第90話 訳ありコスプレイヤー



 ──9月3日。


 久しぶりに感じる出勤。

 事務所で出迎えてくれた先輩たち。


『お前がいなかった間、大変だったんだぞ?』

『最近、この会社めちゃくちゃ調子良くてよ。みんな忙しいから早く回復してくれて良かったよ』


 誰も俺の置かれている状況を知らないから、明るい表情ができた。


 そんな中、他の人とは違って俺の秘密を知っている相良さんが少し気まずそうに俺に声をかける。

 俺は気にしていないかのように振る舞った。そうしたら相良さんもいつも通りの感じに戻った。


 それからいくつか資料を渡された。

 前日に相良さんが言っていた、俺が担当する予定のタレントたちの資料だ。


 その資料は、ゲーム実況者や実写配信者が多かった。

 ただ渡された資料の人は全て、俺でも知っているような有名な人はいなかった。

 チャンネル登録者数は1000~10000人いかないぐらい。駆け出しという表現が正しいかもしれないが、既に何年もその状態を維持している活動者ばかりだ。



 ──危険なマネージャーに人気所は怖くて預けられないってことか。



 どんなに小さくても、たった一つの不信感を持つと変な勘繰りをしてしまう。

 病み上がりで気を使ってくれたとポジティブな考えを持てればいいが、今の俺はかなり捻くれた性格をしているので無理だ。


 そんな中、咲かない蕾の配信者たちの中に気になる人物がいた。


 プロフィールを見て、気付いたら俺は笑っていた。

 直観が”こいつにしろ”と言っている気がした。




「彼女にします」




 俺は迷うことなく彼女──新妻詩乃香にいづましのかさんに決めた。










 ♦













 







 目的地はどこにでもある四階建てのマンション。

 メイたちが住む高級マンションとは違う何処にでもあるエレベーター無しマンションだ。

 クリーム色の外観にはちらほらとヒビ割れた跡があり、外から見ただけでも安価な家賃物件だとわかった。


 俺の住むボロアパートよりはマシだが、普通の配信者だったら壁が薄くてクレームが来てもおかしくない。




「本当に、一人で大丈夫……?」




 送ってくれた相良さんが不安そうに俺を見る。




「はい、大丈夫です」


「でも、何かあったら……」


「男二人でマネージャー業務しますって尋ねたら彼女も困ると思うので。自分一人で大丈夫です」




 おそらく上から俺に警戒して付いてやれって言われてるのだろう。

 だが、女性配信者──しかも彼女のように特殊なタレント相手に男二人で家を訪ねたら不要な警戒をされるかもしれない。




「じゃあ何かあったらすぐ連絡してね」




 相良さんはそう言うと車を走らせる。

 身形を確認して、教えられた部屋に向かう。

 玄関まで足を運ばなくても顔や声を確認できるインターホンはなく、ボタン式のチャイム。


 ──カチッ!


