幻のオムライス

山広 悠

第1話

幻のオムライス

 


「ねえ、知ってる?」

「何が?」

「この先の角にあるお店。そこの幻のオムライスを食べた男女は結ばれるんだって」

「へえ~」

米望花音(よねもちかのん)は気のない返事をした。


今の私にそれを言う?

以前から片思いをしていた神崎寛人(かんざきひろと)に好きな人がいる、という噂を聞いたのは、つい先週のこと。あの時は心底落ち込んだ。

今も表面上は平静を装ってはいるものの、まだ立ち直れていないし、

ましてや次の恋愛のことを考える気力なんかない。

親友の工藤茜(くどうあかね)は良い娘だけれど、こういうところが少し困る。


JK生活もあと半年で終わりなのに、これまで一切それらしい話はなかった。

花音にも過去には気になる男の子はいたが、そんな子には大抵すでに彼女がいた。

私は「略奪愛」を狙うような肉食系じゃないしね。

手あたり次第にアタックして、撃沈しても一切めげない茜のバイタリティはうらやましくもあるが、花音は空振りで終わりそうな高校での彼氏づくりを既に諦め、

大学でのリベンジを誓っているところなのだ。


「ねえ、試しに行ってみようよ」

「え~。でも、女同士で行っても意味ないんじゃない?」

「いいじゃん、面白そうだし」

「私なんかじゃなくて、祐樹(ゆうき)君を誘えばいいじゃん」

「だからよ。まずは下見をしておきたいの。ねっ、お願い」

「仕方ないな」

茜の熱心な誘いに根負けした花音は、苦笑しながらうなずいた。

「やった! じゃあ、今週の日曜の12時に駅前集合ね」

満面の笑みでそう言うと、茜は制服のスカートを翻し、駆けていった。



その日の夜だった。

茜の母親から茜が交通事故で亡くなったとの連絡があったのは。


 

