第30話「独特な世界観をお持ちの令嬢」





(あの令嬢は確か、天角獣アストラコルヌの名前を知っていた女だな。なぜ逃げていないのか)


 ドレスを振り乱し息を切らしながら駆けてきた女を見て、ローリーは怪訝に思った。上空には異様な気配を放つ巨大な蠻獣が浮かんでおり、その蠻獣はここを睨みつけている状況だ。そんなところにのこのこ戻ってくるとは死にたいのだろうか。

 もしかしたら聖教会の関係者なのかもしれない。それならば死にたいと思うのも納得出来る。理解は出来ないが。


「……お前、もしかして死にたいのか?」


「はぁっ、はぁっ、はぁっ、──はぁっ!? し、死にたいだなんて、はぁっ、はぁっ、そんなはず、ありませんでしょう! 貴方お馬鹿なんですの?」


 馬鹿というのは、ダミアンから教わらずとも知っていた。よく言われる言葉だからだ。主に傭兵団の仲間たちが使っていた。「しゃあねえな! お頭はお馬鹿だからなあ!」とか、そんな感じに。

 敵対した相手から言われた事はない。「化け物」とか「悪魔」とかならよく言われていたが。

 良い言葉ではない事はもちろん知っていたが、ローリーは少しだけ懐かしい気持ちになった。まだ数ヶ月だが、傭兵団の皆に会いたくなってくる。休暇としていつまでヴォールト城にいて良いのかは聞いていないが、そろそろ一度帰った方がいいかもしれない。


 そういう理由からか、ローリーはこの令嬢について先の男爵令嬢ほどの嫌悪感は抱かなかった。馬鹿と言う言葉だけでなく、それとは別にどこか懐かしい匂いがする気がしたからかもしれない。

 これはダミアンではなく連邦の怪しいシャーマンから教わったことだが、匂いというのは人間が物を記憶する上で非常に重要なファクターであるらしい。単に目や耳で覚えただけの事よりも、匂いや味を伴って覚えたことの方が忘れにくい傾向にあるそうだ。だからこそ、怪しいシャーマンたちは人の記憶を書き換える呪術を行なう際に強烈な匂いを発する薬物を使うのだそうだ。


 どこで嗅いだのかは思い出せないが、悪くない気分である事に変わりはない。

 ローリーはとりあえず素直に謝っておいた。


「そうだな。まともな頭をしている人間なら、死にたがるはずなどないか。ダミアン殿もいつかそう言っていたし。それについては謝罪しよう。すまなかった」


「わ、わかれば別に……。というより、ダミアン殿? そちらの彼は貴方の従者なのではなくて? 従者に敬称を付けるのは──」


「おっと、わかっているとも。油断するとつい出てしまうのだ。聞き流してくれ」


「……もしかして、プライベートな場では立場が逆転するとか、そういう何かねっちょりした関係だったりするのかしら?」


「……ねっちょり?」


「──あの! 今はそんな話をしている余裕はありませんよ! それより、さっき貴女がおっしゃっていた事はどういう意味なのでしょうか。角を破壊しろだとか特殊……ガウン? がどうとか……」


「ガウンではなくてダウンでしてよ。つまり、アストラコルヌは角を破壊することで大地に叩き落としてやる事が可能なのですわ。さらに、その方法で大地に叩き落とした場合、全身を覆っている甲殻や鱗が柔らかくなってダメージが通りやすくなりますのよ」


「……すみません、ちょっと何を言ってるのかわからないのですが」


「んもう! ですから──」


「いや大丈夫だ」


「あら。わかってくださいましたの?」


「いや、何を言っているのかわからないのは確かだが、何をすべきかはわかった。とにかくあの蠻獣の角を叩き折ればいいのだろう。なぜお前がそんな事を知っているのかは知らないが、やってみればそれが正しいかどうかはわかる。どのみち普通に攻撃したところで手詰まりなのだ。やって損はない」


「──はぁっ、はぁっ、はぁっ、あ、あの、貴方ね、こちらにおわすお方を一体どなただと──」


 謎の令嬢を追いかけてきた侍女がローリーに食って掛かってきた。


 確かに、ローリーはこの国では王族以外にへりくだる必要がない公爵家の係累であるが、この令嬢が王族ではないと決まったわけではない。

 ダミアンの推理によれば、この日ヴォールト城に訪れていた客はアポイントメントもなしに公爵の城を訪れる事が出来、しかも公爵であっても無視が出来ない大人物であるとの事だった。

 それがこの令嬢のことであるとしたら、王族の可能性も十分にある。いや違ったとしても、公爵が一目置かねばならない相手ならローリーが無礼を働くわけにもいくまい。


「……これは失礼をした、ご令嬢。戦闘中という事もあり少々気が立っていたようだ。貴女がやんごとなき身分であるなら、私の取った態度は相応しいものではなかったな。謝罪する」


