第94話 過激な方向性
──9月5日。
『お疲れ様です。
今日はありがとうございました。
もしマネージャーさんの都合が良ければ、明日もお仕事のご相談をさせていただきたいです』
昨夜、彼女からこんなメッセージが送られた。
元々は来る予定ではなかったのだけど、こうして誘われたので、次の日も俺は詩乃香さんの家に来ていた。
「昨日の投稿、めちゃくちゃバズってますね」
「は、はい。ありがたいことに、まだ通知来て驚いています」
両手で握りしめたスマホ。
通知音を切っているからか音は鳴らないが、次の日になっても通知が届いているようだ。
「反応も良かったですね。なになに、『めちゃくちゃエロいです!』『今まで見てきた4nоさんで一番綺麗!』ですって」
「恥ずかしいので、そ、その、読まないでください」
頬を赤らめながら髪を触る詩乃香さん。
恥ずかしがっているものの嬉しそうにする彼女。
昨日より化粧に気合いが入っているように見えるのは気のせいじゃないだろう。
「そういえば、おはようツイートってもう投稿しました?」
「いえ、今までも毎日とかはしてなかったので」
「昨日の投稿でフォロワーも増えたので、これからは毎日した方がいいですよ。こういう挨拶一つでファンは詩乃香さんのことを身近に感じられますから」
「なるほど。じゃあ、今しますね」
詩乃香さんはスマホを操作して文字を入力しようとする。
「あー、待ってください。言葉だけじゃなくて自撮り付きがいいですね。こういう毎日の挨拶からフォロワーを増やしていきたいので」
「なるほど、わかりました!」
詩乃香さんは恥ずかしがる様子も見せず大きく頷く。
──良い傾向だ。
おそらく一つの成功体験を得て、俺の言うことを簡単に信じるようになったのだろう。
こうして一つ、また一つと俺の指示したことが成功していけば、詩乃香さんの頭の中で『マネージャーさんの言ったことは正しい、全て従う』という思考になる。
そうすれば、彼女も……。
「マネージャーさん、どうかしましたか?」
「ん、ああ、いえ」
「そうですか。あの、一応ですが撮ってみました」
そう言って俺にスマホを渡す詩乃香さん。
昨日と同じ上からのアングルでの写真。
カメラ目線で綺麗に撮れてはいる。だが、おそらくこれだと反応は少ないだろう。
「なんか、普通ですね」
「え……」
はっきり言うと、詩乃香さんは申し訳なさそうに俯く。
「地味な服装にぎこちない表情。綺麗に撮れてはいるけど、昨日で詩乃香さんのファンになったフォロワーが求めている4nоは違うと思いますよ」
「みなさんが求めてる、わたし……そ、それは、なんでしょう」
「わかっているんじゃないですか?」
そう問いかけると、眼鏡の奥に見える潤んだ瞳を外に向ける詩乃香さん。
「今のその表情いいですね。そのまま唇を人差し指で触ってみてください」
「え、あっ、はい……えっと、こ、こう、ですか?」
「いいですね。ちょっと失礼しますね」
立ち上がって一歩近づく。
邪魔な首元のボタンを外すと、小動物のような雰囲気を持った詩乃香さんが慌てて胸を隠そうとする。
「マネージャーさん!? そ、その……」
「いいですね。そのままこっち見て」
「え、あ……」
まるで今まさに、男に乱暴されているかのような写真。
狙っていた一枚でもなく、朝のおはようには刺激が強すぎる一枚だが、これはこれでいい写真が撮れた。
俺はスマホを彼女に返す。
「これを投稿してみてください」
「で、でもこれ」
「嫌ですか?」
そう聞くと、詩乃香さんは少し迷う素振りを見せたが首を左右に振って言われた通り投稿した。
俺のスマホで確認する。
『おはようございます。今日も一日頑張りましょう』
たったそれだけの文章に襲われているかのような詩乃香さんの写真。
意味不明な投稿だが、エロいのが好きな男にはそんなことどうでもいい。
「普段、朝の投稿とかってどれぐらい反応貰えるんですか?」
「えっと、いいねが40とか……」
「投稿してまだ1分ぐらいですけど、もう越えましたね」
詩乃香さんは食い入るようにスマホの画面を見つめていた。
それも少女のように瞳を輝かせて。
多くの人から反応を貰えて嬉しいのだろう。
別にたくさんの反応が貰えても、コスプレイヤーを始めるきっかけとなったお金が手に入るわけじゃない。これはその前段階、ただの人気を得るための準備だ。
それなのにいいねが増えるたびに目を輝かせ、コメントを貰うたびに口元を緩ませる。
「たくさん反応が来て良かったですね?」
詩乃香さんがコスプレイヤーをしようとした理由がわかった気がする。
「昨日も言いましたが、もう一度言いますね。詩乃香さんは綺麗です。そして、ファンが求めているのはエロい詩乃香さんです」
「……」
大きく唾を飲んだ詩乃香さん。
昨日に続いてもう一つの成功体験を得た。
俺が言ったことを、彼女は恥ずかしがって「そんなことないです」と否定したりしないだろう。
自分の売り方を理解した。
そして、俺への信頼が昨日より強くなった。
「じゃあ、仕事の話をしましょうか」
「はい、よろしくお願いします」
そう、彼女はすぐ頷いた。
♦
※詩乃香視点
今まで詩乃香は、おはようの投稿だけじゃなく昼や夜の投稿でもそんなに反応は貰えなかった。
自撮りの画像付きだと増えるけど、それでもほんの少しだけ。
それなのに、マネージャーに投稿するよう言われたおはようツイートはどんどん伸びていた。
コメントも、見てくれる大勢の人が喜んでるのが伝わる。
「詩乃香さん……詩乃香さん?」
「は、はい!」
慌てて返事をすると彼は優しく笑った。
「反応が貰えて嬉しいのはわかりますが、もう少し仕事に集中してくださいね?」
「す、すみません……っ!」
喜んでいるのが顔に出ていたのか、まるで詩乃香が娘に言うような言葉をマネージャーに言われて顔が熱くなる。
こんな10も下の男性に恥ずかしい姿を見せてしまった。
それと同時に思う。若いのにマネージャーの彼は凄いと。この人にお手伝いを頼んで良かったと。
「自分の方で、詩乃香さんに合うだろうなって思ったアニメのキャラを探してみたんです。確認してもらってもいいですか?」
「すみません、ありがとうございます!」
渡された資料を確認する。
古いアニメしか知らない詩乃香でも、名前だけは聞いたことがあるようなアニメばかりで、どのキャラもかわいいというよりは綺麗な大人っぽいキャラが多い。
詩乃香の年齢を考慮してのキャラ選びなのだろう。
ただ、
「あ、あの……」
資料に載っていた女性の多くが布面積が少ない衣装を着ていた。
エルフ、踊り子、魔女に──娼婦までいた。
ファンタジー世界ではよく見るキャラも、そのほとんどが下着と変わらない服装だった。
詩乃香は戸惑っていたが、マネージャーは気付いていないのか話を続けた。
思考が卑猥な妄想で浸食されながらも話を聞き、資料に目を通す。
「──!?」
ページを捲っていくと、そこに載っていたのはアニメのキャラだけでなくRー18ゲーム、いわゆるエロゲーの作品とキャラのコスプレだった。
わたしがこのコスプレを!?
