第28話「天角獣」





「ローリー様、先ほどの貴族のご令嬢に何か……?」


「ああ、いや。彼女は上空のあれを知っているようだったのでな。あれは何しろ、数十年だか数百年だかに一度しか姿を見せることがない。狩人ハンターギルドの資料室でも埃を被っていた古い書物にしか載っていなかったくらいだ。よく知っていたなと思ってな」


 そういえば、とダミアンも思い出す。

 彼女はローリーに声をかけられる前、あの天災を見上げて意味の分からない言葉を呟いていた。

 どうせまた現実が見えていない貴族令嬢の戯言だろうと聞き流してしまったが、もしかしたらあれも役に立つ情報だったのだろうか。


「あ、あの、ローリー様、実はですね──」


「それよりも、ダミアン殿。貴殿も早く避難したほうがいい。やはりあれは私を狙っているようだ。私から離れれば、そうそう死ぬことは無いはずだ」


「えっ」


 ダミアンは一瞬何を言われたのかわからなかった。

 かつてあれほど嫌がるダミアンを蠻獣の巣へと連れ回していたローリーの言葉とは思えない。

 確かにあれのせいでダミアンは蠻獣に対しトラウマを植え付けられたし、蠻獣の気配に敏感にもなった。正直に言って蠻獣など二度と見たくない。

 しかし、それでも、主君であるローリーがそこへ向かうというのなら、付いていかない選択肢はない。


「ダミアン殿。先ほど私はあれについて、興味を惹かれたものに向かってくる性質があると言ったな。これはうまく説明出来ないのだが、あれが興味を惹かれたのはおそらく私の『感情』だ。これまで感じた事のないほどの、じりじりと身を焦がすような苛立ち。その昏い輝きを目指し、あれはこの地に降り立ったのだ」


「い、いや、感情の……昏い輝き? を目指してやってくるとか、どういう……」


 あの時ローリーが滲ませていた威圧感は確かに圧倒的なもので、近くにいただけのダミアンも冷や汗で全身びしょ濡れになってしまったほどだった。

 とはいえそれは近くにいたから感じられた事である。地上からでは見えないような遥か上空からそれを感知できるとはとても思えない。

 しかも、あのアストラコルヌとやらは非常に大きい蠻獣だ。あれにとってはローリーのような人間など、至近距離でも爪の先程度にしか見えないだろう。人間に換算すれば、城の屋上から地上のネズミを見つけ出すようなものである。荒唐無稽と言う他ない。


「うむ。申し訳ないが、言った通り私にもうまく説明が出来ない。だが間違いない。何と言うか、その感情の湧き出す源泉と同じところにあるナニカが私にそう囁いている。とでも言おうか。

 とにかく、あれは狩人ギルドに天災として記録されているほど危険なもので、しかも私を狙っている。ダミアン殿は逃げてくれ」


「そ、そんな」


 ローリーの口からはっきりと「危険だ」と言われたのは初めてだった。

 彼はいつでもどんな時でも泰然自若としており、ダミアンからすれば絶望的だと思われるような事でも涼しい顔で片付けてきた。

 蠻獣の討伐とてそうだ。

 空に浮いているあの程度の大きさの蠻獣ならば、ローリーはたったひとりで掠り傷ひとつ負わずに倒しきった事もあった。

 ところが、そのローリーが「危険だから逃げろ」と言っている。

 あの蠻獣は、大きさだけではその恐ろしさを推し量る事は出来ないらしい。


「ロ、ローリー様は……?」


「私は逃げんよ。先ほども言ったが、あれを狩るのは私の仕事だからね。それに、どこに逃げてもあれは私を追ってくる。ならば逃げても無駄だ」


 そう言うと、ローリーはひとり、蠻獣の方へと歩き始めた。

 両手にはいつの間に取り出したのか、愛用の短剣を2本握っている。


「……ローリー様……」


 逃げるべきだ。

 ここにダミアンがいた所で、何が出来るわけでもない。

 ダミアンは確かにローリーの従者だが、あくまで彼のサポートをするのが仕事である。衣服や食事の用意、寝床の確保、装備品のメンテナンスや消耗品の補充などだ。一般常識の授業もある。

 しかしそれらはいずれも今すぐに必要なものではない。

 むしろこの場にサポート役のダミアンがいた所で足を引っ張るだけだろう。

 事実、蠻獣に対するトラウマかそれとも純粋にあの蠻獣が規格外だからか、今も足が竦んで膝が笑っている。


 そうしている間にも、ローリーの後ろ姿はどんどん小さくなっていってしまう。辺境なだけあって無駄に土地だけは広いため、領城の庭から出るほどではないが、もう今から追いかけるのは難しいだろう。何より、足が前に進もうとはしない。


