第13話 ダイヤのQ ヒルデガルト
動物園を出たところで、7が踵を返す。くるっと身を翻した少女は、優しく笑う。
「また……ここに来たいものですね」
7の口からもれた本音。抑圧させている心がついうっかりでてしまったらしい。
「す、すみません……ぬいぐるみを買ってもらった上にこんなわがまま……」
「そんなに堅くならなくたって、何も言やしないさ。……もっと素直になってくれた方が、俺としてもうれしいからな」
打ち解ける良いきっかけと思ったが、7はほころんだ表情を固めて、仕事の顔に戻った。
「いえ、私はスート。そのような甘えは許されません」
力いっぱい両手で買ったばかりのパンダのぬいぐるみを抱きしめて反論される。しかし、そのかわいらしい姿にあまり説得力はない。
「はいはい」
まだ、お互いの壁を壊すには時間はかかりそうだった。
近くのファミレスで昼食を食べている間も、電車に乗って帰る間も、7は一時もぬいぐるみを離さなかった。周りが不思議な視線を送るが、7は目下のぬいぐるみに夢中だった。
好きなんだなぁ……と、何とも言えない気分で最寄駅に到着。改札を抜けて、後は新拠点のマンションへ向かうのみ。
しかし、人通りの多い交差点で異変は起きた。赤信号が青に変わる瞬間だった。
『呑気なものですわね、7』
張り詰めた氷のように凛とした声。雑踏に混じってかすかに届くそれは、誰の声なのか判別がつかない。ただ女、という事だけはわかる。スピーカーから出たような音声が、俺達に届く。
『探しても無駄ですわよ』
相手は見えているらしい。圧倒的に不利な状況だった。隣の7の様子をうかがうと、緊張が表に出ていた。頬には数滴の汗が見える。
「司……逃げますよ!」
俺の手を引っ張って、7は駆けだす。
「一体誰なんだ! この声! この周辺から聞こえるぞ!」
誰も笑っていないのに、嘲笑が響く。トンネルにいるかのように、何度も反響してくる。
「おそらく私達を狙う候補者の仕業で間違いないでしょう。お金に物を言わせて周辺にスピーカーでも取り付けたと考えれば妥当です。ランクは特定しかねますが、こんなに手のかかったことをするのは、確実に私たちより格上………絵柄……J、Q、Kのいずれかと思います」
淡々と説明してくれる7だが、握っている手は汗をかいていた。俺達は声から遠ざかるように急いで拠点へ戻った。まったく……せっかくの親睦会が台無しだ。
マンションに到着して、郵便ポストを確認してから二階の自分たちの部屋に向かうと、扉の前に二人の人影があった。一人は女。もう一人は巨躯の男だった。7は相手を見るなり、腕を伸ばして俺の歩を止めた。
「……気を付けてください、司。声の主はこの女性のものです」
「あら、
一瞥した女が退屈そうに嘯く。確かに、さっきの声だった。何もできないが、とりあえず身構えた。
「いきなり喧嘩腰というのは、紳士としての品格を疑いますわよ?」
……何もしてこない。敵じゃないのか? 女は徐々に歩み寄ってくる。そして、軽く会釈した。
「ごきげんよう、剣条君」
金色のウェーブのかかったふわふわした長い髪。手に収まりそうなほどの小さな顔。相手を射抜く紺碧の眼。端正な顔立ちは、西洋美人という言葉がぴったりだった。
「あぁ。さっきまで上機嫌だったんだけどな」
誰がぶち壊してくれたんだか………女は俺の適当な挑発には乗らず、涼しい顔で自分の髪を一撫でした。
「それは失礼しました。……ですが、先ほどの事は、何もただ単に冷やかしただけではないですわ」
状況だけで判断すると、目の前の女が後継者候補で、後ろにいるのが体のいい男がスートか。……会話に注意しつつ、二人の様子をうかがう。
「じゃあ、一体何のために?」
「他者の介入を防ぐため、そして、いち早くあなた方の帰宅を望んでいましたので」
「だから、何で?」
再び同じ質問をすると、女は目を見開いて一歩下がった。
「日本の方はお茶もなしにお話をしますの?」
めんどくせぇなこいつ………今時イギリス人でもそんなこと言わねぇだろ。生まれてくる時代間違えてんじゃねぇのか?
