第16話 本日の課題
嫌なこと、思い出したくないことを忘れるためにはどうすればいいのだろうか?
趣味に没頭でもするか?
勉強でもしてみるか?
美味しものを食べてみるか?
何もしないでぼうっとしてみるか?
どれもいい考えではあると思うが、俺に一番合っているのは我武者羅に体を動かすことだ。
そうすれば嫌なこと、思い出したくないことを考える以前に脳内は疲れたとか、ヤバいとか、死ぬとか色々なことで埋め尽くされて今まで憂鬱に思えた事柄がどんどん小さくなっていく。
そう、まさに今のように。
"1時の方向に三体、7時の方向に二体だ。いいか、他の影魔法は使うなよ"
「「「キシャアァァァ!!」」」
嗄れた声と煩い雄叫びが同時に響く。
「……」
俺は何も答えず対峙している敵にだけ集中する。
息は浅くなり、どんどんと意識は戦闘へと埋没していく。
前と後ろから感じる威圧感は今までの死線の数々を考えれば無いものに等しい。
浅い息のまま右手に持った黒剣を振る。
一歩踏み込み横に一閃。
飛びかかってくる醜い小鬼を三体纏めて、黒剣で斬り伏せる。
「「「グギャギャッ!?」」」
刃から手に直接伝わる肉を断ち切る嫌な触感と哀れな叫び。斬られた箇所から飛び散る血は泥のように汚く、その匂いは鼻奥を抉るような腐敗臭で思わず顔を顰める。
「ゲギャッ!!」
不快感を覚えながらも目の前の小鬼を屠り。次に馬鹿丸出しで叫びながら、俺の背後を取っていた小鬼が襲いかかってくる。
「……ッチ」
それに気づかない道理はなく。
斬った勢いのまま体を反転させて、あと数瞬で直撃するであろう小鬼の振り抜いた石斧をタイミングよくパリィする。
「ケギャッ!?」
渾身の一撃を弾かれた小鬼は近くで並走していたもう一体の小鬼も巻き込んで、大きく後ろに体勢を崩す。
間髪入れず、地面に倒れた小鬼達へと接近し見下ろす形で黒剣で小鬼の頭をそれぞれ一回ずつ突き刺す。
尻もちを着いて間抜けにも倒れた小鬼たちは反射的にすぐさま立ち上がろうとするが、その前に俺の刺突によって絶命へと至る。
「……ッッッッ!」
煩い声で喚くのではなく、微かに空気を震わせる静かな声を最後に小鬼達は確実に死ぬ。
「ふぅ……」
一旦の戦闘はこれで終わり。
新手のモンスターが居ないことを確認して、黒剣にこびり付いた血を払い帯剣する。
「……クッソ、また壊れた」
その瞬間、腰に収めたはずの剣が散り散りに破かれた紙切れのように形を崩して消え去る。
"ふむ、だいぶ安定してきたがまだまだだな。気を抜きすぎたな"
「難しすぎんだろコレ」
煽るような老人の言葉に無意識に文句を出る。
探協から迷宮へと移動し、およそ4時間が経過しただろうか。
現在、大迷宮クレバス地下第15階層。
昨日の『キングスパイキーウルフ』との戦闘によって大きな自信がついた俺は今日も今日とてスカーから出された修行の課題に沿って、モンスターと延々と戦闘をこなしながら下の階層へと進んでいた。
今戦っていたモンスターは『スティッフゴブリン』というモンスターで、上層に生息する『ゴブリン』の上位種となり、5~7匹の群れで行動する赤い肌が特徴的なモンスターだ。
それに難なく勝利を収め、普通ならば喜ぶべきなのだろうが今の俺はその喜びよりもムカつくことがあった。
"何を腑抜けたことを言っている。こんな簡単なことも出来なかったらいつまで経っても大迷宮の完全攻略など夢のまた夢だぞ"
そのムカつくこととはスカーに提示された本日の課題の内容の難しさについてだ。
「そもそも本当にこんなんでお前の言う「魔力操作」ってのが上達すんのか? やってみてもイマイチしっくり来ないんだが……」
課題の内容はこうだ。
『影遊──潜影剣』を常時具現化させる。
という何ともシンプルなもの。
昨日の『キングスパイキーウルフ』との戦闘で習得したスカーの『魔法』と呼ぶに相応しい魔法『影遊』。全部で十種類あるうちの一つ『潜影剣』を俺は使うことに成功したがその後直ぐに意識を失い倒れてしまった。
倒れた理由と言うのがスカー曰く、俺の圧倒的な『魔力操作』の不慣れが原因で俺の精神が耐えられず倒れてしまったと言うものらしい。
その圧倒的な『魔力操作』の不慣れを改善するために今回、このような課題が提示されたわけだ。
