助っ人
私の祖母はいわゆる”みえる人”であったようで、おばあちゃん子だった私は、様々な怖い話や不思議な話を聞かされて育ちました。
そんな祖母から聞いた話。
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忙しいときの、猫の手ならぬナニかの手、という話です。
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正月準備といえば各家庭によって様々でしょうが、私の実家では餅つきが、最も大切なもののひとつに数えられています。
今でこそ機械でついていますが、私が中学生の頃までは、臼と杵を使う昔ながらの方法でした。
おまけに、私の父が「現代っ子にも伝統を教えてあげたい」という、ありがたいのかお節介なのかわからない理由で、親戚や近所の子どもを呼び集めていたため、毎年一家庭の年中行事とは言い難いほどの、大賑わいでした。
しかし子どもに体験させたいとはいっても、彼らにばかりさせていたのではいい餅はできません。なので基本は、餅をつくのは大人の男性、それを丸めるのは女性や子どもと、仕事は分けられていました。
餅を丸める際には、臼から上がった餅を手で切り分けるちぎり手と、それを成形する揉み手が必要です。
ちぎり手の作業は簡単そうに見えますが、ちょうどいい大きさに均等に切り分けたり、きれいに揉めるようにしわを作らないようにするなど、技術が必要でした。なので、ちぎり手は祖母や母の仕事で、私はいつも気楽な揉み手に専念していました。
中学二年生のときです。
その年の餅つきも朝から準備で大わらわだったのですが、事件が起こりました。父たちと一緒に臼を運んでいた母が、ギックリ腰になって動けなくなってしまったのです。
母は何事も器用にこなす人でしたから、父や私はもちろん、祖母も何かにつけ頼りにしていました。餅つきにしても同じことで、要ともいえる人物の突然の離脱に、延期しようという案も出ました。ですが、その頃には招待していた子ども達が続々と到着しており、仕方なく母不在のまま餅つきを決行することになったのです。
そこからはもう、てんてこ舞いでした。
餅をつくのは父と兄たち、ちぎり手は祖母、私は揉み手と、役割こそ例年通りでしたが、母がいないため二人分の餅を丸めなければなりません。
その上、「ぐちゃっとなったぁ」「みてみて、鼻に粉つけたんで」と遊び半分の子どもたちの監督とフォロー、ちょくちょくもち米の入った蒸し器の様子も見守り、本来ならば比ぶべくもありませんが、心象風景は野戦病院でした。
祖母も祖母で忙しく、餅をちぎる傍で揉み、揉んでははまたちぎりを繰り返し、「手があと四本いるなぁ」と苦笑していました。
次第に私は祖母や子どもたちと喋る余裕もなくなり、下を向いたまま黙々と手を動すようになりました。
三回目の餅が臼から上がった頃でしょうか、私はふと、右隣の違和感に気がつきました。
右側の餅の仕上がりが、やけに早くてきれいなのです。
はじめは、隣の子どもの腕が急激に上がったのかと驚きましたが、どうやらそうではないようです。その子はすっかり餅を丸める作業に飽きて、臼の周りではしゃぐ声が聞こえました。
では、隣で手早く餅を丸めているのは誰なのでしょう。
「見たらならんで」
思わず顔を上げようとした私を、向かいで餅をちぎる祖母が諌めました。
「放っちょきよ、手伝ってくれちょるんやけん」
祖母は下を向いたままそう言います。小さな声でしたが有無を言わさぬ響きがあり、私は慌てて手元に目を落とし、餅を揉む作業に集中しました。
祖母が餅をすべてちぎり終えたのを見計らったように、新たな餅が上がってきました。
今度はあんこ餅にするので、事前に用意していたあんこ玉を餅で包んでいきます。あんこ餅とあって、あちこちで遊んでいた子どもたちも戻ってきました。
あんこを包みながら、私はどうしても右隣が気になりました。
私の肩のあたりに、小さな頭が時々触れます。ポニーテールに結ったその頭の主は、私もよく知る近所の小学生で、さっきからあんこを包んでいるのやらあんこで包んでいるのやら、餅とあんこの塊を楽しそうにこねくり回していました。手早くきれいに餅を揉んでいるのは、確実に彼女ではありません。
「それ、自分で食べるんで」
試しに声をかけると、彼女はこちらを向いて「はーい」と笑いました。
彼女は気がついていないようでした。自分と私の間で、美しいともいえるあんこ餅がどんどんうまれているのを。
そして私は、自分と小学生女子との数センチの隙間の中に、確かにもうひとりの気配を感じていました。
不思議と恐怖は感じませんでした。「手伝ってくれちょる」という、祖母の言葉のせいかもしれません。
それに、隣で作られるあんこ餅は、本当に形がよく美味しそうで、店に出してもいいと思えるくらいだったのです。思わず自分のものと比べて、苦笑してしまうくらいでした。
あんこ餅が終わると、最後はヨモギの入ったかき餅でした。かき餅は、ついたばかりの餅を板重に流し入れて、乾燥させて作ります。つまり、ちぎり手も揉み手も必要ありません。
私は、ようやく座れるとため息をつきました。
