第17話 頼みごと
懐中時計を確認すると時刻は午後6時42分。迷宮前の大通りで運良く遭遇できたアイリスと適当な酒場に入ってテーブル席に着く。
夕食どき、多くの探索者が迷宮から帰ってくる時間帯の為、何の気なしに入った酒場はたくさんの人で賑わい、忙しなく従業員達が厨房とホールを行き来している。
「ご注文はお決まりですか!?」
適当に空いていたテーブル席に座ると同時に一人の女性の従業員が注文を取りに来る。
「えーと……麦酒……でいい?」
「はい、構いません」
「それじゃあ麦酒2つと……それと2、3品軽く摘めるものをお任せでお願いします」
「かしこまりました! 少々お待ちください!!」
アイリスに飲み物の確認をし、無難な注文をすると女性は元気な笑顔で一つお辞儀をすると厨房の方へと駆けていく。
「いきなりごめん。どうしても直ぐアイリスに頼みたいことがあって……」
互いに向かい合って席に付き、俺は彼女に頭を下げる。
「いえ、全くもって問題ありません。ファイク様のお誘いならば私、何時でもお待ちしております」
「あはは、そう言って貰えると助かるよ」
俺の突然すぎる誘いに嫌な顔を一つせず、寧ろ嬉々としてアイリスはかぶりを振る。
というかメッチャ笑顔だ。
それはもういつもは全く動かない表情筋が動きまくって、嬉しさ全開だ。
それと同時にねっとり絡みつくような彼女の気配に俺の背筋は凍る。
彼女の表情筋が絶好調ならば、俺の表情筋は謎の緊張感で上手く笑顔を作ることができない。
がしかし、今はそんなことなどどうでもいい。今から彼女に頼み事をするのだ、俺の持てる最大限の礼儀を尽くさなければ男が廃る。
「麦酒2つお待ちどうさまです!」
「ああ、どうも」
依然として慣れないアイリスの謎のプレッシャーに気圧されていると、先程注文したばかりの麦酒が直ぐに運ばれてくる。
「本題に入る前にとりあえず乾杯しようか」
「そうですね」
「そんじゃあお疲れ様」
「お疲れ様です」
運ばれた麦酒のジョッキを持ち、互いに一日の終わりを称え合う。
「……ぷはぁ! なんか酒がすごい久しぶりな感じがするなぁ」
実際、普段から酒を飲む習慣がない俺からすればそれほど期間は空いてない気がするのだが、今日の酒は何だか身に染みる。
キンキンに冷えた麦酒の喉越しを刺激する爽快感に思わずオヤジ臭い声が出る。
「……ふぅ、美味しですね」
アイリスも一気にジョッキの半分以上の酒を飲み干すと、気持ちよさそうにため息をつく。
「いい飲みっぷりだな、お酒とか好きなのか?」
それを見て何となくそんな質問がついて出る。
「いえ……そんなに飲む機会は多くないので好きという程ではないのですが何と言うのでしょうか……こうして誰かとお酒を飲むのは初めての経験で、それもお慕いしている方と一緒に飲むお酒がこんなに美味しとは思わなくて──」
「あ……そ、そうですか……恐縮です……」
適当にした質問に思わぬ返答が返ってきてしまい俺は言葉が詰まる。
……どうしてそんな真っ直ぐな笑顔でこんなこと言えるんだこの人。「お慕いしている」とか言われる機会ないから滅茶苦茶動揺しちまったじゃねえか。
今までこんな直接的な好意を異性に向けられたことがないので彼女とこうして話す度にどう反応していいのか分からない時がある。
本題に入る前にアイリスから無意識に精神的(萌死)な攻撃をくらい調子が狂う。
「え、えーとそんじゃあ乾杯もして一息ついたところでさっさと本題に入ろうか。あんまりアイリスの時間を奪うのも申し訳ないし」
「私の事は気にさないでください、時間なら腐るほどありますので。なんなら朝までお付き合い致します」
「あはは、そんじゃあ手短に……アイリスに頼みがあるってのは簡単に言うと──」
俺は未だ恥ずかしい気持ちを無理やり切り替えて、本題を切り出す。
俺がマネギル達の話を聞いて焦り、そこから大してできの良くない頭で考え、思いついたマネギル達に追いつく、追い越す方法。
それは……。
「俺とクランを組んで欲しいんだ」
「組みます」
Sランク探索者の『静剣』アイリス・ブルームとクランを組むことだった。
