大切な者を守り通す
第42話 絶望の淵から
炎によって守親たちの姿が見えなくなり、一晴はほっと胸を撫で下ろしていた。
「これで、我々の邪魔をする者はいない」
「ええ、兄上。丁度人形も手に入りましたし、幾らでもわたくしたちの命令を聞かない者たちは屠れば良いのです。この国がわたくしたちのものとなるのも、もうすぐですわ」
「さて、仕上げましょうか。……おや?」
結界を張っていたのは桜音だ。彼が死んだ今、黄泉の軍勢を阻む者は誰もいないはず。
それにもかかわらず、軍勢は未だ進むことが出来ないでいた。その理由は、一つしかあり得ない。真穂羅は驚き、燃え盛っているはずの方を振り返った。
「まさか」
「……その、まさかだ」
急速に炎が鎮まり、桜音たち三人の姿が露わとなる。彼らは傷一つ負っておらず、底に立って武器を構えていた。
「どうして、あの炎の中で生きている」
驚く一晴に、桜音は種明かしをしてやった。彼の手のひらの上には、何枚もの桜の花びらが舞っている。それは半透明で、わずかに輝きを宿す。
「もともと、紗矢音たちの力は千年桜が与えたものだ。桜が、僕らを傷付けることなどあり得ない」
「千年桜、か。ククッ、不覚だったな」
己の失敗を笑い、真穂羅は長く息を吐いた。そして何処からか取り出した黒に染まった刀を構えると、切っ先を桜音に向ける。
「ならば、自ら刈り取ることにしよう。この国の柱、千年桜の化身よ」
「僕は、強いよ? そして、彼女の心を傷付けたお前たちを許すつもりは毛頭ない。――覚悟しろよ」
「面白い」
ドスのきいた、守親たちも聞いたことのない桜音の怒りの声。そこに含まれる悲しみと悔しさに気付いたのは、守親と明信だけである。
「ならば、俺はお前とか?」
「仕方がない。こてんぱんに
「完膚なきまでに叩き潰そうか」
「やれるもんなら、やってみな!」
守親は一晴と、明信は章と。それぞれが一対一での戦いに持ち込んだ。
桜音と真穂羅の間で、霊力がぶつかり合って爆発が起こる。それを合図に、三様の戦いが火ぶたを切った。
――兄上を、明信どのを……桜音どのを殺してしまった。
――切っ先を向けて、傷付けてしまった。もう、取り返しがつかない。
紗矢音の心は底なしの海に沈み、何処までも堕ちていた。もうじき息をすることも叶わなくなり、目覚めることは出来なくなる。
それでも良い。紗矢音は大切な人たちを傷付け殺したという心の傷にさいなまれ、自分自身を手放そうとしていた。
『駄目。目を覚まして』
何処からか響く声に、紗矢音はいやいやと言うように首を横に振った。もうたくさんだ、と全力で拒否をする。
――嫌。もう、誰も傷付けたくないの。大好きな人たちを傷付けるのは、もう……。
『だからこそ、あなたが諦めたらいけない。お願い、わたしを見て』
――呼び掛けて来るのは、誰?
再三呼び掛けられ、紗矢音はわずかに瞼を上げた。ぼんやりとした視界に、女性の衣が見えた。
――だ、れ。
『わたしを見て、紗矢音』
「あ……」
目を開いた紗矢音は、女性と目を合わせた。そして思う。水に映した自分の面差しとよく似ている、と。
『当然、でしょうね。あなたはわたしなのだから』
「じゃあ、あなたは……澄姫」
紗矢音が名を呼ぶと、澄姫は肯定するかのように微笑んだ。彼女のふわりと穏やかで優しげな雰囲気に、紗矢音は思わずすがりつく。
「わたし、わたしっ……ごめんなさい。ごめんなさいっ」
『……泣きたい時は、思う存分泣けばいいの』
「うぁ……うわあぁぁぁぁぁっ」
座り込み、澄姫の
「う……ぐずっ……。ごめんなさい、澄姫」
『いいえ。少しでも、落ち着いた?』
「――はい」
泣き始めて、どれくらいの時が経っただろうか。目元が腫れて痛みを覚えるようになるまで泣き、紗矢音はようやく表着から手を離した。
まだぐずぐずと鼻を鳴らしながらも、気持ちが落ち着いて来る。落ち着いたとは言っても、紗矢音自身がしてしまった事柄は取り返しがつかない。
そのこと考えて拳を握り締める紗矢音の手に、澄姫の手が重ねられた。はっと顔を上げれば、自分とよく似ているが全く違う面差しが微笑んでいる。
『自分よりも他人に心を向けられる。それはあなたの良いところだけれど、少し早とちりね。……見て』
「え……?」
澄姫が手をかざしたところに、ぼんやりと何かが映し出される。それは少しずつはっきりとしていき、映されたものを見た紗矢音は声を上げた。
「兄上、明信どの、桜音どの!?」
『彼らは誰一人、死んでなどいないのよ』
澄姫の言う通り、三人は誰一人倒れてなどいない。それどころか、それぞれが一晴と章、真穂羅と対峙し戦っているではないか。
紗矢音は鏡のようなそれに駆け寄り、映し出される兄の姿に触れる。
「兄上、よかった……」
『だから、まだ希望は残されているの』
「希望? でも、わたしはもう……真名を奪われたから何も出来ないっ」
守親たちが無事だったのは何よりもほっとしたが、紗矢音は体を取り戻す術を持たない。その旨を言うと、澄姫は肩を竦めてみせた。
『そうね。……もしもあなたが諦めるのなら、彼らも、ましてや和ノ国など救うことなど出来ない。魂が尽き果てるまで、ここで絶望を味わうことしか出来ないのよ?』
それでも良いの。澄姫に厳しい口調で問われ、紗矢音は激しく頭を振った。
「いいわけ、ありません。一緒にいたい……一緒に生きたい!」
『ならば、諦めないで。強く意志を持って、自分を取り戻すの』
とんっと澄姫が紗矢音の胸元を指で押す。わずかによろけた紗矢音は、胸に指を組んだ手を当てて目を閉じた。
「取り戻す……わたしを」
『そう。戻りたい、生きたいと強く念じて。そうすればきっと、戻ることが出来るから。――自分を信じて。あなたを信じる、彼らを信じて』
「信じて……」
より強く、願う。強く強く、いきたいと。守親と、明信と、桜音と、共に生きたいと念じ願う。
すると、胸の奥がじんわりと暖かくなっていった。それが満ちた時、紗矢音は自分と何かが繋がったのを感じて目を開いた。
「――あっ」
『さよならね、紗矢音。……』
「澄姫っ」
とん。澄姫が紗矢音の背中を押し、紗矢音は光の中へと進んだ。慌てて振り返った時、既に澄姫の姿は見えない。
紗矢音は、そっと自分の耳に触れた。そこに澄姫が最後に残した言葉が留まっている気がしたのだ。――幸せに、と。
「澄姫、ありがとうございます」
前を向き、駆け出す。紗矢音の体は薄紅の花びらが舞う中に引き込まれ、不思議な空間から姿を消した。
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