第27話「邂逅」
ヴォールト公爵領といえば、悪役令嬢エヴァンジェリン・コンクエスタにとっては忌むべき土地である。
ゲームのエヴァンジェリンが最終的に断頭台の露と消える場所はグロワール王国王都であるが、聖女シャーロットたちに捕らえられる場所がそのヴォールト公爵領だったのだ。
シャーロットたちを亡き者とするための工作で色々な場所に移動もしていたのだが、拠点となっていたのがヴォールト領だったからだ。
これは公爵家の長男ディランが不在の間、アーロンが公爵を唆し帝国と密通させるのに都合が良かった事や、実際に帝国と通じるためには物理的に交易路が通じているヴォールト領で活動する必要があった事などが理由であった。
シャーロットと主人公とそのお供が盗賊団と戦うとなれば、将来の事を考えると驚異となりうるシャーロットの戦闘力は確認しておきたかった。
幸い「聖女」という限られた称号はすでにエヴァンジェリンが与えられている。この称号は一国に一人だけと決まっているので、シャーロットが聖女の名の下に軍事行動を取る事は出来ない。
しかし、シナリオの強制力とか何かそういう不思議なパワーで、聖女の称号以外のものを使ってシャーロットが兵を集めないとも限らない。
実際、シャーロットは地元では「小聖女」などと呼ばれているらしかった。小聖女とは、聖女がすでに他にいる時に別の人間を聖女的なアイドルにしたい時に、地方の聖教会支部などが苦し紛れに生み出す「聖女っぽい称号」のひとつだ。過去には他に「プチ聖女」、「ミニ聖女」、「マメ聖女」などがあったと聞いたことがある。それは本当に称えているのか。
それはともかく、そういった事情を考慮すると、エヴァンジェリンがヴォールト領に入るというのは自らシナリオに寄せていく行為にもなりかねない。
しかし悩んだ末、エヴァンジェリンは思い切ってヴォールト領へ行ってみる事にした。
エヴァンジェリンが盗賊団の情報を得たタイミングから考えると、シャーロットたちはすでに盗賊団の討伐を終えていてもおかしくはない。
いかにシャーロットと言えど、他人の領地、それも公爵家という大貴族の領地に勝手に入って勝手に賊を倒すなどという奇行に出るとは思えない。
常識的に考えれば、最低でも領主のルーベン・ヴォールト公爵に一言挨拶くらいはするはずだ。
ゲームではそのような描写はほとんど無かったが、シミュレーションRPGのインターミッションには他にプレイヤーに共有すべき情報がいくらでもあった。そのような、世界観に厚みを持たせるフレーバー的な意味しかないような会話はオミットされてしまったのだろう。
というわけで、エヴァンジェリンはまずヴォールト領城に挨拶に出向く事にした。
名目はボランティア支援金増額の礼だ。
エヴァンジェリンにとって支援金などどうでもよかったし普段はいちいちそのような事はしないが、礼をしたらおかしいというほどの事でもない。相手が王国内で王族に次ぐ大貴族であればなおさらだ。
しかし、ヴォールト公爵はシャーロットの事など全く知らないようだった。
男爵とは言えクラヴィス家は古い家柄なので、その令嬢の存在くらいはかろうじて知っていた様子だったが、盗賊団の討伐に来ているかもしれないなど全く寝耳に水だと言わんばかりの顔をしていた。
この地に出た盗賊団にちょっかいをかけに来ているかもしれない、とエヴァンジェリンが言った時の、公爵のあまりの驚きぶりはとても演技とは思えなかった。逆に何をそんなに驚くことがあるのかと不審に思えたくらいだ。
そしてその盗賊団だが、なんとエヴァンジェリンが領城に到着したときにはすでに捕縛が完了していたらしい。
シャーロットの存在を認知していなかった公爵が盗賊団を捕らえているのなら、シャーロットたちが盗賊団と出会う前に、すでに事件は終息していた事になる。
