種を蒔く

「はあ……」

 昼下がり、春の暖かい公園のベンチで男は大きくため息をついた。ずいぶん長いこと座っていたので、そのため息が肉体的な疲れからのものなのかそれとも他の何かなのか、男にもよく分からなかった。


「おじさんどうしたの?」

 6、7歳くらいの大人しそうな男の子が男に話しかける。男は唐突な幼い男の子の登場に内心驚いたものの、それが表情に出ることはなかった。

「ああ、なんでもないよ。邪魔して悪いな」

「ううん。話聞かせてよ、友達みんな帰っちゃって僕暇なんだ」

 見ればさっきまで走り回っていたと思っていた子供の姿が無い。

「ははは、俺の話なんか面白くないぞ。君、学校は楽しいか?」

「楽しいよ。でも今はおじさんの話聞きたいな」

「うーん、そうか……」


 男は、なんだか隣に座った男の子と初めて会った気がしなかった。それに孤独を感じていた男には、初対面の、しかも年上である自分に臆せず馴れ馴れしく話しかけてくる図々しさが心地よかった。不審者だと通報されるかもな、と一瞬不吉な予感がしたが、すぐにどうでも良くなった。男は男の子の顔を見ることはせずに、ポツリポツリと話し始めた。


 仲のいい友達がいたこと。小さい頃からの長い付き合いで、暇があれば一緒にいたこと。自分の家族と呼べる者はもういないし、友達と呼べるのは彼くらいしかいなかったこと。二人で馬鹿なことをした。二人で笑い合ったし、悔しくて涙を流したこと。男の人生は全て彼と分かち合ってきたということ。最後に、彼はもういないということ。男は途中から気づかない内に涙を流していた。

「悪いな、こんな話ししちまって。」

「ううん、楽しかったよ」

「そうか、俺もちょっと楽になったよ。ありがとな」

「ねぇ、僕が誰だか気づいてる?」

「……え?」

 男が顔を上げると、隣にいたはずの男の子はいなくて、桜が風に揺られているだけだった。



 翌日、日が落ち切ってから男は何かを期待して同じ公園に向かった。昨日と同じベンチに腰掛ける。見慣れた光景だった。かつての親友とは、何かあればいつもここで話をしていた。だから本当は、昨日の男の子の正体は分かっていた。でも、だからこそそれに気づかない振りをした。ビニールから自分の分の缶コーヒーと、赤いパッケージの黒い炭酸飲料を取り出す。そうして男は、缶に口をつけてしばらくぼーっと佇んだ。


 ふと隣でプシュッ、とまるで炭酸の入ったペットボトルを開けるかのような音がした気がした。男は昨日と同じように隣を見ることもせずに話し始めた。

「昨日話してたそいつのことなんだけどさ」

「うん」

「思えばあいつからたくさん大切なことを教えてもらったよ」

「うん」

「いっつもそうなんだ。あいつは、とにかく優しい。だから俺が傷ついてる時に慰めとか滅多に言わないんだ。その代わりにその傷との向き合い方を教えてくれた。ずっと一緒だったから人生経験なんて大して変わらないはずなのに、あいつはいっつも正しくて優しいんだ」

「……」

 男は小さく息を吸い込んで言った。

「最後までありがとな。お前がいないってのは間違いだ。俺の中で、俺の隣にいる。教えてくれてありがとう」

 男は、隣に置いた未開封のままのペットボトルを持って歩き出した。


 かつての友人との会話を思い出す。

「死ってさ、他人からしたら本当はなんてことないんだよ」

「何言ってんだよ。そんなことないだろ」

「大切な人が死んで、しばらくは悲しさと寂しさと後悔で潰れてしまうかもしれない。でも、それって生きているのとそんなに違うかな」

「どういうことだ?」

「生きている時は会話を通して、言葉を介して感情を動かして、死んだ後は感情を生き残った僕たちの内側から動かすんだ。死後しばらく経ったときに、ふとその人を思い出す。その時に、心の中で前みたいに話せばいい。生きている時の会話が種蒔きで、死後の会話でそれらが芽吹くんだ」


 俺の中には、しっかり種が蒔かれていた。それは俺が辛い時にあいつが寄り添ってくれたからだ。そして、見事に種は芽吹いた。ありがとな。

 男は心の中で呟いた。

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