今まで俺が使っていた影魔法は基礎の基礎でその全てが不完全な、魔法と呼ぶには烏滸がましい代物で、スカーから教えられた『影遊』は影魔法の真の姿、完成系だと言う。
具体的な俺が使っていた影魔法と『影遊』の違いというのが、影の使用率。
俺が今まで使っていた影魔法──これからは『基礎魔法』と呼ぶ──は俺の影だけを使用した魔法で、『影遊』はそこにある全ての影を使う魔法なのだとスカーは言った。
俺個人のちっぽけな影だけではなく、そこにある全ての影を支配、掌握、使用することが『影遊』なのだそうだ。
支配した影は全て俺の領域と化し、使った瞬間に俺の影とそこに膨大に存在する影が一緒くたに混ぜ合わさり、大量の情報が脳内に流れ込んでくる。
あの時の感覚は今でも覚えている。
意識が鮮明になり、見えないはずの景色、見えないはずの探索者の様子、見えないはずのモンスターの様子、全てが手に取るように分かるあの感覚。
それと同時に大量の魔力が自身の中から一気に消失していくあの脱力感。
強力な、それこそスカーが『本当の魔法』と言うのが分かるほどの魔法。今の俺には身に余る代物だ。
使う度にぶっ倒れていたら元も子も無い。という事で今回の課題が出されたわけだ。
そしてその課題が難しい。
普通に潜影剣を作り出すだけでも一苦労なのに、その維持を常に魔力を流し続けることでしなければいけない。魔力を流す量が少なすぎたり、多すぎたりしては駄目で、一定の魔力を流さなければその姿は直ぐに消えてなくなってしまう。少しでも気を抜けばまた一からやり直しで、これを戦闘中だろうが休憩中だろうが何時如何なる時も求められる。加えて魔力を常時垂れ流しにしていることで、身体の気力を常に吸い取られているような気怠い感覚に襲われ、身体的にも精神的にもすこぶる調子が悪い。
字面的にはとてもシンプルな修行の内容なのだがその実、とてもハードな修行となっている。
"文句をべらべら言ってないで黙って俺の言う通りにしていろ。確実に身体は魔力操作に慣れてきている。それにこの修行は魔力操作以外にも意味のあるものなんだ"
「その意味とは?」
俺の不貞腐れた態度にスカーは続ける。
"
「ほーん、なるほどなぁ~」
スカーの長ったらしい説明に適当に相槌を打ちながら、俺は再び影から黒剣を作り出す。
"それにカモフラージュにもなるだろう?"
「カモフラージュ? 何のだよ?」
説明の最後に付け加えられた言葉に俺は首を傾げる。
"探索者と言うのは魔導具を最低でも一つは持っているものなのだろう? 潜影剣は何かしらそう言った言い訳にも使えるだろう"
「……確かに」
スカーの言い分に俺は納得してしまう。
ソロで活動するようになってから、本当に最近のことではあるが色々と詮索されることが増えたような気がする。今日のマリーカさんの時もそうだ。
元Sランククランの『荷物持ち』がクランを辞めてソロで着々と大迷宮を攻略している。今まで何もできなかった『荷物持ち』がどうして?
少しづつではあるが周りの人間はそんな疑問を持ち始めているのかもしれない。
そんな疑問を簡単に納得させてしまう理由は『強力な魔導具』を手に入れたというのもで充分だろう。
過去に冴えない『荷物持ち』だった探索者が強力な魔導具を手に入れてSランク探索者にまで上り詰めた事例というのはいくつも存在する。
『俺もその一人だった』
その理由付けはとても便利だ。
まともにスカーの事や、今やっていることの説明を詳しくするというのは面倒だし、何より信じてもらえるかどうか怪しい。今の世の中は魔導具至上主義だ。魔導具によって世界が回っている。
目に見える何かがあるだけでその信憑性は確かなものになる。
スカーの言う通り、変に勘繰られることはなくなるだろう。
"という事でしばらくの間はそうやって潜影剣を常に身に付けておけ"
「え、おい冗談だよな? これマジでキツイんだけど……?」
"冗談なわけあるか、お前も納得してだろうが"
「……マジかよ」
呆れた声音のスカーの返答に俺はこれから待ち受ける苦労の数々が嫌という程思い浮かび、億劫になる。
・
・
・
"おいどう言う事だ! 俺はまだ帰っていいと言ってないぞ!!"