彼女とクランを組むことができればランクの問題が解消され、直ぐにでも攻略に取り掛かることができ──。
「……え、いや返答はやっ!? まだ理由を説明してないんだけど!?」
俺の言葉に食い入るように放たれたアイリスの言葉に俺は驚く。
いくら何でも答えを出すのが早すぎる。
「そんなの理由を聞くまでもありません。大好きな貴方とクランを組めるなんて願ってもない申し出です。断る理由がありませんっ! 寧ろこちらからお願いしたいくらいです!!」
アイリスは俺の申し出が相当嬉しかったのか、周りを全く気にした様子もなく俺の手を掴み取って喜ぶ。
周りに座っていた客は突然のその騒がしさに何事かと視線を寄せてくる。
その騒いでいる人物が『静剣』だとわかるやいなや注目度がさらに増していく。しかもずっとソロで活動をしていたはずの彼女の口から『クラン』という単語が聞こえてきたのだ、それも仕方がないだろう。
そんな『静剣』にクランの話を持ち込んだ俺も一気に注目の的となり、途端にその場に居心地の悪さを覚える。
「お、落ち着いて! 即決なのは嬉しいけど理由も聞いてくれ! 一応言っとかないとこっちの気が済まないから!」
どんどん興奮していくアイリスを俺は何とか宥めて、席に座らせる。
まさか彼女が理由も聞かず俺の頼みを聞いてくれるとは思っていなかった。内容が内容なだけに断られるとすら思っていたのに何だか予想していた反応と違う。
しかもその理由も自分勝手で理由を話せばアイリスにメリットがあるとは思えないもので、自分で頼んどいてこう言うのもアレだがクズだとすら思う。
だというのに目の前の彼女はどうしてか理由も聞かず頼みを承諾してしまった。
「申し訳ありません、本当に嬉しくて……少し取り乱してしまいました」
俺の言葉にアイリスは恥ずかしそうに頬を赤く染めて大人しくなる。
何とか落ち着いてくれたアイリスに俺は安堵して説明をすることにする。
「えーと……アイリスはマネギル達──『獰猛なる牙』が42階層まで攻略したのは知ってる?」
「はい。先程ファイク様と会う前に他の探索者の方がそんな話をしているのを聞きました」
俺の質問の意図がイマイチわかっていないアイリスは不思議がりながらも頷く。
「俺がそのクランに居て、最近辞めたのは知ってると思うんだけど、俺はどうしてもアイツらより先に迷宮の完全攻略をしたいんだ」
正直、マネギル達がこんなにも早く迷宮の攻略を進めているとは思わなかった。奴らはそれ程迷宮の攻略に力を入れると言うよりかはどれだけ金を稼げるかに重きを置いたクランだった。
油断していた。
今まで何十年と最深層は更新されていなかった。それこそ誰もが迷宮の完全攻略を夢のまた夢だと思い込んでいた。
だから油断をしていた。
大迷宮の攻略は俺が充分に力を付けるまでは成し遂げられることなどないと。勝手な思い込みをしていた。
だが実際は大迷宮はここに来て破竹の勢いで攻略され、最深層がどんどんと更新されている。
「最終階層と言われている50階層まであと8階層。このままの調子で行けば最終階層を攻略するのもマネギル達『獰猛なる牙』になると思う」
どういう心情の変化か、マネギル達は圧倒的スピードで迷宮の攻略を進めている。
彼らは腐ってもこの都市で一位二位を争う探索者集団。それが本気を出せばこの結果は当然と言えるだろう。
眠れる獅子が本気を出し始めた。
奴らにこんな例えをするのは癪だがこれが一番しっくりくる。
まだまともな魔法を使えるようになって一週間。魔法使いとしても探索者としても俺個人の実力は圧倒的に足りていない。悔しいが本気を出したアイツらには到底敵わない。
だから形振りなんて構っていられない。
「俺にはまだ足りないものが沢山あって、このままじゃあ俺の夢は奴らに取られてしまう。けど、それはどうしても嫌だ……!」
どんなに惨めで、人として屑だろうとこの『夢』だけは譲れない。
「これは俺の身勝手な我儘でアイリスにメリットなんて何にもない、頼み事とは到底言えない傲慢なお願いだ。こんな勝手なこと聞かされて君は気が変わったかもしれない。それでも俺が今頼れるのは君しかいないんだ」
「……ッ!!」
彼女は今の俺の拙い説明を聞いてどう思っているのだろうか?
