第6話 惰眠を貪るのは当然の権利

 迷宮都市クレバスの朝は早い。


 いや、正確に言えば探索者達の朝が早く、それに巻き込まれるように周りの朝も早くなる。


 迷宮都市で一番の稼ぎ頭は探索者であり、一番の消費者も探索者だ。そんな彼らを商売相手とする商売人たちの朝は必然的に早くなる。


 陽が昇る少し前から大迷宮の入口、探索者協会がある大通りのメインストリートでは大勢の商人たちがこれから大迷宮に潜ろうとする探索者たちの気を引こうと出店が並ぶ。


 その出店は早朝から、探索者達が大迷宮から帰ってくる夜まで元気よく立ち並んでおり、毎日お祭りのような騒がしさを見せる。


 これは迷宮都市クレバスだけに限った話ではなく他の迷宮都市も同様だ。

 このような特徴から『迷宮都市』と呼ばれる都市は総じて『眠らない都市』と呼ばれ、探索者や商人に関わらずそのお祭りのような雰囲気を一度は体験しようと沢山の観光客でも賑わう。


 もちろん、曲がりなりにも探索者であるこの俺、ファイク・スフォルツォの朝もいつもならば早い。


 しかし今日に限って、俺の目覚めはいつもより大分遅かった。


 全身に被った毛布から右手だけを出して、ベットのすぐ横にある小さな棚の上を探る。直ぐに丸い金属の感触が手に伝わってきてそれを掴んで見る。


「10時53分……もう11時じゃねえかよ……」


 薄ら眼に見た懐中時計はチクタクと呑気に時間を刻んで俺に今の時間を教えてくれる。


「久しぶりにこんな寝たな……」


 久々の長時間睡眠に機嫌を良くして、俺はもう一度夢の世界へ旅立とうとする。


 ここまで来たらもう今日は寝れるだけ寝てやろう。こんな機会は滅多にない。


 いつもはマネギル達と迷宮へ潜るためにマネギル達よりも一時間ほど早く起きて迷宮の入口へと向かう。理由は「荷物運びは俺達よりも早く起きて迷宮前で出迎えるべきだ」とか訳の分からないことをロウドやロールが言っていたからだ。


 俺がマネギル達よりも遅く迷宮前に着けば、それだけで俺はその日の分け前を減給され、数多の罵詈雑言をその一日浴びることになる。その癖、アイツらは一時間や二時間の遅刻を平気でするわ、寝起きで機嫌が悪ければ理不尽に俺に八つ当たりをしてくる。なんとも酷い職場環境だ。