眩しく太陽が最後の光を見せる夕暮れ時、俺は本日の探索を終えて迷宮から外へと戻ってきていた。
"それはさっきも説明しただろうが! あのまま先に進むには俺だとランクが足りねぇんだよ!"
人がたくさんいる探協、しかも受付待ちの探索者達の行列の中で一人大声を出すわけにはいかず、脳内でもう何度目かになる説明をクソジジイにする。
"だからなんだと言うんだ! あのまま黙って先に進めば何も問題ないだろうが!!"
"それがダメだって言ってんだろうが! バレたら俺は探索者の資格を剥奪されるんだぞ!?"
聞き分けのないクソジジイに俺も我慢の限界が来ていた。
なぜスカーはこんなに怒り心頭なのか?
理由は先の階層に進めず、俺が半ば強引に上に戻ってきたからだ。
『スティッフゴブリン』との戦闘の後、俺はそのままの勢いで大迷宮クレバス第19階層までを無事に踏破することができた。
そこまではスカーもそこそこ上機嫌で、饒舌によく分からん魔法理論の説明をしていたのだが、問題はその19階層で起きた。
今の俺の探索者ランクでは19階層の先である20階層へと足を踏み入れることができないのである。
大迷宮への入場は探協によって管理されている。それは最初の出入口だけに関わらず、各階層へ行くためにも探協の許可が必要となるのだ。
探索者はその実力によって探協からS~Fのランク付けがされる。そのランクを元に受諾可能な依頼の難易度や入れる階層の深さが決まる。
E~Fの所謂低クラスは大迷宮の19階層までしか入ることが許されず、20階層へ入るためには最低でもD以上のランクが必要となるのだ。さらにその先、30階層へ入るためには最低でもAランクが必要となる。
この規定は一人で大迷宮に潜る時のもので、複数人……クランで大迷宮に入る場合はその限りではない。
もしクランで迷宮探索をするのならば誰か一人でも規定のランクに達していれば何の制限も無く迷宮を探索することができる。
しかし今の俺はソロで迷宮に入っており、探索ランクもFと最底辺に位置している。
これでは次の20階層へと進むことはできないのだ。
この説明を何度してもスカーは「どうしてだ!」と納得のいかない様子で先へ進むと言って聞かないのだ。
その聞き分けの無さに腹の立った俺はスカーが脳内で騒ぐ中、全部無視して迷宮を出てきた。
それが気に入らなかったスカーはさらに激しく癇癪を起こし、現在に至るわけだ。
"そんなもの要らんだろうが! 勝手に探索して勝手に攻略すればいいんだろうが! こんなノロノロとルールを守ってやっている暇はお前に無いはずだろう!!"
"お前は俺を犯罪者にしたいのか!? 何度も言ってるけど今日中にランクアップを済ませれば明日にはもう直ぐに20階層に行くことができるんだから我慢しろよ! そろそろ本当に執拗いぞ!"
