第7話 賢者との契約

 "ようやく覚悟がついたのか?"


 部屋に戻ると聞き馴染みのない嗄れた声が聞こえてくる。


「……休んでなくていいのか爺さん?」


 突然、背後から声をかけられ驚くが直ぐにその声が迷宮で俺を助けてくれた謎老人だと分かり、平静を装い返事をする。


 "ああ、だいぶ力は戻った。こうやってお前と話すぐらいは問題ない。それで覚悟はついたのか?"


「覚悟って何の?」


 再度問われる爺さんの質問に俺は惚けた振りをする。


「……しらばっくれるな。アイツらに寄生するのはもう辞めるのかと聞いているんだ」


 老人は俺の影を歪めて、迷宮内で見せた形へと変化させる。


「それってアンタに関係あるの?」


 随分としつこく聞いてくる老人に俺は少し不快感を覚えながらベットに寝転がる。


「関係大アリだな。このままアイツらに寄生しているようでは俺の目的は成就しない」


「んな事知るかよ。てかアンタ普通に話しかけてきてるけど何もんだよ? いつから俺の影に居着いてんの?」


 俺は爺さんの勝手な言い分を無視して質問する。


 何普通に友達みたいに話しかけてきてんの?一瞬、なんの違和感もなく答えちゃったじゃん。


「それは昨日説明しただろう? なんだもう忘れたのか?」


 すっかりと見覚えのない形になった影は両手を上げて「やれやれ」と戯ける。


「まあ昨日のあの状況だ。お前みたいな臆病なクソガキには覚えてろと言う方が酷な話か……」


「……」


 続けて遠慮なく放たれた老人の発言に俺は思わず眉を顰める。


「しょうがない、もう一度自己紹介をしてやろう」


 偉そうに腕を組む俺の影。


 いちいち鼻につく口振りの爺さんだ。


 ふつふつと老人の態度に腹が立ってくるが何とかそれを押さえ込んで話を聞く。


「俺は世界最強の魔法使いと呼ばれた影の賢者、スカー・ヴェンデマンだ! 訳あってお前が生まれた瞬間から俺はお前の影に意思だけ根付いていた!」


「……お前があの『賢者』だって? 嘘を着くならもうちょっとマシな嘘つけよ。スカー・ヴェンデンマンなんて『賢者』の名前聞いたことないぞ」


 偉そうに腕を腰に当てるとふんぞり返る影に俺はそう返す。


「む? それはお前が世間知らずの馬鹿だから聞いたことがないんじゃないか? 俺が生きていた1000年前、俺の名前を知らぬ魔法使いは存在しなかった。それほどまでに俺は最強だった!!」


「……いや、マジで聞いたことねえよ。この世界で賢者と呼ばれたのは七人だけだ、その中にお前みたいな名前の賢者はいない」


『賢者』

 それは歴史に名を刻むほどの成功を収めた魔法使いのこと。

 魔法学の発展や、数多くの魔導具の発明、圧倒的な魔法の研鑽、彼らのありとあらゆる功績が今の豊かな生活を実現させている。

 現在『賢者』と呼ばれた魔法使いは七人。そんな彼らは1000年も前を生きた時の人達であり、今の世を生きる人間からすれば伝説の存在である。それ以降、『賢者』と呼ばれるほどの才能に溢れた魔法使いは現れていない。


 そんな魔法の生みの親と言っても過言ではない『賢者』を目の前の偉そうな影は自分だとなんの迷いもなく言った。

 しかし、いくら思い返してみても『スカー・ヴェンデンマン』なんて言う名前の賢者は聞いたことが無い。


「な……そんなはずは……! いや……待てよ。確かにこの世界に転生してから他の賢者達の名前は聞けど、一向に俺の名前をきいたこたはなかった……。気の所為だとばかり思っていたがまさか本当に──」


 俺の言葉に影は一瞬にして思考の海へと船を漕ぎ出す。

 考え込むように独り言を始める。


「まあお前が賢者だろうが何だろうが別にどうでもいい。そんな事よりもその後の訳あって俺が生まれた時から俺の影に根付いていたってのはどういう事だ?」


「そんな事とはなんだ!? 俺にとっては滅茶苦茶大事な事だ!!」


 俺が老人の思考を遮って質問すると、キレ気味な返事が返ってくる。


 面倒くせぇなこの爺さん……。


「うだうだ言ってないでさっさと答えろ。俺にとってはこっちの方が重要だ。何が嬉しくて自分の影にジジイを住みつかせなきゃいけねえんだよ」


 俺はキレ気味な返事を無視してさらに詰問する。


「クソっ……こっちだって好き好んで影に転生した訳じゃないわい……本当はちゃんと人間として……」


「その『転生』てのが俺の影に居座ってる理由なのか?」


 不貞腐れた爺さんの言葉の中に気になる単語が出てきて俺はそれを指摘する。


「そうだ……はあ、今更昔のことを言ってもしょうがない。馬鹿なお前でも分かるように簡単に説明してやろう。俺は前世で叶えられなかった願いを叶えるためにこの世に新たな人間として転生するはずだった──」


