必食仕事人

維 黎

成敗!


「ヤダ、ヤダ、ヤダー!! キライー! にがいもんッ! ボク、たべない!!」


 日暮れ時。

 おそらくとおに満たない幼子が泣き叫ぶ。


「ダメよ、たっくん。好き嫌いしちゃ。メッ! よ」

「そうだぞ。なんでもいっぱい食べないとお父さんやお母さんみたいに、大きくなれないぞ?」


 どこの家庭であっても珍しくもない光景。

 我が子の健全なる食への躾――食育とも呼ばれるそれは親としての責任ある義務とすら言える。

 食に関する好き嫌いがないということは、子の将来においてプラスになりこそすれ、マイナスになることなどないだろう。ゆえに、この両親の行為はまったくもって正当なりしこと。

 他方、キュウリとキノコ類がこの家族の食卓を彩ることはないという一つの事実。

 夫はキュウリ、妻はキノコ類全般。

 食卓には一切出さないという誓いをもって夫婦めおとの契りと成した。

 なんと業の深きことであろうか――否。それ故にと言うべきか。

 それは自らが成し得なかったことを我が子に託す行為。


「さ、たっくん。もう一度がんばってみよ?」

「そうだ! がんばれ、がんばれ!!」


 テーブルの上、白亜の皿には緑色りょくしょく鮮やかなそれ。名をピーマン。言わずと知れた夏野菜の代表者。

 幼子はフォーク一本を手に彼の者に戦いを挑まんとしていた。調理すらされず、ただそのままに鎮座するそれへと。

 幼子であろうとも生きるということは戦いの日々でもある。老若男女、分け隔てなく戦場に立たされるのだ。

 さりとて敗北は必至。

 まるごとピーマン一個。大人でさえ勝てぬ者も大いにいるだろう。

 嗚呼。世はなんと無情なることか。

 食えぬ。

 食えぬのだ。

 せめて――せめて調理さえ、されていれば……。


 パラパ~

 パラパパラパパ~

 パラパラ~ パララパ~~~

 

 デケデンッ! デン! デン! 

 デケデケデケ デンッ!


