第93話 彼女の本性
──彼女は人から性的な目で見られていると自覚したとき、色気のある雰囲気をまとう。
これはおそらくじゃない、そう断言できる。
現に今、俺の目の前で目隠しされた詩乃香さんの色気は凄まじい。
黙っていても唾が溢れ出て、気付くと下半身がテントを張っていた。
「あ、あの、マネージャーさん。もう外しても、いいですか……? えっと、マネージャーさん?」
沈黙が生まれることを怖がっているのか、詩乃香さんは顔を動かしながら何かしらの声を発する。
ただ、自分からは決して目隠しを外そうとはしない。
マネージャーの命令だからか、それとも、本心は今の状況を嫌がっていないのか。
「まだ駄目です」
「え、でも……あっ」
スマホのシャッター音が鳴り響く。
その瞬間、詩乃香さんの全身がビクンと震えた。
真っ暗な視界の中、いきなり写真を撮られて驚いたのだろう。
「マネージャーさん、なんで写真……」
「なんでって、元からそういう話だったじゃないですか。こういうコスプレも今後はしていきましょうって。そうだ、何かポーズとってみてください」
「ポーズ、ですか? で、でも、何も見えないから……一度これ、外してもいいですか?」
「駄目ですって。じゃあ、俺の言う通りにポーズしてください」
「でも、その、目隠ししたままだと、恥ずかしくて、その……」
「じゃあまず正座を止めて、手を後ろにしてください」
「あ……はい」
それから、詩乃香さんは戸惑いながらも俺の指示通り従順に体勢を変える。
お姉さん座りした詩乃香さんは体の重心を後ろ手でとり、顔を俺の声のする方に向ける。
「こう、でしょうか……?」
「それでもいいんですけど、胸元をもう少し開けてもらえますか?」
「えっ、む……胸、ですか? で、でも」
「ほら、早く」
「あっ……」
少し強めの口調で言うと、詩乃香さんは唾を飲んで小さく頷く。
首元まで閉められたボタンをゆっくり、焦らすように開けていくと──。
「おお」
ずっと隠されていた谷間が見えて声が漏れ出た。
詩乃香さんはまた喉を鳴らして唾を飲み、「もういいですか?」と、切なそうな声で俺の方を見上げる。
見上げる?
ああ、気付いたら詩乃香さんの目前に移動していたようだ。
彼女の顔の前に立ち、スマホを持ちながら見下ろしていた。
「そういえば詩乃香さんって、なんで肌の露出の少ないコスプレばっかしてたんですか?」
「えっと、その……こ、こんなおばさんの肌なんて見せたら、SNSで叩かれると思って」
「叩かれる? なんでですか?」
「だ、だって、見るならみんな、若い子の方がいいですよね……」
「あー、そういうことですか」
つまり、自分はもう若くないから肌の露出は控えていると。
だがコスプレイヤーなんて肌を露出してなんぼの世界だ。それなのになぜ、コスプレイヤーという道を進もうとしたのか。
お金が欲しかったとはいえ、どうして大勢の男に見られることを仕事にしようとしたのか。
まあ、その答えは自ずと明らかになるだろう。
「たしかに今は、若くて綺麗なコスプレイヤーがたくさんいて、みんなそういう子が好きだと思います」
はっきりそう言うと、詩乃香さんは俯いて黙ってしまった。
そんなことないですよ、詩乃香さんは綺麗ですよ。
まるでそう言ってほしかったかのような、わかりやすい反応だ。
ここでもっと突き放してあげたら、いったいどんな悲壮感溢れる表情をしてくれたのだろうか。少し見てみたかったが、今すべき正しい選択はそれじゃない。
目隠しした布の片方だけを上げ、詩乃香さんの片目と目が合うと笑顔を浮かべた。
「だけど今の詩乃香さんの表情、若い子には絶対できないようないい顔してますよ?」
「あ……」
驚いたように口を開ける詩乃香さん。
潤んだ片目に、舌が見えるよう開いた口。そして谷間の見える胸元。
こんなのをコスプレとは言えないが、それでも一枚の男を悦ばせる芸術としては完璧だ。
──カシャ。
シャッター音を響かせ、上からのアングルで彼女を撮る。
最高の一枚が撮れたことに満足していると、詩乃香さんは俺の下半身をジッと見つめていた。
「ああ、すみません。今の詩乃香さんがエロくて、つい」
「わたしを、見て、こんなに……あっ、い、いえ、なんでもないです!」
慌てて顔を背ける詩乃香さん。
俺は彼女から離れると、あらかじめ教えてもらっていた連絡先に撮った写真を送った。
「今日、この写真をSNSに投稿してください。たくさんのリアクションを貰えると思うんで」
俺から送られてきた画像を確認して赤面する詩乃香さん。
「ム、ムリです! こ、こんな……こんな写真投稿したら」
「恥ずかしいですか? ああ、もしかして大勢の人に叩かれるんじゃないかとか気にしてますか? 大丈夫ですよ、この写真を見て叩く男なんていませんから」
「で、でも」
「まあ、嫌ならいいですよ」
