第38話 分かれた魂

 紗矢音が桜音を案じて涙ぐみ、守親は周囲に意識を向けながらも桜音の体を支えている。明信は桜音の様子を注視し、真剣な顔をしていた。

 彼ら三人に見詰められ、桜音はだるさと苦しさを感じながらも言うべき言葉を口にした。

「もう守親には一度言ったんだけど……。紗矢音、守親……そして明信。

「え……」

「俺も、ですか……?」

 紗矢音と明信が目を丸くして、固まる。彼らの様子を見ていた守親は、「待てよ」と声を荒げた。

「以前聞いた時、桜音どのは俺と紗矢音が澄姫の生まれ変わりだと言った。なのに今、そこに明信が加わったのは何故なんですか……!」

「それも、今から言うよ」

 守親が驚くのも無理はない。桜音は一度息を整えると、口を開く。

「僕も最初はそうなんだと思っていたんだ。だけど、さっき明信の式を操る姿を見てわかった」

「俺の……?」

「澄姫もその道を知る人に教えを乞うて、式を扱う稽古を続けていたのだけれどね。体の弱さもあって、刀の扱いと共に諦めているんだ。……その時使役を目指していたのが、鴉と鹿、それに蛟。明信はその他にも扱えるようだけど、さっきその組み合わせにしたのはどうして?」

「それは……。この場で、そうするのが正しいと感じたから。深い意味はありませんでした」

 鴉に目を突かせ、大鹿で怪我を負わせて、蛟が締め上げる。その組合せを選んだわけではないと明信は言ったが、別にその組み合わせである必要性はない。鴉を燕に代えても、蛟を蛇に代えても何ら問題はないはずなのだ。

 それでも、三つの式にその組み合わせを選んだ意味は。明信は己の胸に手を当て、己に秘められた魂に気持ちを向けた。

「俺も、澄姫の魂を受け継いでいる……?」

「だからこそ、僕は三人と出会えたのだろうね。――本当に、彼女には敵わない」

 体は弱くとも、心の芯は誰よりも強い姫だった。だからだろうか、この出逢いすらも彼女の遺志だと感じるのは。

「……」

 桜音がとうの昔に亡くなった姫君について語る度、紗矢音の心が針で刺されるように痛む。愛おしそうに澄姫を懐かしむ度、寂しさが募る。そんなことを思うのは自分勝手だと己を制する度、紗矢音の心が悲鳴を上げた。

 紗矢音は深く息を吸い、音もなく吐き出す。もういない人、しかも自分と同じ魂を持つ人と張り合っても、仕方がないではないか。

(勝ち負けというよりも、勝つことも負けることも出来ないもの)

 紗矢音は胸の痛みを知らないふりして、青い顔をして息をするのも苦しそうな桜音の手を取る。

「……わたしも、あの魔穂羅に言われた時は驚きましたが、今は感謝しています。桜音どの、一先ず邸に戻りましょう。顔色が」

「そうだね、紗矢音。ありが……」

 そこで、桜音の手が紗矢音の手の中から滑り落ちる。もしもを考えて咄嗟に青くなった紗矢音だが、規則正しい寝息を聞いてほっと崩れ落ちた。

「寝てる、んですよね」

「ああ。……紗矢音、お前も顔色が良くないぞ」

「大丈夫です。さあ、こんな道端にいたら不自然ですし、戻りましょう」

 守親の気遣いをさらりと躱し、紗矢音は赤くなった目元を拭って背を向けて立ち上がった。これ以上座り込んでいたら、きっと泣き出してしまうから。

 さっさと歩き出してしまった紗矢音に置いて行かれそうになった守親は、桜音を背負った。彼の細さと軽さに驚きながらも、落とさないようしっかりと足を支える。

 明信もまた、苦笑して三人の後を追った。そして密かに犬と鹿の式を召喚する。犬には道案内を、鹿には守親を支える役割を担わせた。

 四人と二頭が桜守の邸に帰り着いた時、東の空が白み始めていた。



 同じ頃、一晴たちの姿はあの山奥の邸にあった。

 都に出向いたのは久し振りだったが、これで邪魔な者は一掃したかとほっとしたのも束の間。一晴の体に衝撃が走る。

「……!」

「どうかされましたか、兄上?」

 汚れた衣を自室で着替えて戻って来た章が、顔を青くしている兄を見付けて首を傾げる。今着ているのは舞うためのものではなく、躑躅つつじかさねだ。

 そこへ、同じく衣を新しくして来た真穂羅も現れる。彼は既に何が起こったか知っているのか、一晴を見た途端に顔を険しくした。

「殿下……」

「ああ、真穂羅。……獅子が、やられた」

「そのようですね」

「嘘でしょう!? あれは兄上のとっておきで……」

 一晴以上に取り乱した章だが、兄に見咎められてしゅんとその場に座り込む。その手は膝で強く握り締められ、小さな声で「許せない」と呟くのが一晴の耳に入った。

 獅子は、一晴の手持ちの化生の中でも最たる狂暴性を誇る。獅子ならば桜音たちを殺すだろうと踏んで置いてきたのだが、どうやら返り討ちにされたらしい。

「誤算、だったな」

「でもこれで、を使う口実が出来ましたよ」

 ゆるりと一晴の前に胡坐をかいた真穂羅が、にやりと笑う。その言葉の意味を掴み損ねた一晴が言葉の意味を問うた。

「それは、どういう……」

「奴らは自分で自分の首を絞めたということですよ」

 ククク。喉を震わすように笑った真穂羅は、袖から黒っぽい何かを取り出した。それを受け取り、一晴は手のひらを広げる。隣に章もやって来て、手元を覗き込んだ。

「これは……木の葉?」

「でも、こんなに真っ黒な葉を持つ木なんてありましたか?」

 二人が頭を悩ます中、真穂羅は「わかりませんか」と肩を竦める。

「この葉は、ある神木の葉でして。黄泉の王をこちらに呼び寄せるための印ですよ」

「――あの、神木か」

 真穂羅の言葉に、一晴は「あ」と声を上げた。得られた答えを聞き、真穂羅は満足げに頷く。遅れて章も気付いたらしく、目を輝かせている。

「わかって頂けたようですね。無事に葉を茂らせ、こちら側に染まってくれましたから。あとは、王の顕現を乞えば」

「この国は、我々の手の内に」

「ええ」

 真穂羅はあるじたちの前から下がり、一人で屋敷内を歩く。誰かとすれ違うこともほとんどない中で、彼にあてがわれた部屋へと体を滑り込ませた。

 そこにあるのはわずかな調度品と、一枚の大きな鏡。壁にもたれかけさせたそれは、人としては大きな真穂羅の身の丈より少し大きかった。

 鏡の表面に指を滑らせ、真穂羅は唇を歪める。この先に繋がる世界に心を添わせ、血ではない縁で繋がった存在へ呼び掛ける。

「――時は、来た。布石は置かれ、印も立った。さあ、来いよ」

 真穂羅の言葉は鏡に染み込み、向こう側へと届いた。途端、鏡が闇を映し、何かが溢れ出した。

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