盤外の指し手

春野仙

プロローグ

「神童」


「悪魔」


 深淵を彷彿させる暗闇が無限に伸びる空間には、八十一マスの板が浮かび上がっていた。


 誰もいないはずの周囲から無数の声が聞こえてくる。


 正面に浮かぶ影は顔が見えないのに、自分を睨んでいると確信できた。


 そして、相手の怒りの原因は自分がこの光景を見ていないことであるとも。


 徐々に周囲の喧騒が大きくなる。


 そして……。


 けたたましい目覚まし時計の騒音によってゆっくりと意識が覚醒した。


「……夢か」


 まあ、夢だな。頭の悪い呟きは寝言ということにしておこう。


 昔から何度も見た夢。


 俺が選ばなかった世界。


 重要なのは仮定ではなく結果だ。


 勝負で重要なのは勝ち負けだし、自分の望まない結果になったからと言って過去を恨むのは時間の無駄。


 だからこそ、俺は結果主義を自称するのだ。


 そう自室で一人、いつもの言い訳をしてからベッド横にある箱に目を向けた。


 そうだ。これのせいで久々に変な夢を見てしまった。


 パッケージにはWSC(世界将棋クリエイターズ)という名前が書かれていた。


 どうでもいいが、このパッケージイラストで地球を背景に王将が描かれているだけに「地球を侵略しましたよ!」とアピールしているように見える。このゲームのお陰で将棋の競技人口がチェスや囲碁を上回ったのだから一周回って正しいのかもしれないが、多方面からクレームが多いというのが開発者インタビューで話題になっていた。


 このWSCというゲームは十数年前に実現した現代科学の結晶、VRゲームの一つである。


 3年前、最新AIの導入によって技術の安定化と仮想世界における現実の再現が飛躍的に向上したものとして発表されたのがこのWSC。


 内容は単純でVR世界で将棋を指すというだけだが、これにより歴史あるネット将棋が抱えていたマナー違反やソフト指し、感想戦などの問題が一挙に解決されることとなった。


 また、WSCはそんなネット将棋界に革命を起こした一方で、将棋は完成されたゲームという事実がある。


 つまり、運営は暇を持て余したのだ。


 そうして彼らは、将棋以外の要素としてアイテムや衣装、食事に宿などのやりこみ要素に全力を注ぐ結果となった。今となってはプレイヤーの半数近くが、将棋以外の要素を中心に遊んでいるという、もう一つの現実となりつつある。


 俺はもう二度と将棋に関わらないと決めていた、なのに……。



[WSCの聖稜館で待っている。君はもうこの世界に関わりたくないだろう。でも、どうしても君に見せたいものがあるんだ。そして、どうか僕を裁いてくれ]



 未だにこの自分勝手なメールの送り主には腹が立つ。文句を送り返そうにもメイラーデーモンさんに阻まれて届かないし、昔の伝手を辿るほどの案件かと言われれば否だ。


 そしてあの人が恩人という事実。最後の文言の真意は測りかねるが、このメールを無下にはできない。


 だから、俺はできるだけ早くこの世界で目的を果たし、さっさと売り飛ばすことを誓った。


 俺は机の家族写真を何となく倒すと、箱の中からVRの装置を取り出して専用の手袋と靴下で準備する。


 どうせ時間もかからないから栄養剤は必要ないだろう。これを飲めば最長三日間食事が不要だが、何より味がマズいのだ。


 代わりに部屋にストックしていたブロック状の簡易栄養食を野菜ジュースで流し込むと、ヘルメットを装着してベッドに横になった。


 手袋に付いているスイッチを入れると、二度寝をする様に少しずつ意識が遠のいていった。

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