのだろうなんて考える必要もなく、当然外観通りの二階建て。最奥から一つ手前のドアまで歩いたロブさんが間もおかずにドアを叩く。


「あんたドロシーさんだろ! ライトさんが来てるぞ!」


 そう言い、彼は一歩引いてこちらに目配せした。迫りくる現実の速さについていけず、先程から心臓の鼓動が鳴りやまない。何で僕はこんなに緊張しているのだ。そもそもなんでドロシーを探していたんだっけ。話すべき事を整理したいのに、頭がこんがらがって何の言葉も用意できない。どうすれば! どうすれば! どうすればどうすればどうすればどうすればどうすれば!


 空気がシンと静まり返る。遠くに雑踏の音が聞こえる。廊下突き当りの窓から光が差し込み、照らされた埃が空気の悪さを主張している。


「あれ? 留守なのか?」


 後ろで頭を掻きながら、ロブさんが呟く。ドアの向こうからは声も物音も聞こえない。まるで中には誰もいないかのよう。視界に映るクリアなドアの木目。静寂の応酬。スッと頭が冷えていくのを感じた。


か?」


 意識せずに驚くほど無感情な声が出る。その問いかけには何の反応も返ってこない。当然のように黙りこくるドアを僕は見開いた目で凝視する。


「宿に入る瞬間、建物の全面をにした」


 淡々と告げる。この宿屋はもはや入口からすら外には出られない。最上位モンスターすら出られない木の檻をただの人間が抜けられる訳がない。


「なあドロシー、お前は知っているのか。あれから僕がどれだけ駆けずり回ったか。お前がいなくなった時、僕がどれだけ失望し、どれだけ狂おしく心をかき乱されたのかを」 


 あの日、僕はお前の言葉でステラを救えると信じた。信じて全てを明かし、そして目の前に絶望が広がった。その暗闇の中まだ何か落ちてないかと必死に村中を駆けずり回り、それが全て無駄で、そこから先も全部無駄で徒労。僕はお前一人のためにずっと世界を探し続けていた。


「約束の時間は過ぎているんだ!! 出ろ、ドロシー!! これ以上待たせたらもうどうなっても構わないぞ!」


 感情に魔力が突き動かされ、宿の周りの根がギシギシと鳴る。後ろのロブさんが何事かと廊下の壁を見ているが知ったこっちゃない。人が作った程度の障害物なんていつでも無にできる。世界全てを相手にやっと追い付いたドロシーに対し、僕は後先なんて考えていなかった。


 うんともすんとも言わないドアの向こう側。僕はそれにそっと右手をかざす。立ちふさがる壁を粉々に破壊すべく手の平に集まる魔力。綿密に練られた魔法構築が主人によるトリガーを待っている。そして



 



 乾いた音がした。何かが嚙み合ったような、分け入って通ったような。



 ギギっと建付けの悪い振動。ドアが開き始める。一つの足音も物音も無く、ただ結果だけがもたらされるように目の前のドアの封印が解かれ、そしてゆっくりと開いていく。


「ようやく、か」


 ついに一つの扉が開く。ずっと同じ場所に立ち止まっていた僕。ようやく今ここに扉を開き、その奥へと進むことができる。


 聞きたい事がたくさんある。お前はどうして姿を消した。お前の能力は本当に実在するのか。お前は何者だったんだ。お前が隠してしまった色々なものをここに解き明かし、僕はまた歩き出す。目の前の現実を乗り越えるためにここまで来たのだから。


 ゆっくりに思えた扉もその数秒後にはもう隔たりの役目を終える。弧を描く慣性に合わせて着実に開き切る。ついに部屋の中が完全に明るみになり、そこにいる主は姿を現したのだった。


「えっ?」


 声が出た。感情の発露の先として内側から押し出され転げ落ちた声。驚き、困惑、疑問、入り混じる様々な感情。だが一番前に出てきたのは。そしてそれによる思考停止である。


 そこにはがいた。


 部屋の中にそれはぱっと見は人型だった。人の衣服を着て、手があって、足があって。しかしその首の上に乗る巨大な頭部は直径からして肩の幅を優に超えており、顔面にはドアノブの二倍は広い黒々とした瞳が三つ、まぶたを引き裂かんばかりに見開かれている。露出した手足からうかがえるどどめ色の肌は生きた動物とは思えない硬質な皺が縦横めちゃくちゃに走っており、呼吸のたびにギシギシと軋むような音が空気を揺らす。足先から頭頂部まで体長にして2.5メートルはあり、その天井を突き破りそうな背の高さで瞳だけがわずかにこちらを向いていた。