お通夜からの帰り道。

花音はお通夜の席で茜の母親から渡された茜の形見をバッグから取り出した。

「茜がね、今度の日曜に花音ちゃんにあげるんだって言ってたから」

そう言って渡されたそれは、手作りのお守りだった。

ピンクのお守りの上面には手縫いで「必勝!」と書いてある。

「必勝って。恋愛は勝ち負けじゃないでしょうに」

苦笑しながらそう呟くと、お通夜の席では我慢していた涙が込み上げてきて、

花音はその場にしゃがみこんだ。



日曜日。

花音の気持ちとは裏腹に、嫌味なほどの快晴となった。

茜の生前の望みをかなえてあげようと一度は決心したものの、

一人でレストランに入ることを考えると、どうしても気が重くなる。

11時過ぎまでベッドでゴロゴロしていたが、

「花音! そろそろ出かけないと間に合わないんじゃないの!」

1階のリビングからお母さんの大声が聞こえてきた。

「わかってる!」

花音はそう返事をすると、重たい体を持ち上げた。


茜の供養も兼ねているので、まずは集合場所の駅前に行った。

約束の12時までロータリーでたたずむ。12時まであと2分。

そろそろお店に移動してもいいかな、そう思った時、

「あれ、米望じゃんか」

憧れのあの声が、すぐそばでした。

「えっ。神崎君!」

花音がずっと想い続けていた相手、神崎寛人だ。

「ど、どうして神崎君がここにいるの?」

「工藤に日曜にどうしてもここに来てくれって、言われてたんでね。

 理由を聞いても何も言わないから断ってたんだけど、

 あいつ、あんなことになっちゃっただろ。行かないのもなんだか悪い気がしてね」

「そうだったんだ……」

茜はサプライズで花音と神崎寛人を会わせようとしていたのだろう。

それで「必勝」……。

あの子ったら。相変わらずズレてるんだから。

神崎君には他に好きな人がいるんだよ。

神崎君は私なんかに誘われても迷惑なだけなんだよ。

本当におっちょこちょいで、おせっかいで、おバカなんだから。

でも、私のことを思って一生懸命段取りしてくれたんだね。

茜、ありがとう。

そう思うとまた泣けてきてしまった。


仕方ない。勇気を出してみるか。

花音は神崎に気付かれないようにそっと涙をぬぐうと、

「私も茜と待ち合わしてたの。もしよかったら茜と一緒に行く予定だったレストラン に行ってみない?」

と誘ってみた。


駅から徒歩8分くらいの場所にあるそのお店は、古びたレンガ造りで、

外壁には蔦が絡まっている。看板は出ていない。

花音と神崎は重たいドアをそっと開けた。

「いらっしゃいませ」

店内に入るとマスターらしき人の声が聞こえたが、薄暗く、

外の陽光とのギャップもあって、はっきりとは見えない。

しばらくすると目が慣れてきて、しだいに店内が見えるようになってきた。

テーブルや椅子などを含め、全てアンティーク調の調度品で統一されている。

カウンターの中にいるのが恐らくマスターだろう。意外に若い。

スラっとした細身の長身。

高校生には敷居が高いように感じられて委縮してしまっていた二人だったが、

マスターの屈託のない笑顔に誘われるように奥のテーブル席についた。


出されたお水を一口飲んでほっと一息ついた花音は、

今さらながら神崎と二人きりでいることに気が付いた。

これって。まるでデートじゃん。

そう思うと急に緊張してきて、また喉が渇いてきた。

花音はグラスの水を一気に飲み干した。


「ご注文はお決まりですか」

しばらくしてマスターが声をかけてきた。

「あの~。幻のオムライスっていうのがあると聞いてきたんですが……」

「幻かどうかは分かりませんが、当店では通常のメニューの他に、

 お客様のご要望に合わせたオムライスをお作りするサービスを行っております」

「あ、多分それだと思います! それをお願いします!」

「かしこまりました。では、どのようなオムライスにいたしましょうか」

「どのようなって……。何でもいいんですか」

「はい。具材や調理方法、味、なんでも指定いただけますし、

 細かいご希望がない場合は、イメージだけでも結構です」

「イメージだけでも、か……」

花音は神崎を見たが、神崎は少し微笑んで、任せるよ、と優しく言った。


しばらく瞑目して沈思黙考した花音は、ゆっくり目を開けると、

厳かに注文を口にした。 

「では、『必勝!転生(てんしょう)!オムライス』で、お願いします!」

神崎は飲みかけの水を噴き出した。


私のバカ、バカ。

いつもの茜とのノリで思わず口走ってしまったが、

「必勝・転生オムライス」って何よ? 

こんなお店でおやじギャグ? 

茜は実際に亡くなっているんだから「転生」って、ブラックジョークにもなっていないじゃない。

神崎君にもイケメンマスターにも完全に頭の悪い子だと思われただろう。

花音は赤面して俯いたまま顔を上げられなくなった。


「お待たせしました。お連れ様のレシピをもとにお作りしました」

果てしなく長く感じられた時間が過ぎ、マスターが料理を運んできた。

お連れ様? 誰のこと? 

