プロト版(元素戦記)

英島 泊

第1話 クライシス・C

「お目覚めかい? 少年」

 瞼を上げるやいなや、そう声をかけられた。眩しさに焦点が合わない。はっきりしてきた視界に入ったのは、白衣に身を包んだ妙齢の女性であった。薄い灰色のウェーブがかった髪とダークブルーの眼に、モンゴロイド系にしては高い鼻筋。

「ん……え、あ」

 ここで、少年と呼ばれた人物は自分が椅子に縛られていることに気がつく。パイプと申し訳程度のクッションでできた、折り畳み式のあの椅子。アクリル板越しに見えるのは、机に頬杖をつく白衣の女性と傍に控える黒ずくめの女性、壁面は妙な光沢のある白いブロックで覆われている。

「…………は?」

「状況が飲み込めないってさ。君の顔面の方がよっぽど雄弁だねぇ」

 白衣の女性が微笑を浮かべながら、脚を組み替える。

「とりあえず、覚えてる限りを思い出してごらん。話はそれからだ」

 わけがわからない、が少年は従わなければいけないような気がした。



 高校から家に帰ったところまでは覚えている。家には父と母、それに妹がいたはずだ。

 いつも通り自転車に乗って家の前で降りた。なんら変な点は無かったように思える。その後からが思い出せない……



「いや、熱かった……とにかく、それくらいしか……」

「なるほど、興味深い」

 白衣の女性は湯気の立ち昇るカップを一口すすり、「アチッ」と舌を出した。

「そりゃあ、熱かっただろうね」

「おい……なにがあったんだよ。教えろよ!」

 パイプ椅子がガタガタと鳴って、倒れる。思わずうめき声をあげる。

「端的に言えば放火さ」

「は……?」

「バックドラフト、という推理小説御用達の現象が起きたのではないかと推測している。気密性の高い室内で火災が起こると、室内の酸素を使い果たして一旦鎮火したかのような状態になる。扉を開けると酸素が供給されて可燃物が急激に燃焼し、扉から炎を噴き出すのさ」

「……なにが言いたい」

 カップから一口、喉を潤して続けた。

「室内は不完全燃焼状態でも数百度に達し一酸化炭素が充満する。おそらく、君は中に踏み込むこともできないか、できたとしても一酸化炭素中毒で倒れた可能性が高い。さらに、バックドラフトによって炎が噴出すると共に、室内は1000℃近くにまでなる」