 突如として鳴り響くは高らかな喇叭ラッパ

 聞こえてくるのは外のバルコニー辺り。

 親子が視線をそこへと向けた瞬間、何者かが降り立った。


「!?」


 丈夫な様を思わせる人の形をした黒い輪郭が、ゆっくりとバルコニーのガラス戸を開ける。

 カラカラとした乾いた音がやけに大きく聞こえた。


「ひっ!」

「な、なんだ貴様! 何者だ! というか、ここはタワマンの38階だぞ!? どうやって入った!?」


 妻の息を飲む声に続く夫の誰何すいかにも応えることなくリビングダイニングキッチンへと足を踏み入れる影。

 照明に照らされたその姿は異様だった。

 和食の料理人が被るような円柱形の帽子を目元までかぶり、舞踏会のアイマスクよろしく目元が覗いている。

 口元にはおそらく不織布のマスク。そして上下一体のワンピースのような衣装は割烹着だと思われる。足元は足袋。そのすべてが漆黒。そしてそれら漆黒がゆえに目立つ肌の色。

 裸エプロンならぬ裸割烹着。


「ヘンタイだ~」

「変態だわ」

「変態だな」


 異口同音する親子。

 へんた……黒割烹男が首から下げていた機械のボタンをカチッっと押すと、喇叭ラッパ音のBGMが鳴り止んだ。

 今時の若人わこうどは実物を見たことがないやもしれぬそれは、手の平サイズより少し大きいポータブルラジカセ。Panazonicというロゴが見える。

 されど昭和、平成という時代にあっても、首にラジカセをぶら下げて出歩くような奇特な者はいなかった……と、思う。知らぬが。

 黒割烹男はダイニングキッチンを見回し、キッチンテーブルの上にあるピーマンに目を止めると、首からラジカセを外しておもむろにテーブルへと近づく。


「岡っ引きだッ! 岡っ引きを呼べ!」

「あなた、落ち着いて。呼ぶのは警察です。BGMの雰囲気に引っ張られ過ぎよ」

「ねぇ、ママ~。あのおじさんだ~れ~?」


 家族団欒の会話を聞いてか聞かずか、黒割烹男は割烹着の腹部辺りにある半月状のポケットに手を入れ、ド〇えもんよろしく細い棒状の物――一本の菜箸を取り出す。

 指の間を縫うようにして回転させる――ことが出来ずにあらぬ方向へ飛んでいく菜箸。

 冷蔵庫に当たってカラカラと転がった菜箸を少し焦った様子で拾うと、シャキン! という音とともに手にした菜箸をピーマンのヘタ辺りにドスッ! っと突き刺した。

 ちなみに『シャキン』や『ドス』という音は黒割烹男のマスクの下から聞こえてきた。


「――あいつ、何をやっているんだ?」

「菜箸をピーマンに突き刺してるのよ」

「いや、そりゃ見ればわかるが何でそんなことをしてるかってことだ」

「ねぇ、ママ~。あのおじさん"こうかおん"をくちでいったよ~?」


 心温まる家族の会話を背に黒割烹男は菜箸ピーマンを片手に冷蔵庫、野菜室と断りなく勝手に開けて中身を吟味する。

 冷蔵庫はある意味、羞恥の箱。無体なるその蛮行には台所を預かる者として物申す。


「おい、貴様! 勝手にひとんちの冷蔵庫を開けるなッ!」


 夫は主夫であった。

 もちろん他意などない。このご時世、男女差別はご法度である。

 

 対して黒割烹男は「まぁまぁ、お父さん。心配しないでまかせてください」と、言っているかどうか定かではないが、手の平を突き出して二度頷いて見せるとなにやらいろいろと冷蔵庫から取り出していく。

 ふいに黒割烹男が妻に対して視線を向け「お母さん、フライパンどこにあります?」的な意味だろう、フライパンを振るような所作の後、キョロキョロと視線を彷徨わせる。


「下のキッチン棚よ」


 恐るべき察しの良さを示す妻。

 ニュータイプとでもいうのか。

 黒割烹男は観音開きに開いたキッチン棚からフライパンを取り出すと「ダイアモンドコーティングされた良いフライパンですね」という意味合いかどうかはさて置き、一つ満足気に頷くとガスレンジの上にセットする。

 次いで、先ほどまでピーマンが載っていた白亜の皿をキッチン近くのテーブルの端まで持ってくると、左手に菜箸ピーマンを構え、右手には三徳包丁を握りキラーン! と振りかぶる。

 先ほどフライパンを取り出した際、扉の内側に包丁が収納されていたのを目ざとく見つけていたに違いない。


「おい! その包丁"紅蓮"はAmasonで一本8万もしたんだぞ!? 手荒に扱わないでくれ!」

「ちょっと、あなた。私はそんな話、聞いてないわよ?」

「ねぇ、ママ~。あのおじさん、またじぶんで"キラーン"っていったよ~?」


 家族仲睦まじい会話の中、シュパパパッ! というと共に高級包丁"紅蓮"とやらをピーマンに向けて数度切りつける。

 くうに刃線を引くがごとく包丁を振るうその様はなるほど、〇違いに刃物とはよく言ったもので、見た目と相まってシュールな情景ではあるが、菜箸はそのままにきれいに短冊切りされたピーマンが皿の上に舞い落ちる様子を見ると、その見事さに「おおぉ~!」と思わず感嘆の声を上げる親子三人。