それならそれで何も問題ないか、ととりあえず公爵家の兵士を褒めておくと、公爵は急にそわそわし始めた。
公爵の落ち着きが無くなったのはエヴァンジェリンが公爵家の兵士を褒めてからである。
盗賊団と公爵家の兵士、あるいはそれに加えて小聖女たちの間に、何かあるのだろうか。
妙にそわそわする初老のイケオジと対面で雑談という、何らかの料金が発生するサービスかどうか非常に微妙なラインの時間を過ごしていたところ、応接室の扉が突然開かれた。
「こ、公爵閣下! 空に、空に……ドラゴンが!」
◇
「……ええ……。何ですの、あれ……。あれではまるで、違うゲームの……そう、まるで……狩りゲーのラスボスでは……」
エヴァンジェリンが転生した、と思っていたゲームと同時期に発売された別メーカーのゲームに、他のプレイヤーと共闘して大型モンスターを狩る人気ゲームの続編があった。
天空より舞い降りてくるその威容は、まさにその狩りゲーのパッケージイラストそのものだ。
あのモンスターの名前は確か──
「……天角獣、アストラコルヌ……でしたかしら……」
「──ほう。知っているのか。この場にいる者で、見ただけでわかったのは私とお前だけのようだ。確かにあの手の資料は貴族ならその気になればいつでも閲覧できるが……」
まさか返事があるとは思わなかった。
今の言葉は無意識のうちに、ほんの小さな声で口の中でだけ呟いたようなものだった。
それが聞こえるとなると、よほど近くに居なければ無理だ。しかし、その返事は少し離れた場所からだった。
どういう耳をしているのか、この返事の主は。
そう思いながら振り向くと、エヴァンジェリンを静かに射抜く金の瞳と視線が交差した。
まったくの無表情ながら、どこか面白がるような雰囲気でエヴァンジェリンを見つめる美しい男。
彼を初めて見たエヴァンジェリンがまず思ったのは。
(赤っ! 何この男、赤っ! え? え? 人間がこんなに赤いことってあります?)
兵士や使用人たちがかなりの人数ごった返しているこの中庭にあって、ただひとり、自ら輝いているかの如く目立っている赤い男。
目立っているのは赤さだけが理由ではない。その金の瞳もだ。
よく見れば瞳の金ぴか具合も飛び抜けている気がする。何なら鋳造したての金貨よりも眩しいほどだ。
これほど目立つ容姿をしているというのに、他の者たちはとくに騒ぐ様子もない。ということは、彼がヴォールト領城にいるのは日常的な光景なのだろうか。こんな男が日常的に庭にいたら、花壇のバラがへそを曲げてしまうのではないか。
と思ったが、どうもそういうわけではなく、赤い男はエヴァンジェリン以外はそもそも誰も気づいていないらしかった。
つまり、気配を消した状態で、エヴァンジェリンにだけわかるように声をかけてきた、ということだ。なんだそれは。ゲームじゃあるまいし。
(ていうか……この人……どこかで会った、ような……?)
「──ローリー様。貴族のご令嬢とお話をされている場合ではございませんよ。あの上空の蠻獣はどうするのです?」
「ああ。すまないダミアン。もちろん、狩るさ。以前に公爵閣下に言われた『領内の蠻獣を狩れ』という命令は未だ撤回されていないからな。対象が居なくなったから中断していただけだ。新たに現れたのなら、それを狩るのは私の仕事だ」
赤い男──ローリーと言うらしいが、エヴァンジェリンの記憶にはない名前だった──は従者らしい青年を連れてその場から去っていき、少し離れたところにいたヴォールト公爵に話しかけた。
そのまましばらく話をしていたようだったが、やがて公爵が
当然、客人であるエヴァンジェリンはまっさきに退去させられた。
人混みの隙間からわずかに見えた中庭には、赤い男とその従者の2人だけが残っていた。
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