 影は不貞腐れた態度を正すと、話し始める。


「──転生の魔法と言うのは簡単に言えば生まれ変わり、前世の知識を持ったまま新たな人間の命として産まれること。この魔法は魔法使い達の間では悲願とされた魔法だった。理由は簡単だ、転生とは言い換えれば不死と言うこと、意志のある生命ならば誰もが夢見る事だ。しかしこの奇跡と読んでも差し支えない魔法の研究、開発は誰も成し遂げられなかった。だが天才の俺は何とか魔法の構築に成功した。実際に魔法が成功するかは分からなかったが、時間がなかった俺はぶっつけ本番でこの魔法を行使した。転生条件は影魔法が使える人間、というものにしてな」


「……それでアンタはその転生に失敗したのか?」


 言ってる事の殆どは理解が追いつかないほど次元の違う話をしている。しかしそれでもこれだけは分かった。


「ああ、転生するために死んで気がついたら俺は人間に転生できず、どういう訳か意識と記憶を持ってお前の影に転生してしまった」


 転生した直後の事を思い返しているのか影は少し項垂れている。


 理由はどうあれ、何となくではあるがこの爺さんがどうして俺の影に居座っているのかは分かった。


「……分からないな。そんな生まれ変わってまでアンタが成し遂げたかった願いってのは何なんだよ?」


 だがそれだけでは俺の頭はスッキリとせず、次にそんな疑問が浮かんだ。


「そんなの今の魔法技術の圧倒的停滞を見れば分かるだろう」


 俺の質問に爺さんは簡潔にそう答えた。


「魔法技術の圧倒的停滞? 爺さん何言ってんだよ? どこをどう見たら今の魔法技術が昔よりも停滞してるって? 魔導具という画期的な発明によって人類の魔法技術は物凄い速さで発展していった。それこそ3000年や4000年かかると言われた今の生活が魔導具の出現によってたったの1000年で実現可能になった。どう考えても昔よりも魔法技術は発展してるだろ」


「はあ……魔法の何たるかを全くもって理解しとらんなお前は……。まあ当然といえば当然か、これは全て俺たち賢者の失態だからな……」


 俺の言葉に影はかぶりを振って呆れる。


「……」


 俺が爺さんの言葉に納得がいかず眉を顰めていると爺さんは言葉を続ける。


「俺が生まれ変わってまで成し遂げたかった願い……だったな。それは俺の魔法理論の考えが正しかったのだと仲間の賢者たちに証明することだ!!」


「魔法理論の証明?」


 要領の得ない爺さんの言葉に俺は首を傾げる。


「そうだ。元来、魔法使いとは弛まぬ研鑽を積み重ね、己が身一つで魔法を行使する者のこと。しかし現代の魔法はどうだ? 魔導具という便利な道具に頼りっきりになり、十分な研鑽も積まずに魔法使い全体の根本的な魔法技術は退化している。確かにお前の言う通り人々の生活レベルは昔に比べれば見違えるほどに良くなった。だがそれは表面上だけの話だ。意志のある生命が『ラク』を覚え、そのままなんの努力もせずに『ラク』に頼り続けた結果待ち受ける未来は──」


「──完全な魔法の消失だ」


 一度区切り、息を整えて放たれた老人の言葉は現実味のないものだった。


 魔法の消失。

 この世界から魔法が無くなる。

 そんなこと今の魔法をあたり前に使える世界を見れば考えられないことだ。

 信じられない、戯言の一つだ。


「……」


 そう否定したかった。

 だがどうしてか俺はそれが出来ない。目の前の俺の影を使っている老人は冗談を言っている雰囲気では到底なかったから。


「魔法とは常に研鑽を積み重ねることによってその力の根源を保つことが出来る。このまま魔導具に頼りきりの魔法が今以上に定着していけば、500年……いや100年後には全人類から魔法という神秘は消えて無くなるだろう」