 子供に至っては、ぱちぱちと手を打ってさえいた。

 黒割烹男は一礼するとくるりと背を向けカウンターキッチンへと皿をもって移動する。後ろ姿はほぼ全裸だったが、本人は気にも留めぬようだ。


「あら! かわいいお尻だわ。食べちゃいたいわねッ!」

「おいおい、君が尻フェチだとは知っていたが、僕の前で僕以外の尻を褒めないで欲しいんだが」

「ねぇ、ママ~。ボクしってるよ! こういうんだよね『たまんねぇ桃尻してるじゃねーか。ぺろんと食っちまいたいぜ! へっへっへっ』」


 家柄がよく表れた楽し気な会話を受け黒割烹男は調理を始める。

 追加でピーマンを切り、同様に玉ねぎも千切りにして冷蔵庫から出した円形のプラスチックトレーのラップを剥がす。

 ふと値札シールが目に入り、おそらく「えッ!? 高ッ!!」と思ったのか否か、目を見開いて値札を二度見する黒割烹男。


 黒毛和牛切り落とし100g 1,580円。


 マスクの中からくぐもったため息を吐き出しつつ「ありえねー」的に首を二、三度振る姿は、庶民であれば同意するのもやぶさかではない。

 一つ息を吐くと、気を取り直すように二度ほど両手で頬を叩いてキッチンのパネルを操作する。

 パチパチと火花が散るような音とがした後、ボッという音と共にフライパンの下に蒼い炎が灯った。

 すき焼きで食べても十二分に旨いだろう牛肉を躊躇うことなく豪快に焼き始める。

 肉の焼ける音と使った油はコマ油だったのだろうその香りが、リビングキッチンを満たして否応なく親子三人の食欲をそそる。

 さっと肉を焼き、短冊切りにしたピーマンを投入し炒め合わせる。

 少し遅らせて玉ねぎの千切りを加え、何度かフライパンを振りつつ玉ねぎが透明がかってきたら、仕上げに焼き肉のタレを回しかけて混ぜ合わせるように再度フライパンを振る。


 勝手知ったる他人の家とばかりに3人前の皿を用意し、ピーマンがしんなりしてきたところで一本つまんで味見。

 さっと炒める程度にしてシャキっとした触感を残しても良いのだが、今回はピーマンの苦みを抑える為にあえてタレが染み入るくらいしっかりと炒めた。 

 問題なし。

 まず一皿分取り分けた後に少量の豆板醤を混ぜて炒め直すと、残りの二皿に取り分ける。

 熟練ウェイターの如き技量で左手とその二の腕に一皿ずつ、右手に一皿をもってテーブルへ。

 しかして、親子三人は何事もなかったかのように着席しているではないか。

 

 右手の皿を子供へ、左手の二皿を両親へと配膳すると黒割烹男は半月ポケットから紙と筆ペンを取り出し、サラサラと流れるような所作で何やら書き示す。


《牛焼肉のピーマン成敗炒め》


 と、書いているのかどうか判別出来ない幾何学的な、おそらく文字だろうと思われるお品書きをそっとテーブルに置いてキッチンへと戻っていく。

 筆でそれっぽく書いたところで達筆になるわけでもなかろうに。

 とまれ、皿から立ち上る湯気と香りは申し分ない。


「いただきます」


 子供は行儀よく両手を合わせて頂きますをする。

 肉、ピーマン、玉ねぎとバランスよく箸でつまむと口の中へ放り込む。

 数度、咀嚼してみれば食べ慣れた焼き肉のタレの味が口に広がる。特別上等な料理でも味でもない(肉は上等だが)。それでも――。


「おいしいッ!」


 子供は評価する。


「タレ本来の酸味と甘さに加え、玉ねぎの甘味、肉の良質な脂と旨味が混然一体となり、そこへ本来なら僕の苦手なピーマンの苦みが加わることによって一段上の旨さへと昇華されている! しっかりとしたピーマンの苦みだったならまた違った味わいなんだろうけど、僕には食べられなかったはず! だからこそピーマンのシャキっと感を犠牲にしてでも、苦みを抑える為にあえて長く炒めたんだ! すばらしいッ!!」


 いつもの拙い口調はどこへやら。 

 その様はまるで海〇雄山、あるいは味皇様こと村田〇二郎の如きそれだった。口から謎の光は出なかったが。


「――それに加えて、私たちに出された方は豆板醤の辛味をプラスさせることで、単調とも呼べる焼き肉のタレの味に変化を与えて大人にも満足させる仕上がりとなっているわッ!」

「まさしくッ! 完成された味を加えた至高の一品というわけだ!」

「「「寒ッ!!」」」


 夫以外、妻、子供、そしてキッチンにいる黒割烹男の声がハモる。

 ところで、黒割烹男は口がきけないという訳でもなかったらしい。


「――おいしかった! ぼく、ぜんぶたべたー!」

「まぁ、ピーマンも全部食べたのね。えらいわ」

「すごいじゃないか! うんうん。さすが僕たちの子供だ」


 ピーマンを残さずに食べることが出来たことを喜ぶ息子と、その成長を嬉しく思う父と母の姿は微笑ましい。

 

「おや? おかわりを持ってきてくれたのか?」


 夫が追加の皿を持ってきた黒割烹男に気づく。

 先ほどと同じように、しかしながら別の料理が盛られた皿が夫と妻の前に置かれる。


「こ、これはッ!?」


 驚愕の声を上げる夫。

 食欲をそそる香り漂う目の前の料理には確かにある。ピーマンと同系色をした同じく夏野菜の筆頭ともいえるそれ。

 

「ば、ばかなッ!! なぜキュウリがある!? あり得ない! 僕たちの家には絶対に無いはずだぞ!」


 思わず立ち上がった夫の様子を見た黒割烹男は「落ち着いてください、お父さん。このキュウリはたまたま私が持っていたものです」と、口で言えばいいだろうに無言のまま半月ポケットからキュウリを一本取り出して頷いてみせる。