そう思った瞬間、マネージャーの声は耳に入らなかった。
資料を食い入るように見つめ、エロゲーの情事中の一枚絵を見て赤面する。
「ああ、それ」
マネージャーが詩乃香の見ていた資料に気付いた。
「一般的なアニメキャラのコスプレは出尽くしているので、そういうコスプレもしていこうかなって思って。詩乃香さんは、少し過激なコスプレの方が人気出ると思うので」
「で、でも、これ……」
マネージャーの言葉を否定しようとして、その言葉を飲み込む。
今までSNSに投稿しても全く反応が貰えなかった自分が、彼の言ったことを聞いて実行したらすぐに人気が出てきた。
素人の自分より、彼の言ったことの方が正しい。
それに恥ずかしいからという理由だけですぐ否定したら、せっかく考えてくれたマネージャーに申し訳ない。
だから、詩乃香は何も言わなかった。
首を左右に振ると、マネージャーは話を続けた。だけど緊張や羞恥、それに体の熱や興奮から話も頭に入らず資料の文字すら上手く読めない。
ただ一枚絵だけははっきりと見える。これは純愛シーンではない、いわゆる陵辱シーンだ。
涙を浮かべ、全身を白濁液塗れにした女性。
嫌がっているのに、気持ちよさそうという感想がパッと頭に浮かんだ。
詩乃香は唾を飲む。
自分がこの一枚絵の女性を再現する?
一人で。いや、これまで通りなら相手は……。
「詩乃香さん?」
「は、はい!」
詩乃香は大きく返事をした。
マネージャーの顔を見て、少女のように心をときめかせた。
恋? いいや、違う。
この場合の反応は性的な興奮だ。だが何年も味わったことがなかった感覚なので、そうだと瞬時に理解することはできなかった。
「す、すみません、お茶が無くなってしまったみたいで」
このままマネージャーの顔を見て、しかも二人っきりの空間で話をしていたらおかしな気分になる気がした。
だから距離を置くようにこの場を離れようと立ち上がる。
けれどずっと座っていて足が痺れたのか、上手く立ち上がれず、全身が前方に──。
「危ない!」
倒れる寸前、詩乃香の体はマネージャーに抱きしめられた。
危なかった、お礼しないと。そう思って顔を上げると、彼と目が合った。
それと彼に抱きしめられると、なぜだか不思議と気持ちが良かった。そう感じた瞬間、頭の中がぐちゃぐちゃになった。
「や、やめてください!」
自分で何を言ったのかわからなかった。ただ、なぜかマネージャーを突き放してしまった。
「す、すみません! わたし、その……」
マネージャーと目が合った。
彼も詩乃香と同じく驚いていた。
いや、少し驚き過ぎな気がした。
「あ、あの──」
こんなに仕事で良くしてもらって、倒れそうになったとこを助けてもらったのに突き放すなんて。
冷静になり、離れてからもう一度謝ろうとした。
だけど同じ、いや詩乃香の声に被せるようなタイミングで「すみません!」と彼に謝られた。
「僕、えっと、その」
マネージャーはまるで何かに追われているかのように周囲を見渡す。
「マネージャーさん?」
「すみません、僕──」
詩乃香が何か言う隙もなく、マネージャーは逃げるように家を出て行ってしまった。
一人取り残された詩乃香。
腰が抜けるように床へ座り、ふとハンガーにかけられたままのジャケットに目が止まる。
「追いかけて、渡さないと!」
だが、体を上手く動かすことができず追うのを止めた。
きっとジャケットを忘れたことに気付いて取りに来るだろう。
詩乃香はマネージャーに『先程は取り乱してすみませんでした。それと助けてくださってありがとうございます。ジャケット忘れてます』と連絡をして取りに来るのを待った。
『マネージャーさん?』
『先程はすみませんでした、会って謝りたいので戻ってきていただけませんでしょうか?』
『あの、マネージャーさん?』
『マネージャーさん、返事ください。待ってますから』
詩乃香は何度もメッセージを送った。
送って、送って、何件も送ったのに返ってくることはなかった。
──それから三日経っても、マネージャーから返事が来ることはなかった。
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