 追い打ちをかけるように影は揺れる。


「……」


 信じられない、現実感がない、だけどどうしてか否定できない。

 考えれば考えるほど分からなくなる。


「魔導具を全否定したい訳じゃない。アレはアレでとても素晴らしい技術の結晶だ。俺は魔法が大好きだ。魔法は無限の可能性を秘め、沢山の人を幸せにすることができる。そんな魔法が失われるなんてことはあってならない。俺は生まれ変わりそのことを世界に伝えたいんだ!」


 老人の信念とも取れるその願いは不覚にも心に響いた。


「だが転生の失敗により、俺一人ではそれも難しい……そこでお前に頼みがある」


「……頼み?」


 急な話の切り返しに俺は困惑する。


「俺がこの願いを成し遂げるためにはお前の協力が必要不可欠だ。頼む! 俺の夢を叶える手伝いをしてくれないか!?」


「な!?」


 老人の影は床に膝をつき頭を下げる。俺は突然の老人の行動にさらに困惑する。


「……俺の夢を手伝ってくれないか……って爺さん、今までの俺を見てきたらわかるだろ? 俺には圧倒的にそれを手伝える力なんてもんは無い。仮に俺が爺さんの手伝いを引き受けたとして俺自身になんのメリットがある? お生憎様、タダ働きなんてのは御免だ。俺には俺の成し遂げなければいけないことがある」


 俺は頭を下げ続ける爺さんにそう言い放つ。


 落ち着け、場の勢いに流されるな。この爺さんの言葉に少しでも感銘を受けたのは違いない。しかし、感情論だけで自分の人生を棒に振るかもしれないのは御免だ。申し訳ないが俺は善人なんかではない。


「……そうだな、なんの報酬の提示もなしにとりあえず手伝えと頼みをこうのは失礼だった。すまない」


 爺さんは頭を下げたまま謝る。


「俺が提示できる物は……俺が持ち得る魔法技術の全てと、この世界に存在する大迷宮の完全攻略の約束だ」


「……っ!!」


 俺は爺さんの提示した報酬に思わず絶句する。


 この爺さん……どうして……いや、影の中から俺を見てきていたなら知っていて当然か……。


「これでは足りないか?」


 影で表情が変わらないはずだと言うのに爺さんはほくそ笑んでるように見える。


「最初からこのつもりだったなクソジジイ……」


 俺はそれがどうしようもなく悔しくて、影を睨みつける。


「ああ……お前が死んだ両親から受け継いだ夢は知っていた。そしてその夢と私の願いは図らずも同じ道だ。ならば利用しない手はない」


 先程までの謙虚な態度は何処へやら、憎たらしい態度で爺さんは答える。


「魔法技術の提示と言っていたが、俺は爺さんがあの時使っていたような魔法が使えるようになるってことか?」


「ああ、可能だ。あの時は俺が影を操っていただけで元を辿ればお前の影、魔力であの魔法を行使したのだ。お前に使えない道理はない」


「本当にこの世界に存在する全ての大迷宮を完全攻略できるんだな?」


「お前が魔法を使いこなせるようになれば不可能ではない。実際のところ二つ目の報酬はお前の努力したいだ。俺ができるのはあくまで知識の提供だ」


 俺の確認に影は自信ありげに答える。


「そうか……分かった、充分だ。お前の口車に載せられるようで癪だが、手伝いってやつ引き受けてやろうじゃねえか」


 まんまと誘導された形で誠に遺憾ではあるが、夢を叶えるチャンスが来た。それもマネギル達に着いて回るよりも現実味がある話しだ。

 この爺さんの話が何処まで本気で本当なのかは正直どうでもいい。俺は俺の夢が叶えばそれでいい。


 スタンスとしてはマネギル達の時と何ら変わりない。互いに互いを目的のために利用するだけだ。

 それだけは間違いない。


「ふむ、それじゃあ交渉は成立と言うことでいいな?」


「ああ」


 爺さんの確認に俺はぶっきらぼうに答える。


「それでは俺は世界から魔法の消失を防ぐために」


「俺は──世界に存在する迷宮を完全攻略して、父さんと母さんの夢だった知られざる迷宮の謎を解き明かす」


 影は立ちあがり俺の前に手を差し出してくる。


 俺は少し考えてそれが握手を求めてきているのだと分かり、差し出された影の手を握り返す。


「交渉成立だ。これからよろしく頼むぞファイク・スフォルツォ」


「ああ、精々俺の力になれ。スカー・ヴェンデマン」


 こうして俺たちの世界へと挑む契約が成立した。


 コイツとは長い付き合いになりそうだ。


 ふと自分の影と握手するという謎状況な中、そんなことを思った。

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