「き、貴様ッ……!」

「あなた、落ち着いてまずは座ってちょうだい。子供の前よ。それに――いい匂いがするし美味しそうじゃない。この子も嫌いなピーマンを食べれたんだから、あなたもがんばってみない?」

「し、しかしだな……」

「中華っぽい見た目と香りね。これは何て料理なのかしら?」


 夫をなだめつつ黒割烹男に目の前の料理名を尋ねた妻は、夫以上の驚きを示すこととなる。


《キュウリとシイタケの両成敗麻婆》


「おんどりゃぁぁぁッ!! シイタケですって!? ふざけないでっ! ケツの穴ぁ手ぇ突っ込んで奥歯ガタガタいわして欲しいの!?」

「き、君!? ちょ、ちょっと落ち着いて。ほ、ほら、子供の前なんだし」

 

 自分以上の変貌ぶりに、若干どころかかなり引いた様子の夫がなんとか妻をなだめようとする。


「おじちゃ~ん。ぼくのぶんは?」


 自分の前には料理が用意されていないことに不満を覚え、頬を膨らませながら黒割烹男に問いかける息子。

 そんな息子に対して「この料理はちょっと辛いから、ボクの口には合わないかもしれないのでこの『プッチン出来ないプリン』をあげよう」風に指を一つパチン! とで鳴らして、プラスチックの容器に入っているプリンを目の前に置く。

 冷蔵庫に入っていた物なので元々この子が食べる用のプリンのはずで、あげようも何もないのだが、フタのフィルムを剥がしてあげるあたり、気配りは出来るようだ。

 

 一方、両親の方である。


「食える! 食えるぞっ!! 僕にも胡瓜てきが食える!」


 夫はある種の興奮トランス状態に入ったのか、どこかで聞いたようなセリフを吐く。


「――麻婆ならではの味の濃さと辛さが想像よりもキュウリに合う! しかも甜面醤テンメンジャンやピリッとした山椒がキュウリの青臭さを消し、とろみ餡が水っぽさを気にならなくさせている。キュウリを炒めるという発想は、特に奇をてらった調理ではないが、それでもキュウリを苦にしない人間からしてみれば、あまり火を入れるという調理をしないものだ。そのまま食べれるんだからな! だからこそ僕には青臭さと水っぽさがどうにも気持ち悪かったのだが! これは食えるぞっ! そして旨い!!」

「私も食べれるわッ! キノコ類独特のニオイがダメだったのだけれど、鼻を抜ける山椒の香りのおかげでまったく気にならない! あとクニュクニュとした触感も餡に包まれているおかげでツルっと食べることが出来るのよッ!」


 どうやら夫婦共に絶賛のようで二人とも完食。プリンを食べ終わった息子も加わって三人揃って手を合わせてお辞儀。


「「「ごちそうさま」」」


 そうして親子が顔を上げた時には黒割烹男の姿はキッチンにはなく、バルコニーの手すりに手をかけているではないか。


「お、おい、まさか!? や、やめろッ! タワマンの38階だって言っただろう!!」


 飛び降りる気配を察したのだろう夫が、血相を変えて静止の声を上げる。

 対して黒割烹男は「これからもキュウリを食べてくださいね。食わず嫌いを憎んで素材憎まず――ですよ、お父さん。奥さんと息子さんにもよろしく」と、この状況でそんなことを言うはずはないだろうが、指を立てて頷くと――。


「やめッ――!?」


 夫がバルコニーに出ようと足を踏み出した瞬間、黒割烹男の姿は手すりの向こう側へと消える。


「!?」


 慌ててバルコニーへと出ると身を乗り出して下を覗き込む。


「あなたッ!!」


 少し遅れて妻も夫に続く。

 夫婦が見下ろす視線の先、夜の帳が下り始めた街並みへ向けて、両手と足の指に挟んだ風呂敷を広げて思いの外ゆっくりと降下していく黒割烹男。


「――ムササビの……術?」


 わずかに安堵を含んだ驚きの声がどちらからともなく漏れる。

 しばらくして。

 見下ろす下界からパトカーだろうサイレンの音と「止まれッ! そこの怪しい男!!」という拡声器の怒鳴り声が聞こえてきた。


 一方その頃、リビングダイニングでは置き忘れ去られたラジカセを息子がいじくりまわしていた。


「――ここをおすのかな~」


 カチッ。


 パラパ~

 パラパパラパパ~

 パラパラ~ パララパ~~~


 デケデン!



                      ――了――

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必食仕事人 維 黎 @yuirei

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