 上空の蠻獣はローリーが言った通り、彼だけに注意を払っているようだ。その視線が徐々に下がっていくのが見える。足元に近寄るローリーを見ているのだ。

 そして、近づいてきたローリーに対し、伝説の蠻獣が咆哮を上げた。

 その咆哮は声というより、もはや衝撃だった。

 かなり離れていたはずのダミアンでさえ、空気の壁に叩かれよろめいた。耳が馬鹿になってしまった。しばらくは何も聞こえないだろう。

 そして、そうなってさえ動こうとしない自分の足に嫌気がさした。


 そこでようやく気がついた。

 放っておけば向かってきただろう蠻獣に、ローリーがわざわざ近寄っていった理由に。

 あれは、足が竦んで動かないダミアンから、蠻獣の意識を遠ざけるためだったのだ。

 これだけ離れていれば、蠻獣とローリーが多少暴れた所で、余波で簡単に死んでしまうような事はないだろう。


 咆哮を終えた蠻獣がローリーめがけ急降下するのが見える。


 天角獣アストラコルヌとローリー・ヴォールトの戦いが始まった。





 アストラコルヌの急降下突撃を、ローリーは軽やかに躱した。

 距離が相応に離れていたお陰だろう。ローリーの動きもはっきりと見ることが出来た。どう見ても当たったと思ったのだが、彼は突き出されたアストラコルヌの前脚に短剣の一撃を合わせ、同時に大地を蹴る事で、その2つの反動を利用し回避したようだ。


 回転しながら後ろ斜め上に飛んだローリーは、回転の勢いも利用して左手の短剣を投擲した。短剣は真っ直ぐにアストラコルヌの目に飛んだ。

 しかしアストラコルヌは咄嗟に目を閉じ、短剣を防ぐ。あの短剣は蠻獣の素材で出来ているため、常識を超えた鋭さを持っているが、短剣の刀身では瞼を貫通する事は出来なかったのだろう。刺さりはしたが、眼球にダメージが入ったようには見えなかった。


 しかしローリーの狙いは眼球への攻撃では無かった。

 投擲した短剣とローリーの腕は、細い紐のようなもので繋がっている。ローリーはそれを手繰り寄せ、自らの身体を一瞬にしてアストラコルヌの眼前へと移動させた。

 さらに最接近した瞬間に右手の短剣でアストラコルヌの眉間を斬りつけた。

 瞼さえ貫けない短い刀身ではこれも大したダメージにはならないかと思うかもしれないが、ローリーの斬撃は時に物理法則をも超えるのだ。事実、これまでに彼はこのアストラコルヌと同じ程度のサイズの蠻獣の尾をあの短剣で斬り飛ばした事さえあった。


 案の定、アストラコルヌの眉間から赤い血が吹き出した。

 ローリーは蠻獣の鼻先でくるりと回転しながらなおも顔を斬りつけ、左目の短剣を回収すると、そのまま回転を続けてアストラコルヌの顔中をズタズタに斬り裂いた。


「──ガアアアアアアア!」


 アストラコルヌもさすがにこれにはたまらず咆哮を上げる。いつの間にかダミアンの耳は復活していたらしい。しかし先ほどのような衝撃は来ない。衝撃波を伴う咆哮とそうでない咆哮があるらしい。今のは衝撃波を伴っていない、ただの鳴き声だ。

 蠻獣は人間に顔に乗られているのを嫌がり、鳴きながら頭を振る。

 ローリーは振り落とされるのを避けるため、蠻獣の頭の動きに合わせて自ら飛んだ。さらに再び左手から短剣を投擲し、今度はアストラコルヌの翼の付け根に突き刺して移動する。

 そして翼を斬り落とさんばかりの勢いで、両手の短剣を振り回し滅多斬りにした。


「──グオアアアアアアア!」


 アストラコルヌは身を捩り、再びローリーを振り落とそうとするが、相手が背中では頭部ほど上手くはゆかず、ローリーが振り落とされる事はなかった。

 とは言え、暴れ回る蠻獣の背中によくしがみついたままでいられるなと思ってよく見てみると、ローリーはアストラコルヌの背中に両手の短剣を交互に突き刺し、それを楔に耐えているようだ。

 しかも、そこはローリーによる一撃である。刺突の衝撃はアストラコルヌの体内を突き抜け、胸にまで刃の幻影が見えるほどであった。

 もはやどうやってそんな事をしているのかわからないし、アストラコルヌもなぜそれで生きていられるのかもわからない。あの刃の幻影はあくまで幻影であって、実際に貫通しているわけではないからだろうか。


 圧倒的なサイズ差があるにも関わらず、戦闘はローリー優勢で進んでいるように見える。何しろローリーはまだ蠻獣から一撃ももらっていないのだ。

 ローリーをして「危険だ」とまで言わしめた伝説の蠻獣とはこの程度なのだろうか。

 いや、そんなはずはない。

 ローリーはあの蠻獣について、狩人ギルドで埃を被っていた資料に載っていたと言っていた。そこで見たからというだけで、それを全面的に信じてあそこまで警戒をするだろうか。ローリーが危険だと言ったのは、あの蠻獣を直接目にした事で何かを感じていたからではないのか。


 だとしたら、このまま終わるとは思えない。

 何かあるはずだ。


 そう考えながら改めてアストラコルヌを見てみると、気のせいか、天角獣という名前の由来になったであろう巨大な角の色が、少し変化しているように見えた。

 あの角は確か、最初はもっと黒々としていた気がする。

 それが今は少しだけ金色が混じっているような──いや、はっきりと金色に光っている。

 しかもその輝きは、ローリーがアストラコルヌの背に短剣を突き立てる度に増してきているように見える。


 あれは絶対にやばいやつだ。






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エヴァ嬢「生身でフレーム回避する貴族が居るってマジですの?」


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