するとそれに重ねるように、右隣からも小さくため息が聞こえたのです。
思わず横を向きましたが、そこにはもう誰もいませんでした。
「かき餅には、人手はいらんけんな」
一足早く腰を下ろした祖母が、ひとり納得した顔でそう言いました。
もち米を蒸していた蒸し器が空っぽになり、子どもたちにビニール袋いっぱいの餅を持ち帰らせると、ようやく餅つきは終了です。臼と杵を洗うのは父たちに任せて、祖母と私はさっさと休憩することにしました。
「サナちゃん、お茶入れちょくれ。三つな」
数に疑問を持ちましたが、素直にお茶の準備をします。その間に祖母は、できたばかりのあんこ餅をひとつずつ小皿に移していました。ひとつは自分、もうひとつは私。最後のひと皿は、座布団とともに部屋の隅に置きます。
私も祖母に倣い、座布団の前にお茶を並べました。
「やれやれ。今年の餅つきは、難儀やったこと」
「ねぇ。あのとき私の隣にいたのっち、なんなん?」
お茶をすする祖母に私は尋ねました。すると祖母はなんでもないように「あれは、すけさんよ」とこたえました。
「すけさん?」
「昔はよぅ来てくれよったもんやけど、最近はとんとなかったなぁ。まぁ、今日の餅つきがあんまりバタバタしよって、目に余ったんやろうねぇ」
そう言いながら、祖母は苦笑しました。
祖母によるとすけさんとは、昔から忙しくてとても手が足りないときに現れて、こっそり仕事を片付けてくれる存在なのだそうです。
ひと昔前まで、農作業はそのほとんどが人力で行われていました。「これはどうしたって、今日中には終わりそうにない」と思っていても、不思議と夕暮れまでに片が付いたときは、このすけさんがこっそり手助けしてくれたからだといいます。
「昔は、田植えでも稲刈りでもイ草を干すのでも、人手がようけ要ったんよ。今のごと、いい機械がなかったけんな。そんなときに、すけさんは来てくれよった。稲を植えるのも刈るのも、なんでも達者やったなぁ。今日の餅みたいにな」
「でも、ひとり多いのっち、すぐわかるんやない?」
「昔は大変やった分、人もようけおったけん。田植えの時期なんか、田んぼの畦を行列のごとして、みんな行ったり来たりしよったんよ。そんなやったから、誰か一人増えたくらい、みんな大して気にせんかったの。ただ、なんとなく来てくれたんかなっちわかったときは、必ずお礼をしよったよ」
祖母はちらりと、部屋の隅を見やりました。湯気を立てるお茶とあんこ餅、あれは、すけさんへのお礼だったのです。
「おばあちゃんは、すけさんを見たことあるん?」
「姿をみられたら、もう手伝いにきてくれんちいうけんな。でも昔は、おるなぁと思うことはなんべんもあったよ。今はなんでも便利になったから、すけさんも出番がないんやろうねぇ」
少し寂しそうに言うと、祖母はお茶を飲み干して立ち上がりました。
「さ。あと少し片付けが残っちょんやろ、さっさとしてしまお」
私は祖母の体力に驚きながら、台所の洗い物の山を思い浮かべてうんざりしました。
「また、すけさん来てくれんかなぁ」
「なに言いよんの、もうとっくに帰ったよ」
祖母の言葉に部屋の隅を見ると、ついさっきまでは確かにあったはずのお茶とあんこ餅が、きれいに無くなっていました。
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さて、毎年恒例だった餅つき大会なのですが、この年を最後に開催されなくなってしまいました。
理由は様々で、長兄が進学で家を離れること、次兄と私が次年度は受験生だということ、最重要戦力の母が今回の件で腰に爆弾を抱えてしまったこと、近所の子どもたちも大きくなり、餅つきに参加する年ではなくなったことなどです。
とはいっても、臼と杵を片付けただけで、餅つき自体は機械を導入して細々と続けていました。本来の、一家庭の年中行事に戻ったのです。
餅つき機を使った最初の餅つきの日、私は役割を揉み手から食い手へと自主変更し、祖母と母の休憩時間にちゃっかり割り込みました。
出来立てのあんこ餅を頬張っていると、母がふと呟きました。
「今年のもいいけど、去年のお餅は、えらく出来がよかったよなぁ」
しみじみする母を横目に、祖母と私は顔を見合わせてクスリとします。
「そりゃあ去年は、優秀な助っ人が来てくれたけん」
「なにそれ。お父さんの知り合い?」
「んー、どっちかっちゅうと、おばあちゃんの、かな」
「えぇ〜。それならお義母さん、今年も来てもらえばよかったのに」
母は、助っ人が近所の誰かだと勘違いしているようで、少しだけ恨めしそうに祖母を見ました。餅つき機のおかげでつく手間が省け、餅の量もぐっと減ったとはいえ、揉み手も減ってしまったので、やはり母はそこそこ大変だったようでした。
「ダメダメ。あん人も忙しいんやけん。機械入れてお父さんの仕事は減ったんやけん、あんた来年はよう仕込んじゃりよ」
祖母は私にそう言いましたが、私は父の不器用さを思い反論しました。
「無理よ。だってお父さん、おにぎり握るみたいにしてお餅揉むんやもん」
口を尖らせる私と隣で大きく頷く母を見て、祖母は声を上げて笑ったのでした。
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