第91話 彼女の本気




「……離婚した旦那さんからの養育費は?」


「貰ってません。今のあの人に、毎月の養育費を払うだけの余裕はないと思いましたから。その代わり今後一切、娘──みおに会わない約束をしてもらいました」




 詩乃香さんの旦那は3年ほど前に逮捕された。

 詳しいことは資料に記載されていなかったし聞くのも気が引けたのでわからないが、何かの詐欺に加担した罪で刑務所にぶち込まれたらしい。

 貰った情報によれば今も刑務所にぶち込まれているらしく、逮捕されて数ヶ月後に離婚が成立したそうだ。


 そんな人物が娘の養育費を払えるわけがない。

 むしろ養育費よりも、母親からしたら娘にもう会わないと約束させられただけでも良かったといえるんじゃないかな。


 その件に対して、俺がこれ以上踏み込むことはない。

 それを聞いたからと言って俺にできることは何もないのだから。


 詩乃香さんに金銭的な援助をする?

 そんなのできない。自分のことで精一杯なのに。そもそも彼女はそんなこと望んでいないだろう。


 彼女が望んでいることは一つ。

 コスプレイヤーとして、澪ちゃんを育てられるだけのお金を稼げるように手助けすることだ。




「結論から話すと、このまま同じ活動していてもコスプレイヤーとしてお金を稼ぐのは無理です」




 はっきり告げると、詩乃香さんは俯いてしまった。




「理由はいくつかありますが、まず──」


「──すみません、メモしますので」




 慌ててメモ帳を取りだした詩乃香さん。

 そこまで重要なことを話すつもりはなかったが、メモまでされるとめちゃくちゃ凄いこと言わないと駄目な気になってきた。




「詩乃香さん、もう少し気軽に聞いていいですよ。あくまで自分が思ったことで、全て正しいわけではないと思いますので」


「ですが、マネージャーさんの意見はちゃんと活かしたいので。それに、お恥ずかしい話なんですが、あまり物覚えがいい方じゃないんです」


「なるほど。ですが、気楽に聞いてください。そんなに身構えていると、これから自分が話すたびに気を張って疲れちゃいますから。雑談する感じで。ね?」




 そう言うと、やっと詩乃香さんは強張った表情を緩めてくれた。

 それほどまでにコスプレイヤーという仕事に賭けているということなのだろう。




「まず、詩乃香さんの──4nоのこれまでSNSに投稿した写真を確認したんですが、なんていいましょう、はっきり言うなら……題材が古いです」


「……ふる、い?」


「はい。10年前の活動当初ならそれでいいと思うんですけど、現代でそのままのアニメキャラのコスプレは人気出ないと思います」




 もちろん、古くとも有名なアニメやキャラであれば人気は得られる。だが詩乃香さんのコスプレするキャラはマイナーなものが多い。

 例えるなら、エヴァンゲリオンに出てくるヒロインの綾波レイではなく、碇シンジのクラスメイトの洞木ヒカリのコスプレをするような感じだ。




「そのアニメ、そのキャラが好きなんだろうなってのは伝わります。それ自体は悪いと思いません、好きじゃないと見てる人に良さが伝わらないですから。ただ、コスプレイヤーとしてお金を稼ぐなら”趣味”から脱却しないと。フォロワーを増やす、バズらせるってなったら、まず王道の人気あるアニメのキャラを選んだ方がいいと思います」


「やっぱりそうですよね。自分でもわかっていたんですが、どうしても当時好きだったアニメのキャラばかりになってしまって」


「今はあんまりアニメとか見ないんですか?」


「コスプレイヤーとしてお金を稼ぎたいと考えた日から見て勉強はしているんですが、楽しむよりも先に衣装を作るコストの方を考えてしまって」




 有名なコスプレイヤーや企業が付いてくれるコスプレイヤーであれば衣装は依頼したり提供されたりするが、詩乃香さんの場合は全て手作りだ。

 趣味でやっていたときは好きだからいくらお金を使ってでも構わないといった感じだったろうが、今の生活状況で同じことはできない。




「わかりました。そこは色々と調整しましょう」




 社員にコスプレイヤー関係に強い人とかいなかったかな。いたら助かるんだが。




「では、この件に関しては置いておくとして。次なんですが、その……マスク、外せませんか?」




 マスクを付けたコスプレイヤーはいるにはいるが、人気出るのなんてほんの一握りだと思う。

 見る人は顔全体を見て『綺麗』か『綺麗じゃない』かを判断する。

 よくマスク美人とかって名称を聞くけど、鼻と口を隠して目元だけが映った画像でその人”だけ”の良さは伝わらない。

 そもそもアニメやゲームのキャラのほとんどはマスクしない。

 ファンタジー世界のエルフがマスクしてたら、それはもう別キャラと言われてもしょうがない。




「マスク、ですか……」


「身バレとか気にするのはわかりますが、コスプレイヤーという職業であればそれは仕方ないと思います。顔を出さないとまず人気は出ないし、企業からオファーが来る可能性も低くなると思います」