「……家族はどうなった!俺はなんで生きてる!」

「一つずつ答えよう。ご両親はおそらく死亡だろう。焼け跡から現時点で身元不明の成人の遺体が2体。そして妹さんは消息不明」

「…………噓だ」

 口から零れた。

「我々が発見したとき、君の体表は既に炭化、ほぼ全身がⅢ度熱傷。そんなウェルダンな君に幸運レアがもたらされた」

「あ……?」

 白衣の女性がすくっと立ち上がる。

「自己紹介が遅れたね。ワタシは『メンデレーエフ』。“博士ハカセ”と呼んでくれたまえ」

 白手袋に包まれた右手を胸にあてて、鷹揚に、不敵な笑みを湛えながら、そう言葉を放つ。

「『メンデレーエフ』……?」

「名前くらいは聞いたことあるだろう? そして今日から君は、Kohlenstoff…… “コハル”だ。6番元素能力者エレメタムC炭素として頑張ってくれたまえ!」

「いや、待て。俺の名前は……」

「博士、クロガネの準備ができたようです」

 控えていた黒ずくめが急に喋った。異様に真っ黒い眼が壁を凝視している。腰にまで届くストレートの黒髪が少し揺れた。

「はい了解。入ってきていいよ」

 少年側の白い壁面が開き、スーツの男が入ってくる。黒縁眼鏡に隙の無い着こなし。如何にもエリートといった佇まいである。

「クロガネ君だ。しばらくは君とバディを組んでもらう。じゃ、あとはよろしく~」

 そう言って博士と助手らしき人物はアクリル板の前から立ち去った。

「おい……いや、待てよ。なあ、あんたも止めてくr、いっ」

 唐突に頭痛が、いや頭を踏みつけられた。

「騒ぐな。やかましい。俺はあの方ほど優しくはない」

「っ……てめぇがうるせぇんだよ! なんだよ、お前ら、なにが“エレなんとか”だ! 意味わかんn」

 少年の言葉は甲高い金属音で遮られた。少年の目の前の床に金属棒が突き刺さっていた。

「二度言わせるな」

 首をなんとか捻る。金属棒はスーツ男の掌から生えていた。

「俺のことは先輩と呼べ」

 アクリルの向こうのカップは冷え切っていた。



「ついて来い」

 スーツ男に拘束を外され灰色の廊下に出る。一定の間隔で灯りがあるものの、薄暗く足音が響いた。

 先輩、と言うからにはこいつも“エレなんとか”なのだろう。手からなんか出してた。『メンデレーエフ』も聞いたことだけはある。中学の社会で習った。現在日本が保有する“科学の巨人”3名のうちの一人……それと周期表の考案者、元素、6番は、えっと、すいへーりーべ…………C、炭素だ。みんなで覚えたんだっけ。あいつら元気にしてるかな……あ、俺は今どうしてこんなところに……

「着いたぞ」

 気がつくと小さめの体育館くらいのスペースの中央に立っていた。床は砂で敷き詰められている。白い砂の中には黒い破片らしき物がちらほらと見えた。

「“エレメタム”とは元素を生成し、操ることができる能力者、またはその能力の総称だ」

 そう言うと、スーツ男の掌から直径2 cmほどの金属球が一つ、生み出された。

「お前にもできるはずだ。真似してみろ」

 言われるがままに右手に目を落とすと、そこに右手は無かった。あったのは右手の形をした黒い炭だった。自分の意のままに動く、だが自分の一部ではない黒い塊が、そこに鎮座していた。

「う、ああっあ……」

 視界がぐらつく。ゆっくりと拳を握る。黒い塊は僅かに破片を舞わせながら拳を握る。腕の骨に振動を感じる。

 拳を広げると、黒い塊の上に光沢のある黒鉛の球ができていた。脂汗が顔から首から、背中を伝う。

「いいだろう……で、その右手、どうしたんだ」

「……っ、言いたくない、知らない」

 やめてくれ。

「少し見せろ」

 スーツ男が近づき、手首を掴んで目の前に持ち上げ凝視する。黒鉛の球が転がり落ちて、砂に着地する。

「どうやってこうなった」

「…………んなよ」

 スーツ男の手を払い除ける。

「ふざけんなよ‼ こっちがききてぇわ! なんで俺がこんな目に合わなきゃいけねぇんだ!」

 昨日までの家族とのやり取りや、学校での日々の出来事は一体なんだったのだ。まさか、自分に降りかかり崩れ去る幻想だったのか。それを知っていたら、あるいは……ああ! 腹が立つ!!!

「……てめぇ、さっき頭踏みやがったろ。クソ痛かったんだわ」

 もう一度、炭と化した右手を握る。より硬く、強固に、煤をこぼしながらC炭素は規則正しく並び変えられ黒鉛となる。

「いっぺんくらえやああぁぁあ!!!」



「……あの少年、大丈夫でしょうか」

「ん~、まあ大丈夫でしょ。なんかあってもクロガネ君がついてるし」

 二人分の靴音が廊下を反響する。

「そこが心配なんですよ」

「あ~ね、だが彼も……心配はいらんだろう」



 振り抜いた右の拳はスーツ男の額に激突する。鈍い音と重い衝撃が腕に走る。

「フッ」

 次の瞬間、視界が反転し全身が砂まみれになる。一瞬遅れて顎が激痛訴えた。

「チッ……打ち方がなってねぇんだよ」

 焦点がまだ定まらない。立ち上がろうとして、右腕が視界に入り黒鉛がひび割れたことに気がつく。ボロボロと黒い塊が落ち、炭化した状態に戻った。

「元素を持っちまったからには、てめぇが自分でどうにかするしかねぇ」

 スーツ男が黒鉛の球を拾い上げ、砂を落とすのが見える。金属球が目の前に投げ落とされた。

「26番元素能力エレメタムFeだ。そいつは預けておく」

 そしてスーツ男は黒鉛球を飲み込んだ。その直後、雑音と共に放送が入る。

『ザザッ……ワタシだ。他の元素能力者エレメタムが生成した1 molの純物質を摂取することで、その能力の一部を使用できる。覚えておくように!』

 博士の声である。

『ただーし、コハル君。まだFeの摂取は禁じる。それまではクロガネ君の指示に従うように、以上!』

 唐突な放送は唐突に終了した。

「……だそうだ……」

 クロガネが視線を寄越す。なんだその面倒くさそうな顔は。だが、仕方ない。

「……わかった、よろしく頼むよ」

 口から砂を吐き出して答える。そうでないと、俺はこの理不尽に耐えられる気がしない。


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