 だが、今日に限ってはそれに怯える必要は無い。

 何故なら今のところまだ俺はマネギル達の間では死んだことになっているからだ。


 色々と奴らとは話し合いやケリをつけなければならない事があるがそれは今日でなくてもいい。

 アイツらのクランに入ってからはこうやって惰眠を貪るほどの休みなんて全くなかった。久しぶりの何の心配事のない睡眠だ。これを貪らない理由はない。


 当たり前の幸せを噛み締めて、何の憂いもなく二度目の睡眠へと落ちようとする。


「いつまで寝てるのよファイ! 早く起きて迷宮に行かないとまたマネギル達に酷いことされんじゃないの!?」


 瞼が完全に閉じてあと数秒で完全に意識が途切れようとした瞬間、それを遮るように部屋の扉が激しく空けられて鼓膜を叩きつけるような馬鹿でかい少女の声が聞こえる。


 その声の主のことを俺はよく知っている。小さい頃から耳にタコができるくらいに聞いた声だ忘れるはずがない。


 だから俺はこれしきのモーニングコールで起きることは無い。


「ぐう……」


 何の抵抗もなく俺は睡魔に誘われる。


「「ぐう……」じゃないわよ! アンタの事を心配して可愛い可愛いこの私が起こしに来てあげたんだから感謝しておきなさいよッ!!」


「あでっ……何すんだよメリッサ……」


 少女は俺が被っていた毛布を引き剥がすと頭に一発ゲンコツをかましてくる。


「何じゃないわよ! 起きなくていいのって聞いてるの! 昨日も帰りが遅くて眠いのは分かるけどこのまま迷宮に行かなかったらまたマネギル達に──」


 俺の非難の声を気にした様子もなく少女は物凄い剣幕で言ってくる。


「ああ、それなら問題ないよ。アイツら今俺のこと死んだと思ってるから」


 俺は慌てながら怒ると言う器用な少女に簡単に説明して再び毛布を被ろうとする。


「死んだ!? ちょ、どういうことよそれ!? 説明しなさい!!」


 しかし少女はそれを許そうとはせず、俺の胸ぐらを掴んで激しく体を揺らしてくる。


「メンドイ……てか寝かせてくれ……久しぶりのまともな睡眠なんだ、幼馴染のお前なら分かってくれるよな?」


「分かるわけないでしょ! いいからさっさと下で説明しなさい!」


「ええ……」


 ああ、我が愛しのお布団マイスィートハニー……君とのランデブーはどうやら叶わないみたいだ……。


 なんてアホなことを考えながら俺は為す術なく少女に首根っこを捕まれ、引きずるようにして下の階へと強制連行させる。


 ・

 ・

 ・


 宿屋兼飲食店『箱庭亭』が俺が間借りさせて貰っている宿屋の名前だ。


 そして俺の事を引きずり回しているこの少女はその『箱庭亭』の看板娘の一人、メリッサ・ハイルング、俺と同い年の少女だ。


 絹糸のような肩口まで伸びた金色の髪の毛を二つ結びに纏め、上は白いワイシャツに黒のベストを羽織、下は黒のフリルがあしらわれたロングスカートと言った店の制服に身を包み、とても清潔さを保った見た目。

 看板娘と呼ばれるだけあって、顔面偏差値もそこそこ高く、彼女目当てに店に訪れる客がいるほどだ。ただし見た目に反して性格が雑と言うか荒い。


 彼女の両親と俺の両親は仲が良く、俺と彼女もその所為か小さい頃からの仲で、所謂幼馴染というやつだ。


「お、ファイク! 今日は随分とのんびりだな、休みか?」


 強制的に下の階に連れてこられ、カウンターの適当な席に座ると、カウンターの奥から一人の中年男性が声をかけてくる。


「おはようございますパトスさん。はい、今日は訳あって休みなんです」


 陽気な声にそう返す。


 パトス・ハイルング。

 メリッサの父親だ。

 筋骨隆々のスキンヘッドなナイスガイ。昔は探索者として活動していたが今はご覧の通りこの『箱庭亭』を妻のメメ・ハイルングと営んでいる。


「そうか、そいつは良かったな。折角の休みだ、ゆっくり休むといい!」


「はい、ありがとうございます」


 パトスが俺の背中を結構な強さで叩くと、豪快に笑いながら奥の方へと戻っていく。


 その背中を何となく見ていると目の前にお茶の入れられたティーカップが雑に置かれる。


「はいこれ……」


「え? いや、注文した覚えはないんだけど?」


 お茶を出してくれた主、メリッサの方を見て俺は首を傾げる。


「サービスよ! 折角の休みなのに無理やり起こしちゃって少しは悪いと思ってるから……」


 疑うような視線を向けられたメリッサは顔を逸らすようにそっぽを向くと煮え切らない返事をする。


「……いいから飲みなさい! お金は取らないから!!」


 耳を真っ赤にしながら大きい声でそう言うと、彼女は俺の隣の席に座る。


「それじゃあ遠慮なく……」


 俺は彼女のお詫びのお茶を有難くいただくことにする。


 モーニングティー……いやもうアフタヌーンティーか?

 まあどっちでもいい。

 無理やり起こされたとは言え、昼間っから優雅にお茶を飲むのも悪くない。


「それで、死んだことになってるってどういうことよ?」


 先程までダダ下がりだったテンションが少し回復して機嫌よくお茶を嗜んでいると、横でそれをじっと見ていたメリッサが再度聞いてくる。


「話してもいいけど少し長いぞ? お前店の手伝いはいいのかよ。もう少しでランチタイムだろ?」


 ズボンのポケットに閉まっていた懐中時計を取り出し時刻を確認すると11時01分。


 この『箱庭亭』は午前の11時半から昼の14時半にランチタイムがある。今は店に置かれたテーブル席やカウンター席はお客一人いなく、閑散としているが、昼のランチタイムとなれば話が変わってくる。


 ここのランチはかなり評判が良く、昼の開店から数十分も経たずに沢山の人で一杯になる。正に書き入れ時と言うやつだ。そんなランチタイムの準備をパトスさん達はカウンターの奥でせっせと仕事をしているはずなのだが、コイツはこんなとこで油を売っていていいのだろうか?


「いいの! あっちにはメネルもいるし、私が少しサボっても問題ないわよ」


「あ、そう……」


 何を根拠にメリッサが大丈夫と言っているかは知らんが、本人が大丈夫と言っているなら説明をしよう。帰りが遅いせいで彼女たちハイルング家に心配をかけたことは悪いと思っている。彼女たちには隠すつもりは無い。


「あ、お茶のおかわりもらえる?」


「いいからさっさと話しなさい!」


 俺は空になったティーカップを見せるがお茶のおかわりは貰えず、代わりに頭に一発いい拳を貰う。


「へいへい……」


 俺は叩かれた頭を抑えながら昨日のことを話す。


 いつも通りマネギル達と迷宮に潜ったこと、最深層へと行って沢山の宝部屋を探索したこと、その宝部屋で新種のトラップに引っかかたこと、部屋から逃げ遅れて死にそうになったこと、たまたま通りかかった(そういうことにした)『静剣』アイリス・ブルームが俺を助けてくれたこと、簡単ではあるが決して短くはない事の顛末をメリッサに話した。

