第68話 消して、塗りかえて






「早瀬さん、何かあったんですか……?」




 メイと別れてすぐ、彩奈は受付にやってきた。

 心配そうにしていた受付の女性から専用のカードキーを受け取ると、苦笑いを浮かべて謝る。




「お騒がせしてすみませんでした。でも、もう大丈夫です」


「そうですか、なら良かった。何かあったら言ってくださいね。病院側ができることであれば、何でも協力しますから」


「ありがとうございます」


「それにしてもさっきの女性、昨日も来てましたね。早瀬さんのファンの方ですか?」


「いえ、マスコミ関係者だと思います」


「えっ、そうなんですか? 全然、見た目はそんな感じに見えないですね」


「彼の知り合いだと言っていましたね」


「そういえば、昨日も先輩先輩言ってたかも」


「知り合いであれば侵入できると思ったんでしょう。彼を取材しようとしたけど受付で入れなくて、きっと私に知り合いだと言って同行しようとしたんだと思います」


「ええ!? 怖いですね」


「本当ですね」


「でも、さっきの女性どこかで見たような」


「……」


「たしか歌番組に出てたような……。まあ、マスコミの方がニュース番組じゃなくて歌番組に出てるわけないですね」




 何かを思い出そうとした女性。

 彩奈は「それじゃあ、失礼します」と頭を下げてエレベーターへ向かった。


 エレベーターに乗り、専用のカードキーをかざすと先程まで点灯していなかった階層のボタンが点灯する。

 このカードキーがなければ行けない、個室のある特別な階層。

 わざわざ毎回、受付に行ってカードキーの貸出と返却をしないといけない手間はあるが、これが無いと部外者は個室フロアの階層に侵入することができないのだからセキュリティとしては完璧だ。


 エレベーターは個室フロアに止まる。

 まるでホテルの廊下のように静かな場所で、床に敷かれた絨毯のお陰で足音も響かない。




「おはよう、恵」




 ノックしてから病室に入ると、恵はベッドで上半身を起こしながら窓の外を眺めていた。




「おはよう」


「もう起きてたんだ。ゆっくり寝てていいのに」




 新しく買った恵の着替えなんかをテーブルに置く。

 世界中の病院の個室の中でも、この病院の個室はかなり豪華な作りになっている。

 大物議員から芸能関係者といった、ファンやマスコミ関係者から追われるような者たちが御用達の病院だからだろう。

 部屋の中にはソファーやテーブル、冷蔵庫といった男性の一人暮らし以上の快適さを提供してくれる。




「つい体が起きちゃって。仕事してたときの習慣なのかな」


「休みなのに仕事がある日と同じ時間に起きちゃうの、そういうのを社畜って言うのよ?」


「はは、そうなのかな。でも僕が退院したらまた仕事に復帰するから、この習慣は覚えていた方がいいんじゃないのかな」




 恵の言葉に、難しい表情を浮かべる彩奈。


 この病院がどんなに強固な守りで他者を寄せ付けないと言っても、永遠にここにいられるわけではない。

 怪我が治れば、いずれはここを出なければいけない。

 そうすれば、彩奈がいない時に恵を守ってくれる者はいなくなる。


 そして必ず──恵に”過去”が接触してくるだろう。


 もしそうなって恵が自分のもとを離れたり、記憶が戻ったりすれば、この夢のように幸せな日々も終わってしまう。


 だから。




「ねえ、恵……」




 彩奈はベッド横のイスに座り、恵の手を握る。




「もし退院したら、一緒に田舎に引っ越して暮らさない?」


「え、田舎に……? でも、仕事は?」


「そこは大丈夫。私、貯金いっぱいあるから」


「そんな! そんなの悪いよ!」


「ううん、気にしなくていいの。一緒に田舎に引っ越して、自給自足の生活……誰もいない山奥で、二人っきりで暮らしたいの」




 握っていた手は、いつの間にか指を絡めていた。

 恵は顔を赤く染めながら、あたふたとわかりやすい反応をする。




「で、でも」


「恵はイヤ? 私と二人っきりの生活」


「嫌じゃない! ない、けど……」


「私は、恵と二人がいいな。そしたら昨日の夜、ここで二人でしたこととか……誰にも、時間にも邪魔されないでたっくさんできるでしょ?」


「昨日……」




 二人が肌を重ねたときのことを思い出したのか、絡めた恵の指に力が入る。




「でも、昨日の彩奈、その……なんか、痛そうに──」


「──ひどい、恵。すっごい気持ち良かったのに」


「え、あっ」


「それとも、わざとそうやって私に「気持ち良かった」って、言わせようとしてるの?」


「そういうわけじゃ!」




 あの時、恵に自分の初めてを捧げた。

 初めては痛いというのは聞いていた。

 実際、顔に出るほど痛みがあった。だけど二人は前から付き合っていたはずなのに、あの時が初めてなんてありえない。

 もしそれがバレたら、恵は不審に思ってしまう。

 だから必死に痛みを我慢したにに、やっぱり恵には気付かれていたのか。




「じゃあ、もう一回して試してみる……?」


「試すって、その」


「私が痛がってたか、それとも……気持ちよさそうにしていたか。って、やっぱり私に言わせようとしてる?」


「ご、ごめん」


「ふふ。恵だってしたいんでしょ? だって昨日の恵、凄かったもんね」




 にっこりと微笑みながら、心の中は妬みでいっぱいだった。


 ──あの時、彩奈の知らない恵の一面を見た。

 おそらく、記憶がなくても身体は覚えているのだろう、自分の悦ばせ方も女を悦ばせる方法も。


 彩奈と別れた中学時代から記憶喪失になるまでに、きっと変わったんだと思った。そしてそれは、あの二人の彼女が関わっているのだと感じた。


 少し。いや、かなり嫌な気分を味わった。

 この感情はなんなのか。ああ、寝取られというものなのかもしれない。




「恵に、私としたいって言ってほしいな。というより、女の子にここまで言わせるのってどうなのかな? ねえねえ?」


「それは……そう、だよね。普通、男の僕からだよね」


「だよね」


「えっと。じゃあ、したい……です」


「うん、しよっか!」




 前の女の残り香を感じるようで嫌だけど、でもいっか。

 何度も何度も身体を重ねれば、きっと彼女たちの痕跡は消える。

 何もかも消えて、自分との新しい思い出で塗り固められていく。


 だから仕方ない。

 許してあげよっかな。

  

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