呆れているだろうか?愚かだと笑っているだろうか?軽蔑しただろうか?
好きになった男がこんな自分勝手なクソ野郎だったと。
それでも今の俺がマネギル達よりも先に大迷宮を攻略するためにはこの方法しかない。これが最速、最善の手。俺に残された道はこれだけだ。
だから俺は心から願う。
「俺とクランを組むんで一緒に大迷宮クレバスの完全攻略を手伝って欲しい。俺のどうしようもなく自分勝手な夢を叶えるのを手伝って欲しい!」
今、自分が持てる最大限の誠意を持って目の前の女性に頭を下げる。
「喜んでお受けします」
直ぐに答えは返ってきた。
迷いを一切感じさせない、初めから決めていたかのような芯の通った綺麗な声音。
「ッ!! い……いいのか?」
その声と同時に下げていた頭を上げて、彼女の顔をマジマジと見つめる。
「はい。私でよろしければ貴方の夢をお手伝いさせてください」
彼女は俺の驚いた顔を見るとおかしそうに笑う。
「だってこんな……理由なんてあってないような……下手くそな説明で……」
「私の心はもう貴方のものなんです、貴方の願いは私の願い。貴方に必要とされる、力になれる、引き受ける理由はそれだけで十分です……いえ十分すぎます、貰いすぎなのです」
優しく愛おしそうにアイリスの右手が俺の頬に触れる。
「か、かなり無茶苦茶な攻略になるぞ?」
「望むところです」
「何週間も迷宮に潜って、休みなんてないぞ?」
「体力には自信があります」
「死んでもおかしくない危険な攻略になるんだぞ?」
「貴方の傍で死ねるのなら本望です」
「──!!」
その言葉で俺は『静剣』の覚悟を思い知った。
全部持っていかれた。
今までのうじうじとした考えがどうでもよくなるぐらい。
全てを彼女に持っていかれた。
何かと理由をつけて彼女の気持ちに目を背けるのなんてもうできない。
女にかまけている暇はない?
知ったことか。
これは俺の人生だ。
何を求め、何をしようが俺の勝手だ。
俺の夢もアイツの願いも叶える。
それは変わらない。
ただもう一つ目標……違うな、『誓い』が増えるだけだ。
俺の全てを持って彼女を……『静剣』アイリス・ブルームを幸せにする。
彼女が全てを差し出してくれるのならば、俺も彼女に全てを差し出そう。俺なんかのちっぽけなモノでよければ。
「……ありがとう」
自然と涙が頬を伝う。
「いえ……こちらこそありがとうございます」
それを優しくアイリスが指で拭ってくれる。
「本当にありがとう……!」
「……はい」
そんな簡単な言葉しか出ない俺にアイリスは笑って頷く。
その笑顔は今まで見たどんなものよりも儚く、綺麗で、手離したくないと思える優しいものだった。
こうして俺はアイリスと誓いを交わした。
・
・
・
″さて、ことの重要性に気づいてくれたのは僥倖だが……そっちのほうも気づくとは思わなかったぞ……″
「文句は受け付けないぞ。もう決めたことだ」
呆れと諦めが入り乱れた嗄れた声に俺はそう答える。
昨日のアイリスとの話から一日が経った。
本日の天気は快晴、降り注ぐ太陽の光が心地良い。
現在俺は迷宮に潜るための買い出しを終えて、一旦『箱庭亭』に帰る途中だ。
気分よく歩いているとスカーは昨日のことを掘り返してくる。
″……それはもういい。というかどうでもいい、それでお前のモチベーションが上がるのなら利用するだけだ″
「へいへい、そーですか……」
自分から掘り返しておいて、適当な言い分な老人に多少のムカつきを覚える。
″それであの女はどうした? あの女がいないと迷宮の奥には行けんのだろう?″
「アイリスは別行動だ。他にやってもらうことがあるからな」
″……そうか。それじゃあ今はなんで『箱庭亭』に戻っているんだ? 準備が整ったのなら直ぐに迷宮に行けばいいではないか″
「メリッサ達に挨拶しに行くんだよ。何週間も帰らないんだ、何も言わないで行くと心配をかけることになるだろうが」
今まで溜め込んでいたスカーの疑問に答えていると、目的の『箱庭亭』が目視できる距離まで来る。
昼のランチタイム前と言うこともあり、今日も『箱庭亭』の前にはたくさんの常連客や噂を聞きつけた観光客が店前に行列を作っている。
