カクコト。

Kojitomo

カクコト。

 いつからか「書く」ということするようになって、いつも頭の中で、ものすごいスピードで回っている地球のように止めどなく流れる思考を留めておけると思った。一瞬でも同じところに居れないこの世界で、それぞれがそれぞれで、関わった世界で事が起こる。みんな違うフィールドの問題なのに、全部一緒に考えてしまう。同じような高さで、同じような濃度で。

 思い付きはいつも私自身を救う。生きていくなかで出てくる色々な問題の答えを私の中から出してくる。それを私はいつも感覚で捉えてきた。

 感覚というのはとても主観的で個人的なもの。誰かの影響があったとしても私が感じたことは私のものである。言葉で表現する前に整理する過程で、「書くこと」は大切な作業になった。


 答えは、何をどう導き出していいのだが、若い時は片寄った答えしか出せないでいた。死にそうなほどの落ち込みも何回も経験すると、裏と表のような、ネガティブとポジティブであるように、相反するふたつの答えを出せるようになってきた。


 それでも、正解はたぶん、協調性と一般常識なんだろうけど。年を重ねると、私自身では重要性は低くなってきたけれど、正解は正解なのだ。


 私の「書く」ということは、ファンタジーじゃない。生きていくなかで問題と受け止めた感覚という曖昧なものを表現し、現実と向き合うことなのだ。

 人の気持ちほど想像できないものはない。違う世界の住人なんだし。理解できないことの方が多い。

 だからといって関わらないわけにもいかない。集団で生きていていくことが社会なんだし。最初の人がそういう仕組みを作って、私たちはそれに従ってきたにすぎないのだし。

 だから、私は電車やバスは乗らないで車に乗るし、交通ルールも守るし、都市部は避けて田舎に住むし、結婚して離婚もする。ぎりぎり正解の範疇で自由に生きることにしている。


 私の現実はみんなと同じもの、なはず。ただ私自身が少し協調性がないのと一般常識に疑問があるだけ。そして女性であり看護師であり娘は障害児であること。頭痛は治まらない。それでも、痛み止めを飲んででも、女性であることも看護師として仕事をすることもひとり親として障害児を育てていくことも、辞めない。

 プライドかもしれない。意地かもしれない。強がりかもしれない。ファンタジーかもしれない。

 それでも書き続けていくのだ、答えをふたつ出しながら。

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