第14話 女王の瞳



「じつは彼女………ヒルデガルト=バルツェルの眼を見た瞬間から、私の体が動かなくなっていたんです」

「催眠術ってことか?」


 テーブルのカップを片付けながら7は続ける。


「……風の噂によると、彼女は将来の『女王』の候補と言われています。彼女の瞳に捕らわれたが最後、強烈な催眠術をかけられて身動きが封じられるそうです……ですから、司が術にかかることもなく、臆せず平然と会話をしていたことが驚きです」

「人を鈍感みたいに言うなや………………」


 なんだかちょっとショックではある。もう少しオブラートに包めないものなのか……? 


「そういう意味ではありませんよ。ただ………少しかっこよかったです」

「なっ………!」


 7の言葉に一喜一憂する自分が情けなくも思ったが、突然褒められて体が急に熱くなった。異性と深くかかわった経験が少ない分、その威力は壊滅的。今の俺にとっては一撃必殺となる言葉だった。


「あ、……あのなぁ、そういうことは軽々しく………」


 紅潮した顔で叱ろうとするが、腹の虫が鳴った。時計は午後五時を回っている。……こんなに時間経ってたか?


「もぅいいや。……7、夕飯の用意だ」

「了解しました」


 二つ返事で、7はピンク色のエプロンをつけた。そして俺は冷蔵庫から適当に食材を取り出す。準備している間に、7にヒルデガルトについて尋ねた。


「あいつって、俺と関係あるの?」

「一応……グレゴリウス二世の母、つまり、司の祖母にあたる人物の親戚の姉の孫……バルツェル家の長女です。遠い親戚、と言えば聞こえはいいですが、実際のところ、血縁関係はほぼ皆無です」


 ジャガイモの皮をむきながら7が淡々と説明する。


「へぇ……そうだ。さっき催眠術って言ってたよな? 俺、そんなの全然気づかなかったぞ」

「恐らく普通の人間には効かないのでしょう。特定の訓練を積んだ人間には絶大な効果を発揮すると聞きますから」


 普通、という単語を聞いて少しほっとした。7の意識では、俺はちゃんと普通らしい。


「もしくは、あなたが王に相応しいゆえに効かなかったからかもしれませんね」

 まるで心を見透かしたかのように、7は付け加えた。しかし、後付けは無駄なだけだった。

「おだてても何も出ないからな」

「承知していますよ」


 時たま見せる微笑みが、俺の心を揺さぶる。きっと下心はないのだろう。でも、俺は、どうしても持ってしまう。この少女が、堅い表情の中に垣間見せる本来のすがたが、愛おしく見えたりもする。


「まったく………口が減らないな……」


 いざ、包丁を手に取ると、チャイムの音が室内に残響した。


「ん? こんな時間に押し売りか………?」


 出迎えようと玄関に向かった頃には、ドア越しにいたはずの人物はすでに部屋に侵入していた。……それも、土足で。満足げであり、そして何か誇った顔でクレア=シルベスターが入ってきた。


「やっほーケンジョウ! 決闘をもうし―――ぶぐぅ!」


 リビングを侵される前に、俺は走り寄るクレアに右腕に力を集中させてラリアットを顔面に当てた。来た道をそのまま吹き飛びながらクレアは出入り口まで戻った。玄関先にいた8は無言で会釈を見せた。普段は意外と物腰が落ち着いているようだ。


「ふぅ……」


 ついてもいないのに手に付着した埃を払うように両手を叩く。踵を返して歩こうとしたが、背後から同じ気配が寄ってきた。


「ちょ、ちょっと! か弱い乙女に何するのよ!」

「そんな大層な存在は俺の目の前にはいない」

「な、なんですって~………ムキー!」


 さらに間合いを詰めるクレアを警戒して、さっさとキッチンに退散した。またややこしいのが来たな。


「司、来客に対して暴力はよくありませんよ」


 視線も合わせず作業同然に7は俺を戒める。……実際叱る気ないだろこいつ……。というか、単に皮むきに必死なだけか。いつも横目でしか見てなかったからわからなかったが、戦闘時のように真剣な表情をしていた。


「靴を脱がずに入ってくるアホが、客なわけあるか」

「剣条様、7、お邪魔します」


 クレアに対して8は普通に靴を脱いで上がっていた。そして、その光景を説明するため、8を指差す。


「見ろ7! 相方の世話役は常識があるぞ! ……なのに当の主人であるあいつは全ッ然ダメ! ……むしろ立場逆じゃねぇの?」


 そう見えた。いや、そうとしか思えない。逆だとしても世話役というより、奴隷だな、クレアは。

 さすがに見かねた8が、俺達を前に深々と頭を下げた。


「申し訳ありません……クレア様はまだ日本の文化にお慣れになっておらず、失礼なことをしてしまったと思います。……どうか、クレア様のおバカ……コホン、……ご無礼をお許しください」


 今……少し本音が出たよな? 隣の7に同意を取ろうとしたが、少女の視界にはジャガイモと包丁くらいしか映っていないらしい。


「……別にいいよ。ただし、汚れたところは掃除しておいてくれよ。あ、8じゃなくてクレアにな?」

「ちょっと! そんなの8がやればいいでしょ!」


 こいつは……せっかく譲ってやってんのにわからんのかね? 必死になだめる8を他所にクレアに問う。


「大体、お前ら何しに来たんだよ?」


 さっき、決闘とかぬかしてたが……もう全身が動かなくなるのは御免だ。クレアは胸を張って俺を見下した。


「喜びなさい、このクレア=シルベスターがショミンのアンタの犬小屋に夕食を食べに来てあげたのよ!」


 二、三秒お互いに凍りつき、先に動いた俺はクレアの服の襟をつかんで外へ放り出した。ドアに二重のカギをかけ、今度こそ本当に料理に戻ろうとした。


「こら、ケンジョウ、開けなさいよ!」


 非力で鉄扉を叩いているが、無視。わざわざ相手をする必要もない。大前提として、俺は一応、あいつに勝っているのだ。もう相手をしてやる筋合いはない。

「剣条様……お願いします」


 8がもう一度頭を下げる。とてもナイフを突きつけられた相手とは思えなかった。


「態度が変わったな8……」

「一度負けた相手に、先日のようなご無礼はできませんから」


 どうも丁寧すぎると思い、ふと、8の表情を覗こうとすると、右手には銀色に輝く物体が握られていた。………きっと見間違いだろう。


「わかった。掃除はさせろよ」


 ドアを開けると、そこには泣きそうな顔で詰め寄るクレア。勢いのあるタックルが、体に直撃した。


「ぐはっ……!」

「えいとぉ、こわかったぁ!」

「はいはい、よしよし」


 8は面倒そうに、泣きついてくるクレアの頭を撫でた。あからさまに嫌がっている。眉をひそめて視線は7の方角にある。




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