少し気にはなったが、今はそれどころではない。恐る恐る顔を上げる。

目の前には比較的深めの皿にオムライスが載っている。

見た目は何の変哲もないオムライスだ。

「半分ほど召し上がったら、こちらをおかけ下さい」

マスターはオムライスとは別に、銀色の大きなドーム状の蓋を被せてあるトレイをテーブルの上に置いた。

「よし。じゃあ、さっそく食べてみるか」

相変わらず凹んでもじもじしている花音を見かねた神崎が、明るい声でそう言うと、スプーンでオムライスを一掬いし、口の中に入れた。

「お、うまいよ!」

神崎の声に背中を押されるように、花音もオムライスを一口食べる。

「おいしい……」

玉子はふわとろ。マヨネーズと牛乳が入っているのだろう。

玉子の下は、ケチャップライスではなく、しっかりしたバターライス。

刻んだパセリも入っているようで、強めのバターの味を中和させている。

不思議とくどくない。

このバターライスと半熟玉子が絶妙にマッチして、スプーンが止まらない。

先ほどまでの落ち込んだ気分も吹き飛んだ花音は、夢中で食べ始めた。

「やべっ。半分以上食べちゃうところだった」

神崎のセリフで、はっとして花音も手を止めた。

「私も危なかった」

花音と神崎は顔を合わせて思わず吹き出すと、今日初めて声を出して笑った。


「では、マスターが言っていたようにアレンジしてみますか。この下には何があるのかな」

少し打ち解けてきておどけた口調となった神崎は、そう言いながら、トレイに被せてあるクロッシュを取った。

トレイの上にはお皿が一つと、カレーポットが一つ載っていた。

一つはトンカツ。もう一つは、

「ホワイトシチュー?」

カレーポットの中には白いソース状のものが入っていた。

「まあいいや。とりあえずかけてみよう」

神崎はそう言うと、早速カレーポットの中のソースを半分残ったオムライスの周囲にぐるっとかけまわした。

「で、こいつものっけるのかな?」

先ほど半分食べて空いているスペースにトンカツを3切れ載せる。

おいしそう。

花音も神崎の真似をする。

そして、茜の分として小皿に少し取り分けると、テーブルの端に置いた。

準備が全て整ったところで、改めて二人一緒に「いただきます」と声を揃えて言うと、それぞれの皿にスプーンを入れた。

「!」

「うまいっ!」

シチューかと思った白いソースはなんとカレーだった。

じゃがいもや玉ネギ等の野菜は長時間煮て溶けてしまったのか、細かく刻んだのか、ソースの中には見当たらない。

一切固形物がないため、ホワイトソースに見えたのだ。

まろやかな旨味の中にもピリッとしたスパイシーさがあるホワイトカレーは、

それだけで食べてもおいしいが、オムライスのバターライスと玉子と合わさると、複雑な味を醸し出す。

いけない。また手が止まらなくなってきた。

「でも、ホワイトカレーにカツは合うのかな?」

一気に食べ進めるのを自制するように神崎がそう呟く。

その声で花音もなんとか手を止めることができた。

「よし、じゃあ、カツと一緒に食べてみよう」

神崎と花音は、カレーとオムライスを載せたスプーンを右手に持ち、

カツを突き刺したフォークを左手で持つと、同時に口に放り込んだ。

「!!」

怒涛なような旨味が口中に溢れる。

元々複雑な味に満ちていたオムカレーに、ジューシーなカツの肉汁と油がさらに旨味を追加してくる。

それだけではない。

このカツは限りなく柔かな食感のオムカレーに、「サクサク」という心地よい異分子を挿入して、「ふわっ」と「さくっ」の相反する食感の競演を実現させているのだ。

花音と神崎は陶然とした。

そして、一口目をじっくり味わうと、そこからは競争するかのように掻き込み始めた。


「あ~。おいしかった」

一気に食べ終えた二人は同時にスプーンを置いた。


「そういえば、この料理って君が考えた『必勝!転生!オムライス』って名前だったよね。どこが必勝・転生なんだろう。『転生』はオムライスからオムカレーに生まれ変わることだと思うけど……」

あれ、そういえばそうだね。

自分で言っておきながら、あまりのおいしさにそのことについてはあまり深く考えていなかった。

神崎の問いに、改めて料理と料理名の関連について思いを巡らした花音は、

マスターが言っていた「お連れ様のレシピ」とのセリフを思い出し、

はっと気が付いた。


『生まれ変わったような、純白でピュア(ホワイト)な気持ちを、彼(カレー)に伝えて、最後には勝つ(カツ)!』


茜の奴。私のダジャレネーミングにダジャレ料理で返してきたな。

そう思うと、じわじわとおかしさが込み上げてきた。


やっぱり、私たちは親友だね。こんなに気の合う友達は一生できないよ。

そうか、マスターにレシピを渡したんだね。

てことは、茜、ここにいるの?

花音は周囲を見まわしたが、当然ながら姿は見えない。

おかしさの次に、今度は急に悲しみが胸に溢れてきた。


なんで死んじゃったのよ。

このオムライスを食べて、祐樹君に告白するって言ってたじゃん。

私の応援をしている場合じゃないでしょ。


でも、あのオムライスを食べたんだから、絶対転生するよね。

だったらいつかまた絶対、絶対会えるよね。


シリアスなシーンでダジャレで返してきたおかしさと、

茜を失った悲しみが体中を駆け巡り、

花音は涙をぽろぽろと流しながら、お腹を抱えて笑った。


涙で滲んだ視界の先に、不思議そうにこちらを見ている神崎と、

にっこり微笑んでピースをしている茜が見えた。



                                  【了】

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幻のオムライス 山広 悠 @hashiruhito96

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