アンドロイドに恋をして

文戸玲

住田,有頂天


遠くの方で,聞き覚えのある声がする。

 肩を揺すられて,やっと何度も呼ばれていたのだと気付く。

 振り返ると,後輩の守田が怪訝そうに顔をのぞきこんできた。



「住田さん,疲れているんじゃないですか? ここ最近,ボーっとしていることも多い気がするし。営業のエースのプレッシャーもあるでしょうけど,無理しないでくださいね」



 恋ですか,とえくぼを作って隣に座る守田の前に,出勤前にコンビニで買ったサンドイッチを置いた。



「え,いいんですか? というか,本当に恋煩いですか」



 返事も待たずに,守田はサンドイッチの袋を開けて頬張る。

 愛嬌があって,誰にでも分け隔てなく接する守田は,二年目なのに社内でも信頼は厚い。競争の激しいこの業界では,同じ社内の同僚ですら火花が散ることがある。それでも,先輩から得られるものは学ぼうという前向きさと,持ち前の懐に入るうまさから,自然と良くしてやりたいと思わせる何かがある。こんなやつ,そうはいない。


「住田さん,また考え事してたでしょ。この後も契約目前の面会があるんでしょ? ほら,良かったらどうですか。パワー付けておかないと」



 そう言って,おれがあげたサンドイッチを真顔で差し出す。しかも,食べかけだ。



「いいよ。さっき,間取りの最終打ち合わせをしたお客さんと昼ご飯を食べてきたところなんだ。どうしてもって言って鰻をごちそうになった」

「えー,どんだけ気に入られてるんですか。お客様アンケートでも,住田さんが担当だったからうちの会社で家を建てたって声も多いし,ほんとどんな手を使っているんですか?」



 サンドイッチを一気に頬張った守田は,手帳を取り出した。どうやらメモを取るつもりらしい。



「そんな真剣な目をされても,気前のいいお客さんだっただけだから」

「えー,まさか人には言えない姑息な手を使ったとか?」

「どんな手だよ。少なくとも,たまごサンドが付いた汚い手でボールペンを握るような,不潔なところは見せないようにしてる」



 ほんとだ,と言いながら親指についている卵を口にやる守田に,お手拭きを渡してやる。

 「そういう心配りですね」と守田は妙に納得しながら,丁寧に手をぬぐった。



「守田,この後お客さんとモデルハウスを回ってくるんだろ?」

「そうなんです。自分一人で契約こぎつけたこと,まだないんで気合入りまくりです。エース住田さん,おらにパワーをください」

「お前なら大丈夫だよ。口についているパンくずは落としていけよ」



 まじですか,と口元をぬぐう守田に,「頑張れよ」と声を掛けて休憩室を出る。

 今日はもうお客さんとの打ち合わせはないが,行っておきたいところがある。

 手元の時計を確認して,どこにいてもエアコンの効いた社内を出る。温度差にだるくなる季節だが,軽い足取りで車に乗り込み,目的地に向かった。



 ハウスメーカーの営業は,とにかく興味を持ってくれた人と良い関係を持つに限る。悪い印象さえ持たれなければ,たいてい好意的に話を聞いてくれる。そこで,より良い提案や想像を超える満足を提供できれば,契約までぐっと近付く。

期待に満ちた顔を見ていると嬉しいし,やりがいがあった。だから,勤務時間なんて気にせず家電量販店で勉強をしたり,システムキッチンやバスの展示場にも休日返上で足を運んだりもした。手札が増えれば増えるほど,それに比例して相手を満足させることも増えた。


街中を車で走っていると,一面ガラスで青い空を反射させるビルが見えてきた。注文住宅を検討している新婚夫婦に扮して,ライバル企業の大手ハウスメーカーに勤める営業マンに連れて行ってもらった日を懐かしむ。


目の前のお客さんを喜ばせることに必死だったおれは,友達にお願いして一緒にハウスメーカーに出かけたことがあった。「夫婦のふりをして」とお願いしたのは思い出すだけでも恥ずかしいが,やればやるだけ結果はついてきた。昇給にも繋がったし,我ながら社内での評価も悪くないと思う。


今日の目的は,半分は新しく入ったであろうキッチンやトイレなどの情報を仕入れに来ること。もう半分は,・・・・・・浮き立つ気持ちを抑えるように,「よし」と呟いて扉を開き,ネクタイを締めながら入り口へと向かった。




 玄関に向かうスロープには,ちょっとした噴水に名前も分からない花が浮かんでいる。小金持ちを連想させるその佇まいは,新築一戸建てを検討する夫婦に期待感を持たせるに違いない。


 上品に玄関の扉が自動で開く。音も立てずに入ってきた来客に遅れることなく気付き,近くにいたスタッフが振り向く。それと同時に放たれた笑顔のせいで,部屋の空調が何倍にも明るくなったような気持ちになる。



「いらっしゃいませ。ご案内できることがありましたら,お申し付けください」



 みずみずしい笑顔で迎えられたのに,喉の奥がぎゅっと締め付けられるように苦しくなる。

 初めましてではないのに,丁寧にビジネス対応をする。でも,目の奥まで観察すれば分かる。ほっとするような含み笑いを彼女に,カッと耳たぶが熱くなった。



「いつもごめんなさいね。もし忙しくなかったらだけど,今日もキッチンと壁紙について勉強したくて・・・・・・いいかな?」



 おれのお願いを最後まで聞くと,彼女はゆっくりと頷いて,



「もちろんです。ご紹介致しますので,一緒にご覧になってください。新しいものも入ったんですよ」



と目を細くして長いまつげを重ねた。


 懇切丁寧な言葉遣いと,親しみの感じられる言葉の狭間で承諾を得たことで,おれはすでに目的を果たしたような気持ちになっていた。



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