 『静剣』のことはかなり濁して話した。理由は俺もよくあの状況を理解できていないのと、詳しく話したら面倒くさくなると思ったからだ。


 メリッサは何度も俺の話を遮って激怒しようとしたが何とか耐えて最後まで俺の話を聞いてくれた。


「ありえないアイツら……! 大事なクランメンバーを見捨てるなんてッ……!!」


「まあアイツらにとって俺はその程度の存在だったて事だな」


「……ッ! 何でファイは裏切られったていうのにそんな冷静なの!? 普通もっと怒るものでしょ!! 悔しくないの!? 恨んでないの!?」


 自分の事のように怒ってくれるメリッサは俺の素っ気ない返事を聞いて、興奮しすぎて席を立ち上がる。


「落ち着けよ。怒りもしたし、悔しいし、恨みもしたよ、でもそれは当然の結果だったんだ。俺とアイツらは仲間じゃなかった、ただそれだけの事だ」


「でもッ! ……そんなのってないわよ……ファイ、いっつもアイツらにこき使われて……十分に休めないほど頑張ってたのに……!」


 宥める俺の言葉にメリッサはそれでも自分の事のように悔しそうに歯を食いしばり、納得がいかない様子だ。


「ありがとう。メリッサにそう言ってもらえて、分かって貰えただけで俺は充分だよ。それに俺は俺でアイツらを夢の為に利用していただけだし、お互い様だ。まあ周りから見ればそうは見えなかったんだろうけど……」


 俺は立ち上がりこんなにも自分の為に怒ってくれる彼女の頭を優しく撫でる。


「うっ……ファイがそれでいいなら……いいけど……」


 やっと気持ちが落ち着いたのかメリッサは顔を俯かせて静かに椅子に座り直す。


「それで……ファイはこれからどうするの? まさか……またアイツらと一緒に迷宮にもぐるの!? もしそうなんだとしたら今度こそ私は全力で辞めさせるからねッ!!」


 手を彼女の頭から退けて、俺も椅子に座り直す。あまり年頃の娘の頭を不用意に撫でくり回すのは気が引ける。


 アイツらとまた迷宮に潜る……か、自分の夢を追いかけるならばそれも一つの手だ。正直に言えば考えなかった訳では無い。アイツらはアイツらで「便利な荷物持ちがアホ面こいて戻ってきた」ぐらいにしか思わないだろうしクランに戻るのは可能だろう。

 だが……。


「安心しろ、もうアイツらとは組まない」


 俺はメリッサの言葉にハッキリと答える。


「そ、そう……それなら良かった……」


 メリッサは安堵の表情を見せ、ホッと胸を撫で下ろした様子だ。


「それなら本当にファイはどうするの? 流石に一人で迷宮に潜る訳ないわよね? 探索者は引退するの?」


 続けてメリッサは首を傾げて質問してくる。


「まだ何も考えてないけど、探索者は辞めない。まだ俺は何も父さんと母さんの夢を叶えられてないから……」


「そう……だよね……うん……そう言うと思った! でも折角一息着けそうなんだからゆっくり休んだ方がいいわよ? 今までアンタ、本当に狂ってるほどアイツらにこき使われてから」


「ああ、そうするよ」


 先程まで暗かった表情がいつも通りの明るい看板娘のものに戻ったメリッサに笑って答える。


「おーいメリッサ~! ファイクとイチャついてないですそろそろ手伝ってくれ~!!」


 すると奥からパトスの切羽詰まった声が聞こえてくる。


「へ、変なこと言わないでよパパッ!! 別にイチャついてなんかない!! ……そ、それじゃあ私もう戻る。話してくれてありがとうねファイ!!」


 呼ばれたメリッサは顔を真赤にして奥にいるパトスに反論すると空になったティーカップを持って奥に戻ろうとする。


「おう、こっちこそ聞いてくれてありがとうな。仕事がんばれよ」


「うん!」


 最後にとびきりの笑顔で返事をするメリッサに手を振って見送る。


 懐中時計で時間を確認すると時刻は11時27分。あと3分ほどで店が開店する時間まで差し迫っていた。


 外からは熱心な『箱庭亭』のグルメファン達が今か今かと、店が開くのを心待ちにする楽しげな声が聞こえてきた。


「……さて、色々とやることはもりもりだけど……今日は折角の休息。もう一眠りしますか……」


 無造作に頭を掻き、ふと蘇ってきた眠気に流されるまま二階にある自室へと階段を登って向かう。


 去り際に自分の影が少し不自然に揺らぐがその時の俺はそれに気づくことは無かった。

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