その行列の近くで何やら言い合いになっている二人組がいる。
「……」
″おい、あれ″
その二人に見覚えしかない俺は思わず苦虫を噛み潰したように顔を歪める。
またやってるよあの二人。
どうして俺があの二人をセットで見る時は必ずいがみ合っているんだ?仲悪すぎるだろ……。
『箱庭亭』の前で何やら口論になっている二人というのは言わずもがなメリッサとアイリスだ。
どうして別件を任せているアイリスが『箱庭亭』にいるのかは謎だがとりあえず仲裁に入ろう。
近くで開店を待っているお客さんたちが迷惑そうな顔をしているし。
「お二人さん、店前で何をそんなに騒いでいるんですか?」
至って冷静にやんわりと、茶目っ気を効かせて声をかける。
「ファイ! こっちに来ちゃダメ! また懲りずにストーカーが来てるから!!」
「ファイク様、お迎えにまいりました」
メリッサとアイリスは俺を見つけるなり、口論を止めて駆け寄ってくる。
「ストーカーって随分な言われようだな……まあ否定はできないが……」
「ふふ……貴方のいる所に私有りです」
メリッサのアイリスに対する評価の最悪さを再確認していると、アイリスが俺のすぐ横に陣取る。
「ちょっと近いわよ離れなさい! ファイもなに簡単に横を取られてるのよ!!」
それが気に入らないのか俺とアイリスの間にメリッサが割って入って注意してくる。
「なんで俺も怒られるの? てかアイリス、探協の方を任せたはずだけどどうしてここにいるの?」
何故か俺もとばっちりを貰い納得がいかないが、それよりもここにアイリスにいる方が疑問だった。予定では迷宮前で集合のはずだ。
別行動していたはずのアイリスにやってもらっていた事とは、探協に新しくクランを組むための申請だ。
クランを組む時・辞める時、それぞれ探協への申請が必要で、これをしなければ例え一緒に迷宮に入ったとしても入れる階層は異なる。
時間の効率化を図るために俺は迷宮に長期間潜るための道具の準備、アイリスにはその申請を任せ、それが終わったら迷宮前で落ち合うはずだったのだがどうしてかアイリスは『箱庭亭』に来ていた。
「はい。思いのほかクラン申請が早く終わったので来てしまいました」
「そっかぁ来ちゃったかぁ~」
満面の笑みで答えるアイリスに俺はそれ以上何も言えない。
だって来ちゃったもんは仕様がない。
「なんでそんな簡単に納得してるの!? というかクラン!? ファイ! あんたこのストーカーとクランを組むの!?」
抵抗感を全く感じさせない俺の発言と『クラン』という単語にメリッサは目を丸くする。
「え、あ、うん。俺がアイリスに頼み込んでクランを組んでもらうことになった。それと今日から暫く宿には戻らないから」
メリッサの捲し立てる質問に俺は短く頷き、ついでに伝える予定だった事も言う。
「え! いや……はあ!? ちょっとどういう事──」
「暫く迷宮に籠るから戻らないってことだ。急でなんだがそういうことだ、パトスさんやメネルによろしく伝えといてくれ。そんじゃあ行ってくるわ」
懐中時計を確認すれば時刻は午前11時28分。もう少しで『箱庭亭』ランチタイムが始まる時間だ、こんなところで長々と話をしていてはメリッサに悪い。
近くにいた開店を待つお客もこちらの騒がしさに何事かとかなり注目している。騒ぎを止めるはずが被害を大きくしてしまった、こうなったら犬猿の仲のメリッサとアイリスを引き剥がすのが吉だ。
また何かと口論になったらめんどうの何ものでない。
言いたいことも言ったし素早くこの場を退散しよう。
そう判断し、俺は困惑した表情のメリッサに手を振ってその場を後にする。
「ま、待ちなさいっ! ちゃんと理由を説明しなさいよ!!」
背中越しにそんなごねるメリッサの声が聞こえる。
「……どういうことなのよ~!!」
『箱庭亭』の店前で看板娘の不満そうな声が木霊する。
本日も宿屋兼飯所『箱庭亭』元気に開店です。
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