夢の後、ノウィン
窓から差し込む光にこの身を照らされながら、本も読まずにただ椅子にじっと座っている。これが仕事といえばその通りだが、あらゆる生産性を放棄したようなこの姿には回復しにきた客達も一様に首を傾げる。
村に戻って診療所で仕事をしていると、昨日の出来事が全て夢だったんじゃないかと思えてくる。凶悪なダンジョンを物ともしない華々しい活躍。功績を感謝されるSランク冒険者スバライト。夢といえばそれこそ夢のような光景だった。遥か遠く、僕には縁のない偽物の体験。
感謝されるっていいもんだよな。感謝と罪が足し算だったら良かったのに。
ポヌフールからワイアームの牙と共に空に飛び立った時には、もう僕は卑怯な人殺し以外の何者でも無かった。息ができなくてもがくようにスバライトの覆面を脱ぎ捨て、そのままノウィンに戻って牙を埋めた。孤児院の食事の暖かさが腹の中にひたすら溜まっていき、なかなか消えなかった。
ジョシュアはもう村に帰っているだろうか。本当なら確認する必要があるだろう。ワイアームの牙の買い占めには成功したが、新たに牙が見つかり売りに出される可能性もある。ジョシュアの事だから、牙を入荷したら鳩を飛ばすように取り計らっているはずだ。
だから確認しなければならない。だがその気が起こらない。徒労の旅路から帰ってくるジョシュアがどんな顔をしているのかなんて見たくない。もはや診療所の椅子に座っている以外の事はしたいとも思わなかった。
「あのー、ライトさん……」
「え?」
マリアが急におずおずと話し掛けてきた。いつもの雑な態度とは様子が違い、口を開くのもためらいがちだ。
「えーと、あのですね……あの……」
「えーと」とか「あの」とか、意味の無い単語を重ねるそのたびに顔を赤くする彼女。そしてその頬の朱色がピークに達したかと思う所で、意を決したように少し姿勢を整えてこちらを向いた。
「昨日の告白の返事を聞いてないんですが……」
「え? あれ告白だったのか?」
「え!? 違うんですか!?」
マリアは先ほど整えた姿勢も放り投げて動揺の声を上げた。いやお前がそこを聞き返すのはおかしいだろ。お前以外の誰がそこの解釈の正しさを決められるのか。
「あ、あのー……じゃあえっと、伝わり方に齟齬が出ないようにちゃんと言いますけど~……私ライトさんの事を~、あの、なんか、良いなと思ってましてえ……」
「ああいやうん、わかった、わかった。わかったから」
齟齬が出ないようにと言いながら回りくどいふわっとした表現からなかなか抜け出せないマリアに、思わず理解した旨を告げてしまう。
「えっと、それで、あの、返事……」
「ああ……えっと……」
豊富なはずの語彙をほぼ消失させたマリアを見ながら、僕はマリアとそして自分の事を考える。マリアは親切で優しい理想の女性だ。そして僕は人殺しだ。
「……ステラの事もある。そういう事を考える気分じゃないんだ」
「……そう……ですか」
何かを言いかけたマリアは、そのまま口をつぐんだ。僕の気持ちを色々と仔細に訪ねたくもあるかもしれない。だが今はまだそこに触れてはいけないと判断したのだろう。こんな対応はもどかしいだろうに、優しい
マリアという人間を僕で汚したくはない。だから本当に彼女の事を大切にするならここでハッキリと拒絶の意思を告げて縁を切っておくべきだろう。だが僕はそれが嫌だった。彼女の傷付いた顔を見たり、彼女の僕に対する朗らかな態度を失ったり、その事について周囲に触れられたりしたくなかった。もう何のダメージも負いたくない、本当にただただそれだけの思いだった。
「こんな僕をどうして……」
「え? えーとそれは……」
思わず口をついて出た呟きに、マリアが敏感に反応してしまう。
「そうですね、やっぱりあの~、私の話を熱心に聞いてくれる所が、えっと、好きですかね~」
赤に染めた頬で笑いながらそう言うマリア。さんざ診療所で無視されておきながら何を言うのか……と一瞬思ったが、実際僕の頭に浮かぶこの世界の知識のほとんどはマリアが教えてくれたものだ。
「最初は弟みたいでかわいいなって思ってたんですけど~、私がこんなに可愛がってたくさん教えてるのに、その内ライトさんが他の誰かのものになるとしたら、なんだかそんなの嘘だよな~って思って~。……て、何言ってるんですかね私、すいません変な事言って、ああも~」
テンパって喋り過ぎたのか、マリアはまたMAXまで頬を染め上げている。ボロを出すくらいなら喋らなくてもいいのだが……僕が話を打ち切ってしまった分、自分の事を喋りたかったのかもしれない。
「ちょっと外を散歩してくるよ」
「え、はい……」
席を立つ僕にすっと悲しそうな顔になるマリアに心が痛んだが、僕もずっとここにいる訳にもいかない。気持ち的に億劫だとは言え結局ジョシュアの動向を確認しない訳にはいかないからだ。
それに……やはりマリアとあまり距離を詰めすぎるのはよくない。こんなストレートな好意を向けられて、恥知らずな人殺しがいつまでも無関心な風でいられる訳が無いから。
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