「司、ここは一旦話を聞くべきだと思います」
7の提案もあって、妥協することにした。ドアのカギを開け、部屋へ入る。帰って来たのに、全然うれしくなかった。本当ならもっと気分は晴れ晴れとしているはずなのに。
「まぁ、ずいぶん狭い部屋ですわね」
「っ………」
反論しようとしたが、言葉はすべて喉もとで消えた。しかし逐一癇に障る女だった。
対面するように座る。7がすぐにティーパックの紅茶を淹れて女に出す。男は女の後ろで黙って正座をしていた。女は紅茶を見るなり不満そうな表情をしつつ、渋々飲んだ。
「申し遅れました。わたくし、ダイヤの
角度十五度ほどの会釈だったが、なぜか様になっていた。
「ヒル……まぁいいや。知ってるだろうけど……俺は剣条司。で、用件は?」
一応自己紹介をしておく。
「お話というのは簡単です。私の側につきません?」
表情を一転して、ヒルデガルトは作った笑顔を見せる。
「同盟を組めってか………?」
「あら、そんな対等ではありませんわ。あくまでこちら側の傘下に加わるという意味ですわ……貴方が、私と同じだと思って?」
「…………」
傲慢、奢り高い。高飛車。最近同じようなタイプに遭遇したが、こっちは馬鹿じゃない分、俺では対処できない。
ヒルデガルトはもう一度紅茶を一口飲むと眉をひそめて、「まずい……」と小声でつぶやいた。
「剣条君、ノブレスオブリージュをご存じ?」
「いや、ないけど」
「貴族や王族など、高位の人間には、身分相応の義務と責任を伴うという考え方ですわ。……テレビに映っていたあなたは、こともあろうかこの後継者争いに『興味ない』と仰いましたわ。……各々がそれぞれの野望を持って臨んでいるのに、あの体たらく………私達に失礼である以上に、不愉快ですわ」
「あっそ。でも俺、自分が王族なんて知らないし」
冷めないうちに俺も紅茶を飲む。あんまり得意じゃなかったが、雰囲気を醸すために一応。相手側のスートを一瞥するが、こちらの視線に気づくこともなく、目を閉じてじっと正座をしている。
「私の下につけば、国王になることは叶わずとも、それに近い、大臣の位は約束しますわ。それに、今後の戦いにおいても、クイーンの私がいることで戦況を優位に進められます。………既に一日目に敗北を味あわされたジョーカーも、協力すれば敵ではありません」
熱弁虚しく、俺の心には響かなかった。自分には絶対の自信があるのだろう。顔を見れば素人でもわかる。今の説得で必ず剣条司は首を縦に振ると、そう予想しているのだ。しかし、俺はそう安々と他人にゴマをすらない。
「あんた……色々考えてるんだな」
感心できる点はいくつかある。俺と大して差もない年齢で国王を志し、自分の『野望』とやらに熱心に向かっている。賞賛されるだろう少女の行動に、拍手もしてやりたいくらいだった。
「当然」
涼しい顔でヒルデガルトは返した。
「現状をしっかり把握して、どう対処するかも理解してる」
「おだてるのがお上手ですわね」
ようやく和やかな空気が完成に近づいたところで、止めを刺した。
「でも、断らせてもらう」
最初から、そんな気はない。無論、説得を聞いたところで考えを改めるつもりなんて毛頭ない。
「……………………今、何と?」
驚きを隠せないヒルデガルト。自信たっぷりだった顔は、冷静さを取り戻すのに必死だった。けれど、貴族らしく、比較的落ち着いてはいた。
「すごいよ、すごすぎるよあんた。だからこそ無理なんだ」
「全く……仰っている意味を理解しかねますわね。それだけ褒め称えておいて、『だからこそ』というのは、一体どういう事? 興味の無いあなたからすれば、これだけの優遇を有して………何が不服なんですの?」
「そもそも俺を引き抜こうとする時点で間違いなんだよ、よく考えろ」
沈黙が続く。続けろ、という事らしい。余計な言葉を加えない分、同年代の人間より気楽だ。
「周りは敵だらけ。知らない奴ばっかり。生活習慣の違う異国。これだけの悪条件が揃ってるなら、そりゃ仲間が欲しい。だから、裏切られる可能性の低い俺を選択した。自分より格下なら、引き入れられる可能性は高いだろうからな。だからと言って、俺は力に屈するほど弱くはない。確かにグリズランド……グレゴリウス二世の後継者争いには興味はない。ただ………7が協力してほしいって言ったから現状に至っただけだ。俺は7の頼み以外は効くつもりはない」
不思議と言葉が次々と出て、紡がれる。ただし、自分でも何を言ってるかは良くわからない。もっともらしいが、微妙に変だ。
「……矛盾してますわね。興味がないという事は争いを起こさないという事。……それは結局、協力しても7の望みは叶いませんわ」
冷静さを取り戻したヒルデガルトが反論する。これ以上は何も生み出さない。さっさと帰ってもらおう。
「んなもん、後で考えるさ」
互いに譲らない結果がこれだ。自らの野望に燃える人間と、現実を甘んじて受け入れている人間の差。歴然とした態度の違いだ。仮に俺が傘下に加わっても、すぐに仲たがいすることになるだろう。
「後悔しても………知りませんわよ?」
「それはないよ……それに、あんたの実力なら俺なんかいなくても必ず願いは叶うよ」
励ましのつもりで言ったが、ヒルデガルトはそれが気に入らなかったらしく、むっとした表情で視線を逸らした。
「そういう上から目線のコメントが気に入りませんわね」
その時初めて、このヒルデガルトという人間の子供らしい不満そうな顔を垣間見た。
「上からなんて……普通に考えてそう思うよ。それと、さっきの話にもう一つ加えておくと……自分と対等な人間と組まないとさっきの、あれ……ノブなんとかはできないぞ」
剣条司に高貴さなどない。並みの正義感と行動力くらいだ。一般市民を甘く見てもらいたくはない。
「せっかく手を差し伸べたというのに………」
俯き加減にそんな言葉が聞こえた。演技なのか、本心なのかは定かではない。
「お嬢様、そろそろお時間です」
ようやく口を開いた図体のデカいQが小声でヒルデガルトを呼んだ。見た目の割に雰囲気は読むんだな。
「……そうですわね、それでは私はこれで失礼します。ご健闘をお祈りしますわ」
ヒルデガルトはまた顔色を一転して、出会った時と同じような余裕を持ってニコッと笑った。
「こちらこそ、がんばれよ」
そして、来客は去って行った。テーブルのカップに残った紅茶を一気に飲み干す。ぬるくなっていてまずかった。
「あいつも、学生なのかな……7?」
ドアの方を見つめて7に問う。しかし、返答はない。座っている7に目をやると、顔を真っ青にして固まっていた。
「お、おい7!」
「はっ! ……………」
様子がおかしい。毅然とした姿がない。肩つかんで揺すってみると、7は我に返った。蒼白とした顔に血色が戻っていく。
「す、すみません。意識が朦朧としていました」
「一体どうしたんだよ……………」
落ち着きを取り戻した7が姿勢を崩した。
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