 チャイムを押すが鳴っているのかよくわからない。

 部屋の中で音がしたようにも思えたが、上手く押せてなかっただろうか。

 もう一度押そうと手を伸ばすと、扉が開かれた。




「はい!」




 微かに開いた先の薄暗い玄関から彼女が顔を覗かせる。

 色白の肌に目元まで伸ばした黒髪の女性。黒縁メガネをかけ、目はそこまで大きくない。


 プロフィール写真と少し違うが、これが彼女の”オフ”の顔だろう。




「おはようございます、先日ご挨拶させていただきましたGG株式会社の橘です」


「お、お待ちしてました!」




 チェーンのロックを外すと扉が開かれた。




「どうぞ、お入りください」




 女性用の地味な運動靴と子供の小さな靴が置かれた玄関。

 横の靴置き場には、子供が描いたであろうお母さんと娘の絵が飾られていた。

 清潔感のあるリビングと寝室であろう部屋が一つ。他に部屋らしい部屋はない。




「すみません、家に着くまでもう少しかかるかなと思って、少し家事をしてました。あっ、座ってください、今お茶出しますから」




 付けていた可愛らしいエプロンを外してソファーに案内される。

 実家のような雰囲気を味わいながら彼女──詩乃香さんの立ち姿を確認する。


 顔は素朴な感じだ。

 明るい雰囲気というよりも文芸部にいそうな見た目。

 直接彼女に言ったりはしないが、オタク女子って感じだろうか。

 ただ飾り気のある派手な感じよりも、きっと詩乃香さんのような見た目の方が人気が出るかもしれない。


 体型は地味な服装だからよくわからないが、これに関しては特筆すべき長所があるのを知っているので心配する必要はない。




「どうかしましたか?」




 体型をまじまじと見るのはさすがに今は止めよう、さすがに初対面で失礼すぎる。




「いえ。なんか急に来たみたいになってしまってすみません」


「いえいえ、気にしないでください。それにお電話いただけて嬉しかったです」




 お茶を出されて一息をつく。

 地味な服装だと言ったが、ソファーではなく詩乃香さんが床に座ると迫力のある胸元にいやでも目がいく。




「まずは自己紹介を。GG株式会社のマネージャー業務をしてます橘恵と申します。これから新妻詩乃香さんのマネージャー業務をさせていただきます」


「はい。えっと、新妻詩乃香と申します。えっと……」




 少し恥ずかしそうに俯き、頬を赤らめる詩乃香さん。




「……コスプレイヤーを、させてもらっています。はい」




 数年前まで収益化できない配信サイトが多かったため、配信=仕事とはならず趣味程度の認識だった。

 けれど配信サイトの多くが収益化できるようになったことで、配信者という職業が生まれた。

 近年は配信者に限らず様々な手段でお金を稼ぐことができ、フリーランスとして自分の趣味を仕事だと名乗れる者も増えた。


 コスプレイヤーもその一つだろう。

 近しい仕事で言えばグラビアアイドルだが、違うとすればコスプレイヤーは別にテレビや雑誌に出ないといけないわけではない。

 というより、主な活動場所はSNSや配信サイトだ。

 そういった誰にでも目に付く場所で好きに写真を載せて多くの人に見てもらい、それを見た企業から仕事を貰う。

 コスプレイヤーをただの素人だと言う者もいたし時代もあったが、今のSNSが盛んな時代は素人の方が人気者になっている方が多い。




「早速、仕事の確認させていただいてもよろしいですか?」


「は、はい、よろしくお願いします。えっと、マネージャーさん」


「マネージャーさん? 初めてそう呼ばれました」




 そもそも今まで担当した三人は顔見知りだったからな。




「変ですか? も、もし嫌とかでしたら言っていただいて大丈夫ですので」


「いえいえ、そのままで大丈夫ですよ。ただ新鮮なのと、詩乃香さんみたいに綺麗な方にそう呼ばれると、なんだかアニメのキャラに言われたみたいで少し照れるなって」


「綺麗って、そんな……あ、ありがとうございます」




 褒められ慣れてないのか、詩乃香さんは恥ずかしそうに何度か頷く。


 詩乃香さんの声はかなりアニメ声だ。

 そんな彼女に『マネージャーさん』なんて呼ばれると、まるで某アイドルを育てるゲームをやっている気分だ。


 と、変な妄想する前に資料を確認する。



 ──新妻詩乃香にいづましのか。活動名は4nоシノ


 年齢は非公開だが、実年齢は32歳。

 コスプレイヤーとしておよそ10年ほど前から活動していたが、6年前に結婚したことを機に活動を休止。

 その理由は『仕事が忙しくなったから』と、結婚したことは伏せた。


 けれど2年前、突如としてSNSにて活動を再開する。

 フォロワーは4000人ほどで、コスプレイヤーとしてはお世辞にも多いとは言えない。

 少し古いアニメキャラのコスプレが多く、顔出しNGなのかマスクを付けた写真しか載せていない。




「今回は活動の幅を広げたくて、うちの事務所にエージェント契約をしたいと申し出たということで間違いないですか?」


「今までは趣味でコスプレをして、自分で撮って、SNSに載せていたんですけど……今はその、そういう趣味でお金を貰うこともできると聞いたので」




 詩乃香さんはなぜか申し訳なさそうに言った。

 別に、何にでもお金に変換することは悪いことではないと思うが、金に執着した女と思われるのが嫌なのだろうか。

 そんなこと思わなくていいのに。というより仕事のパートナーとしては、恥ずかしくて本音を隠すようなタイプではなく金稼ぎに貪欲な相手の方が助かる。



 

「最近ではSNSの投稿も収益化できるものもありますけど、コスプレイヤーの稼ぎ方として一般的なのはSNSにコスプレを載せて、それを見て気に入ってくれた企業があれば案件を貰う感じですね。詩乃香さんもその方向で間違いないですか?」


「は、はい……。わたしなんかが、その、おこがましいっていうのはわかってるんですけど、その……」




 詩乃香さんは子供が描いたであろう絵を見つめる。

 その表情は不安そうな、守ってあげたくなるような雰囲気だった。




「娘さん、来年から小学生でしたよね」


「はい。今はパートのお給料だけでなんとかなってるんですが、娘を大人になるまで何不自由なく育てられるか不安で……。少しでも空いた時間にお、お金を稼ぎたいんです。マネージャーさんのお力をお借りできませんでしょうか」




 詩乃香さんは俺に頭を下げた。

 彼女の左手の薬指に指輪はない。 




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