別に何週間、何ヶ月と足止めを喰らう訳では無い。
今朝探協で話したマリーカによれば俺は既にココ最近の攻略の成果のお陰でDランクにランクアップする条件を満たしていると言っていた。加えてDランクまでのランクアップなら面倒な試験をしなくて済むので本当にすぐランクアップができる。
何なら今朝マリーカに言われ時についででランクアップを済ませておきたかったのだが、スカーが急かすからそれもできなかった。
元を辿れば全部このクソジジイの我儘の所為でこうなっているのだ。これ以上の文句をまともに受け付ける筋合いは俺にはない。
どれだけうるさく騒ごうが俺は今日これ以上クソジジイの我儘を聞くつもりはない。
俺は完全にスカーに無視を決め込み、そのまま無言で自分に受付の番が回ってくるのを待つ。
流石に迷宮帰りの探索者で押し寄せる探協は朝の時のようにのんびりと好きな時にカウンターで受け付けをして貰えるというわけがなく。ランクアップの手続きをするためにはもう少し時間がかかりそうだ。
「おい聞いたか? 『獰猛なる牙』が42階層まで攻略を進めたらしいぜ?」
「マジかよ! 最近すごい勢いで攻略していくな」
迷宮に入った時から続けている潜影剣への魔力供給に乱れがないように集中をしていると、俺のすぐ後ろに並んでいる三人組クランの探索者達からそんな話し声が聞こえてくる。
「あれじゃねえか? ずっといた『荷物持ち』が居なくなって負担が減ったからこんなに調子がいいんじゃねえか?」
「そう言えばあの『荷物持ち』見なくなったな。何年もずーっとクランに置いてもらってたのについに愛想つかされたか?」
「そうじゃね? てかどうして何年も『荷物持ち』なんかがSランククランに入れたのか不思議だわ」
明らかに見下した様子で三人組の探索者達は笑っている。
「……」
いや、目の前にその愛想をつかされた元Sランククランの『荷物持ち』がいますからね?多分……というか確実に俺の顔とか覚えてないから張本人が目の前にいるところでそんな話ができるんだろうけど、人の陰口とか最低だよ君たち?
思わず自分を馬鹿にした話し声が真後ろから聞こえてくるとは思わず、魔力操作が乱れそうになる。
まあしかし……そうかマネギル達はもう42階層までクレバスを攻略したのか。
最終層の50階層まであと8階層。
後ろの奴らの言う通り、俺が居なくなってから随分と調子が良さそうだ。
このまま行けばアイツらが大迷宮クレバスを完全攻略するかもしれない。
「……クソがッ……!」
そう心像するだけで腹の奥底から湧き昇るような怒りを覚えた。
『ノロノロとルールを守ってやっている暇は無い』
同時にクソジジイの言葉がフラッシュバックする。
ルールは守る。しかしノロノロとやっている暇は無い。とても腹立たしいがクソジジイの言う通りだ。
今の話を聞いてそれがよく分かった、今自分が置かれている立場を改めて理解した。
このままでは先に取られる。
"おいスカー。今の俺の実力でお前の見立だと、どれくらいで迷宮の完全攻略が可能だ?"
俺はすっかりヘソを曲げて黙り込んでいたスカーに質問をする。
"……なんだ? 俺の言い分は全部無視するんじゃなかったのか?"
"いいから答えろ"
"ふむ……ざっと一週間と言ったところだろうな。それも最低限の休息でずっと迷宮に篭っていた場合だがな"
俺の急かす様子に老人は少し考え込むとそう結論付ける。
「……そうか」
そうか、一週間もあればアイツらを追い抜くことができるのか。
スカーの答えを聞いて俺は受け付け待ちの列から抜けて、探協から出る。
"……おい、何処に行く。ランクアップとやらはどうした?"
突然の俺の行動に老人は少しばかり困惑した様子を見せる。
「……やめだ。お前の言う通りノロノロとやっている暇が無いってのが分かった。だから強行手段だ」
"……強行手段?"
俺の返答にスカーはまだ合点が行かない様子だ。
まあ分かるわけもない。
この方法はちょうど今思いついたばかりなのだから。そしてできることならばやりたくない方法だ。
この方法は俺一人だけでは完結しないし、他人に多大な迷惑をかけてしまう。正直、交渉の段階で上手くいくとは思えない。
けれども直ぐにでも行動しなければいけないと思った。
あそこでDまでランクアップをしてもマネギル達を追い越すことができないと思った。
だから行動する。
「本当はあんまり頼りたくないんだよなあ~……申し訳ないし、何より何か怖いし……」
足早に『箱庭亭』に戻る道すがらとある人物の影を探して俺は迷宮前の大通りを歩く。
すると直ぐに探し人は見つかる。
「誰かお探しですか、ファイク様?」
まるで俺の思考を読んでいるかのように、その綺麗な女性は俺の目の前に現れる。
「……ああ。少し君に頼みがあるんだ、アイリス」
俺はその恐怖すら覚える深く青い瞳を真っ直ぐと見つめ『静剣』アイリス・ブルームへと言葉を返す。
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