「構いませんわ。ええと、ローリー様とおっしゃいましたかしら。ここではお互いその正体は謎。ただアストラコルヌを倒すためだけに集まった同志たち。それでよろしいではありませんか。そういうことだから、貴女も気にしては駄目でしてよ、ハンナ」


「……かしこまりました。お嬢様」


「ふむ。どこのどなたかは存ぜぬが、中々良いことをおっしゃる。では、あの蠻獣を倒すために各々手を尽くすとしよう。さしあたって私の役割は、あれの角を破壊することだな」





 ◇ ◇ ◇





 再びひとりアストラコルヌへと向かって行ったローリーを見送り、ダミアンはローリーが角を破壊するのを待つ事になった。


 とりあえず手持ち無沙汰なダミアンは、両袖から数本の棒を取り出し、棍を組み立てた。蠻獣と戦う際に使っていたものだ。ダミアンの本職は従者であるので、普段目立たないように携帯でき、かつ素人でも扱いやすい打撃武器ということでローリーに勧められたものである。

 刃物の場合、慣れていない人間がいきなり蠻獣の皮膚や鱗を傷付けるのは難しいらしい。その点打撃武器ならば殴ればいいだけなので簡単だ。遠心力を利用しているのでダミアンが非力でもある程度のダメージは見込めるし、分割構造であるため敵が硬すぎたとしても衝撃が全て手元に返ってくることはない。


 ローリーが角を破壊し、アストラコルヌが特殊ダウンとかいう状態になったら、これでダミアンも攻撃に参加するつもりだった。ローリーに比べれば雀の涙ほどのダメージにしかならないだろうが、無いよりはマシである。


「あら。それはもしや三節棍ですの? いえパーツが4つに分かれてますから四節棍かしら」


「……基本的に一本の棍として使いますが、まあそういう使い方も出来ます」


 ダミアンの棍を見て、謎の令嬢が興味津々に話しかけてきた。

 かと思ったらキョロキョロと辺りを見回し始めた。何をしているのだろう。


「……虫はおりませんの?」


「は? 虫ですか? いや、どうでしょう。辺境ですし、探せばいるとは思いますが……。なぜ今急に虫の話を……?」


「いえ、いないのでしたらいいのですわ」


 いや探せばいると言っているだろうに。本当に何だというのか。虫が好きな令嬢とか聞いたことがない。

 例の男爵令嬢のように、いかにも世間知らずの令嬢然とした考え方と振る舞いをされるのも迷惑だが、この謎令嬢のように不思議な世界観で生きているというのも困りものだ。

 これでは侍女も苦労するだろうな、とハンナと呼ばれていた少女を見ると、いかにも「主人に振り回されて苦労しているのだろうな」という目付きの視線とぶつかった。お互い様か。


「それより、ご令嬢とそのお付きの方は離れていた方が良いかと思います。ここは危険です。ローリー様と蠻獣の戦闘の余波はここまで届く恐れがあります」


「あら。大丈夫でしてよ。私もいざという時のために、家の騎士たちにお願いして戦闘力の向上のための訓練は行なっておりますもの。蠻獣だって何度か倒したこともありましてよ。まああれほど大きなものは見るのも初めてですけれど」


 家の騎士、とか言っている時点で、王都に居を構える貴族家の令嬢であろう事は確定だ。お互いの正体は謎のままにする、とは何だったのか。なぜ積極的に個人情報を開示していくのか。

 しかし、いざという時のためというのは少々気になる。そのような事を考えながら生活している貴族令嬢はいない。いざという時が来ないように騎士や兵士らは日頃備えているはずである。生まれた時からそういう状況なのだから、考えもしないというのが普通のはずだ。

 常に守られているはずの令嬢でさえそんな事を考えついてしまうような、何らかの問題を抱えている家なのだろうか。


「……もしや、戦闘に参加されるおつもりなのですか?」


「もちろんですわ! こんな機会、滅多にあるものではございませんもの! アストラコルヌの素材があれば、雷属性最強の弓が作れるようになりますのよ!」


「お嬢様! そのような危険な事はさせられません! それに弓など作ってどうするのですか! そんなもの触ったこともないでしょうに!」


「……そういえばそうでしたわね。まあでも、ダウン取ってから魔法で攻撃するだけですから、そんなに危険な事はございませんわ」


 弓を触ったこともないのに欲しがっているのか、この令嬢は。しかも、伝説級の蠻獣の素材を使って作るようなものを。


 とはいえ、貴族が魔法で援護してくれるというのは正直助かる話である。この領の法兵隊はローリーが全滅させてしまったし、ヴォールト公爵家には今魔法戦力がいない。あの蠻獣に対してどうなのかは不明だが、もし魔法が有効なようならダミアンの棒叩きよりはローリーの役に立つだろう。






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