 昼間はスーパーで働いて、娘が眠った夜に居酒屋で働いていると言っていたから、身バレを気にするのは仕方ないと思う。

 だけどこれに関しては言わないと。

 それにこの第一歩は詩乃香さんの覚悟の表明みたいなものだから。




「……わかりました、外してみます」


「いいんですか?」




 詩乃香さんは少し間を空け頷いた。




「はい。頑張ると決めたので」


「そうですか。ちなみに話が代わるんですが、今まで一般の、正社員のお仕事に就こうと思ったりは?」


「ありました。ただ、どこも落ちてしまって。結婚してからはずっと専業主婦で、今まで正社員で働いたことも、資格も持ってません。それに歳も歳ですから。こんなおばさんより、若い子を雇用する方がいいですよね……」




 あはは、と苦しそうに笑う詩乃香さん。




「わたしには、これしかないので……」




 重い空気に俺は天井を見つめる。

 復帰早々の仕事にしては難易度が高すぎる、そんな気がした。













 ♦













 それからもやり取りを進めたが、娘の澪ちゃんが幼稚園から帰ってくるということで詩乃香さんの家を後にした。


 その日の夜。

 俺はとある男と居酒屋に来ていた。

 まあ、俺が一緒に酒を呑むような男なんて一人しかいないが。




「ったく、あのパチ屋。俺の台が確変中なのに『閉店時間でーす』とか言って俺の当たり止めやがった! だったらこれから当たるはずだった100連分の大当たりの出玉を補填しろってんだよ、クソッ!」


「いや、そんなの当たるまでと閉店時間の計算をしないお前が悪いだけだろ」




 ビールのジョッキを勢いよく呷る黒鉄。

 こいついつも幸せそうで羨ましいな、とえだまめを食いながら思っていると、




「で、あれからどうなんだよ」


「どうって? おかしくなってないかってことか?」


「まあそんなとこだな」


「へえ、心配してくれんのか。なんだ、お前もしかして黒鉄の偽者か?」


「お前なあ。はあ……なんか、俺の方がまともな人間みたいになっちまったな」


「いや、それだけはないだろ」




 軽口を言い合っていると、黒鉄は「まあ、その様子だと問題なさそうだな」と安心した表情を浮かべる。

 本当にどうしたんだこいつと思った。

 こんなに人のことを心配するような奴だったかって。




「もしお前に問題あったら、こうしてタダ酒を味わえねえからな! ガハハハッ!」




 ああ、本物の黒鉄だ、良かった……。

 それとここの飯代、俺持ちなのかよ。退院したばっかだぞ。




「ってか、なんでお前スーツなんだよ」


「なんでって仕事してきたからな」


「はあ? 退院したばっかだろ」


「そうだよ」




 俺は黒鉄に状況を説明した。

 社長から時限爆弾扱いされていることと、試しに一人のタレントのマネージャー業務をしていること。

 すると、タバコに火を付けた黒鉄は長ったらしいため息をつく。




「なんか、お前んとこの会社クソだな」


「経営者なんてどこも一緒だろ。金になるなら置いておくが、金にならないなら捨てる。俺でもそうする」


「人の心がねえな。で、その売れないタレントを大成させればお前は晴れて正社員として歓迎されるわけか」


「ああ」




 そこまでされて、その会社で働く意味ってなんだろうかとは思うが、その話は今は止めた。

 それより。




「なあ、お前ってコスプレイヤーとか好きか?」


「あ? 大好物だぞ。パチ屋の営業でたまに来て打ってたりトークショーしてんだよ。マジでいいぞ、コスプレイヤー」


「どういいんだよ」


「それはもう、ほら、あれだよ」




 ニヤニヤしながら「顔と体だよ」と言われた。




「クズ発言だが、男にとってのコスプレイヤーの見るとこなんてそこだよな」


「はっ、当たり前だろ。たまにコスプレイヤーのSNSのリプ欄に『アニメの世界観を丁寧に表現されていて凄く素敵だと思いました』みたいなこと言ってる奴いるけど、んなわけねえだろって。そのコスプレ、銀髪エルフだぞ? 日本人の顔で銀髪エルフの世界観を丁寧に表現できるわけねえだろって」


「まあ、下心を隠して知的な褒め言葉したかったんだろ」


「コスプレイヤーのリプ欄なんて『おっぱいおっぱい!』とか『エロい、好き!』とかでいいんだよ。女だってそうやってはっきり褒められて嫌な奴いねえだろ。ってか、それが嫌だと思う奴は見られる仕事なんてしねえよ」




 妙に饒舌に語り出した黒鉄。

 まあ、俺も黒鉄の考えに同意だが。




「それで、コスプレイヤーがどうしたんだよ」


「俺の担当することになったタレントがコスプレイヤーなんだよ」




 そう伝えると、黒鉄はジョッキを口に付けながら目を細める。




「担当することになった、じゃなくて、担当したいと思ったの間違いだろ。その女、どうせいい女なんだろ?」


「さあ」


「けっ、下半身でしか物事を判断できない下半身人格者が。で、どんないい女なんだよ、ああ?」




 乗り気な黒鉄に4nоのSNSのアカウントを見せる。

 興奮気味に何か言ってくるかとおもったが、


「ああ、4nоか」


 と、意外にもあっさりした感じだった。




「知ってんのか?」




 そう聞くと、黒鉄は「まあな」と難しい表情で頷く。

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