ポヌフールにジョシュア


 ここに来てのまさかのジョシュアに僕の頭は完全にパニックになっていた。何なら覆面をしていた事すら忘れて状況の言い訳を考え始めてしまったくらいの混乱具合であった。


「頼む、それを譲ってくれ! 金なら少し余分に持ってきた! 金貨600枚だ!」


 そう言い、ジョシュアは手に持った大袋をこちらに見せる。いや白金貨で持って来いよ! まあノウィンにそんなものは無いだろうが……。


「だ、ダメ!」


「そんな事言わないでくれ! 一本くらいなら良いだろ!」


 変な裏声で明確に拒否したにも関わらず、ジョシュアは食い下がる。こんな裏声で喋る男に食い下がるのはやめろ! 何をしてくるかわからんだろうが!


「……こちらとしては嵩張る金貨が欲しいとも思わん。それに牙が欲しいなら、ギルドで買えばいいだろう」


 少し落ち着いて、普通にSランク風の威厳のある低い声(比較的)にシフトする。多分顔が見えていなければ知り合いだとは気付かれない。


「それで駄目だから頼んでんだよ! 鳩を飛ばして最寄りのギルドに確認したら、牙があるのはここだけだった! ポヌフールの13本! 今あんたが持ってるやつだ!」


 ぐ……! こいつ、ピンポイントに一日で辿り着いたと思ったらそんな小細工を……! というかお前、13本もの牙が完売するかもと思ってすっ飛んできたのか!? 心配性が過ぎるだろ!


「……まあ、お互い事情はあろうな。だがこちらにそれを考える義理は無い。さらばだ」


 とにかくもう当たり前の理屈で話をまとめて、強引に去る事にする。交渉決裂の意思を示すためにわざとらしく踵を返し、今度こそレビテーションの風を纏う。


「知りたいんだ、真実を」


 背後から、絞り出すようなジョシュアの声。


 無視して飛び立つべきだっただろう。だが体は縫い付けられたように動かなかった。


「ほんとは無駄に金を使ってまでこんな事するべきでは無いとも思ってた。村を立て直すのが第一だと」


 耳が勝手にジョシュアの声を聞いている。足は動かない。


「あいつは自由奔放なのにいつも他のやつの事を考えていた。孤児院の生活を救ったのもあいつだ。ノウィンって村はあいつのおかげでまともになった。だから俺も今は村の事を考えるべきかもしれねえ。だが……やっぱ駄目だ」


 大袋の金貨のこすれる鋭い音が響いた。


「あいつが突然消えちまったなんて納得できねえ! 理由もハッキリさせずに! 世界で一番他のやつの幸せを願っていたあいつに、そんな事が許されていいはずがねえだろうが!」


 まだ営業中のギルドの前でジョシュアは人目も気にせずに声を上げた。彼がこんなに心の内を曝け出すのを今まで見た事が無い。


 もしも僕がSランク冒険者のスバライトだったのなら、彼の事情など知ったことではなかっただろう。だが僕はただのライトだ。奴の言っている事、全て、解らない訳が無い。


「頼む……牙を譲ってくれ。言い値に足りないなら、いつか必ず返すから……」


 振り向くと、頭を下げるジョシュアの姿が見えた。祈るような必死の姿勢。理不尽な障害に食らいつく最後の抵抗。



 もう、いいんじゃないのか



 そんな気持ちが胸の奥からとめどなく溢れてきた。彼は戦っている。自分の気持ちに決着をつけるため。そして、同じ思いの全ての人たちのために。


 僕は一体何をしているんだ。


 旅に出て世界を救うはずだったステラを殺し、村の人達を欺き、そして真実に向かおうとする彼の障害となっている。


 自分が特別な存在だと、英雄になれるとずっと思っていた。なのに今の僕という人間はそこから最も遠い。世界で一番汚らわしい、間違ってもステラと交わる事の無い反対側の存在だ。


 彼に牙の一つを差し出して、それで明日来る断罪を受け入れれば、それでいいんじゃないのか。もう村に帰りたいとは思わないのか。これからずっと何年も死ぬまで彼らとは別の人生を歩み続けるのか。


「知りたいよな……真実を……」


 ジョシュアが顔を上げ、不思議そうな顔をする。夜の闇の中、対峙する人影、巨大な牙が周りに浮く。


「すまない」


 そう言い、僕は空に急浮上した。突然の事に驚き声を上げるジョシュア。それをあえて強風に巻いて耳に届かないようにする。


 頭の中がぐちゃぐちゃでもはや自分が何を考えているのかが解らなかった。ただ逃げるように空へと上がっていった。もはや町が豆粒のようになった後も、僕はいつまでも空に逃げ続けていた。

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