「な、なんだ……なんだ……」


 辛うじて同じ言葉を繰り返す事しかできない。どれだけ「何」を呟いたって目前のそれへの感情を消費しきれず、バカみたいに口の中からぱくぱく音を出し続けている。


「おい! 何だこいつは!」


 部屋の中の無限の困惑から逃げ、後ろの冒険者へと矛先を向ける。こんなの意味がわからない。わからなすぎる。


「何って……に載ってたやつじゃねえか」


 ざわっと背筋が泡立つ。鞄の中から貼り紙を取り出し、慌てて目の前に広げる。


「え……? え……?」


 目の前のと広げた紙とで視線を何度も往復させる。顔の上部に乱雑に配置された三つの大きな目。胴に対して比率のおかしい巨大な頭。頭頂部に乗った先細りする帽子のようなシルエットの何か。


 。それは紛れもなく一切の文句のつけようのないほどの完膚なきまでのドロシーだった。これをドロシーでないと言える者などおそらくこの世界には誰もいない。ほんの些細な違いすらありはしない。そう、僕の目の前にいた意味不明の化け物は何処からどう見ても間違いなく完璧にドロシーだったのである。


「どうしたんだ?」


 呆然としていると、ロブが声を掛けてくる。先程まで気の良い冒険者だったその顔からやけに感情を読み取れない。


「会いたかったんだろ? 何も言わなくていいのか?」


「え、あ……う……」


 促され、改めて部屋の中のそれと顔を合わせる。そうだ、僕はドロシーに会いに来た。目の前にドロシーが出たなら話さなきゃいけない。何でか聞きたいことも言いたいことも全く全て何も浮かんでこない、だけど僕は話さなきゃいけないんだ、ドロシーを追い続けてきたんだから。


「お、お前、ドロシーだよな」


『@@@@@@@@XXXXXXXXXXXTTTTTTTTTMMMMMMMPPPPPPPPP』


 およそ人の声とは思えない音を体の上部から発生させるドロシー。僕の言葉の終わりの方をかき消し、狭い部屋の中に未知の音波が反響し続けていく。



「タイムトラベルなんて言って僕を騙して何がしたかったんだ」


『@@@@@@@@XXXXXXXXXXXTTTTTTTTTMMMMMMMPPPPPPPPP』


 僕の質問にドロシーは同じ音を出し続ける。いや、もしかしたら違う音かもしれない。僕には同じ音に聞こえる。



「お前の目的は何だ。何故ノウィンで僕の前に現れた」


『@@@@@@@@XXXXXXXXXXXTTTTTTTTTMMMMMMMPPPPPPPPP』


「それともお前はあの日実際にタイムトラベルをしていたのか?」


『@@@@@@@@XXXXXXXXXXXTTTTTTTTTMMMMMMMPPPPPPPPP』


「なんとか言ったらどうなんだ!!」


『@@@@@@@@XXXXXXXXXXXTTTTTTTTTMMMMMMMPPPPPPPPP』


 ヒートアップするドロシーとの会話。僕の声とドロシーの音が部屋の中に交錯し、相手の返答次第でどうにかなってしまいかねない一触即発の空気が震え出す。しかしやがてそこから人間の声は無くなり、僕はただドロシーの前で下を向き黙りこくるのみとなる。耳の奥でこだまするような由来不明の音だけがその場を支配し、空間全体の理解できないものの濃度が際限なくどんどんどんどん増え続けていく。


 バタンと目の前でドアが閉まる。


 気付けば廊下でノブを握っていた。ドロシーの声はもう聞こえない。視界の隅で太陽に照らされる埃が先程よりも鮮明に見えた。階段へと足を向ける。


「おい、良いのか? せっかく会えたんだろ?」


 背後から掛けられる案内人の声にも返答を返さない。無言で階下へと降り、「またどうぞ」と声を掛ける宿の主人も無視して僕は外へと出る。太陽の光に照らされ、ぼんやりとした昼下がりが辺りに広がる。建物の向こうの子供がはしゃぐ声を聞いている。


 僕はドロシーに会えた。あれほど探し続けたドロシーに僕はついに会えたのだ。そして僕は今彼女の止まる宿に背を向けて外にいる。


 いったいどうしたのだろうか。あんなに会いたがっていたドロシーだ。早く世界の真の姿を知りたくて、全ての真相を知りたくて、聞きたいことがいくつもあったのに、何故か僕はそのドロシーから何も得られないままにすぐに引き上げてしまった。ようやくドロシーに会えたのに、あれは間違いなくドロシーなのに、何故こんなまるで会いたくもないものみたいに対応してしまったのだ。何故見たくもないものに蓋をするようにドアを閉めてしまったのだろうか。失敗の果てに辿り着いた作戦がついに完璧に決まったにもかかわらず、何故僕は成功者のふるまいを何一つだってできなかったのだろうか。


 振り返り、先程の部屋に目を向ける。もう窓からは何も見えなかった。不自然に黒々と塗りつぶされた部屋の中はいくら見続けても何の答えももたらす事は無い。


 僕はその場から離れた。目的を達成したのにも関わらず何一つ変わらないまま離れていった。ドロシーに会いたかった。今も会いたいのかはよくわからなくなっていた。


 そして何も目指さず無為に足を動かしながら僕は気付いていた。この町の他にもまだ僕は何百何千のドロシーの尋ね人依頼を出していたという事に。

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