俺はジャケットを羽織り、帰る支度を始める。
「俺はこの写真を載せたら人気が出ると思ってます。でも詩乃香さんが嫌だって言うなら無理強いはしません。──ただ、自分と詩乃香さんの方向性が違ったということで、この関係は無かったことにしていただいて構いませんので」
「え、あの、プロデューサーさん」
「じゃあ、俺はこれで。気が変わったら連絡ください」
突き放すよう一方的に言葉を伝え、玄関へ向かう。
詩乃香さんは何か言いたそうにしていたが、俺を止めることはしなかった。
♦
※詩乃香視点
「ママ、ねえ、ママー!」
「え、あっ、ごめんね、澪」
「どしたの? げんきない!」
詩乃香がソファーに座りながらボーっとしていると、娘の澪が隣に座って首を傾げる。
スマホを覗き見ようとして慌てて隠すと、澪はむすっと頬を膨らませる。
「あー、ないないってした! みせて、みーせーてー!」
「ううん、違うの。なんでもないから。そ、それより、お風呂入ろっか」
「おふろ、うん、おふろー!」
「じゃあ、お着替えの準備しようね」
「はーい!」
澪は力強く頷くと部屋に走っていく。
「投稿、しないと」
詩乃香は恵が帰ってからもずっとあの写真を見ていた。
普段とは違う自分。詩乃香自身も綺麗に撮れてると思った。
だけど、
「でも、こんな写真を投稿して、もし『おばさんの写真なんか載せんな!』って言われたら……」
若いコスプレイヤーならこれぐらいの露出は当たり前、むしろもっと大胆にしている。
だが、詩乃香はバツイチ子持ちの32才。
この時は化粧も気合入れてなかったし、最近は肌だって荒れ気味。
そんなおばさんのこんな写真なんて……そう思った。
「でも、これはマネージャーさんからの指示で、それにこれを投稿しないと契約切られちゃうから」
いつからだろうか。何かを話す前に『でも』とか『だけど』って言っちゃうようになったのは。
何かしら理由を付けて否定して、物事から逃げようとする。
自分に自信がないのなら、最初から人に見られる仕事なんてしなければいい。だけど詩乃香はコスプレイヤーを選んだ。お金を稼ぎたかったって理由はあった。
だけど一番の目的は──。
「マネージャーさん、わたしのあの姿を見て……」
詩乃香は震えた両手で文字を入力する。
『目隠しヒロインのコスプレは需要ありますか?』
画像付きで投稿する。
「もし誹謗中傷が来たら、すぐにこの投稿は消そう」
それでコスプレイヤーは諦める。
自分みたいなおばさん、もう無理なんだって。
パートをもう一つ増やせば澪一人なら育てられる。たぶん大丈夫。大丈夫だから、これからは澪の幸せだけ考えよう。
そうやって自分に言い聞かせると、少しだけど気持ちが楽になった。
詩乃香はスマホを置いて澪とお風呂に入ることにした。
──ピコッ。
ピコッ。ピコッ。ピコッ。
ピコッピコッピコッピコッピコッ。
40分ほどしてお風呂から出る。
澪とお話していたら不安はなかったのに、リビングに戻ってくるとまた不安が生まれた。
テーブルに置いたスマホのランプは光ってる。
最低でも一件の反応があったことがわかって安心した。
──ピコッ。
視線をスマホに向けていると音が鳴った。
それも一回だけじゃなくて二回、三回、四回。
何度も何度も音が鳴り続いていた。
「ママ、スマホさん、よんでるよ!」
「えっ、あ、うん、そうだね。なんだろうなー」
スマホの画面を確認すると、通知履歴には99+と表示されていた。
初めて見る表示に戸惑いつつSNSを起動する。通知の欄を見て「え?」と自然と声が漏れた。
コメント数は50を超え、リポストは1000、いいねは5000を越えていた。
SNSでこんなにたくさんの反応を貰えたのは生まれて初めてだった。それもたった40分。まだ1時間も経ってない。
だけど喜ぶ詩乃香に、もしかしたら炎上してるのかという不安がよぎった。
慌てて確認する。だけど、コメントの全てが褒めてくれるものばかりだった。
『めっちゃ綺麗!』
『需要ありすぎます!』
『この上からのアングル、エロすぎ!』
『おっぱいおっぱい!』
その反応を見て、自然と笑みがこぼれる。
「ママ?」
「ん、どうしたの?」
「なんか、うれしそっ! いいことあった?」
「うん、ちょっとね」
「なになにー!?」
「うーん、秘密。それよりアイス食べよっか」
「わーい、アイスアイス!」
──わたしがコスプレイヤーになろうと思った理由。
結婚する前のように男性に見られ、褒められたかった。
子育てとパートの毎日で忘れてしまった女としての自信を取り戻したかった。
この写真を撮ってくれたプロデューサーさんみたいに、男の人に性的な目で見られたかった。
だから詩乃香は、見られる仕事をしたいと思った。
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