第32話 舞姫の正体

 衣擦れが響く。静やかなる内裏に伝わるそれを、章は内に秘めた興奮を鎮めながら聞いていた。

「ここから、本当に始まるのですよ。――兄上」

 都から離れ、幾年月が経っただろうか。生れ落ちた時から、虐げられて消された血統の娘なのだと聞かされ続けた。先祖代々の思いを継いで来た年月は今、ようやく実を結ぼうとしている。

 章の兄、一晴。誰よりも一族の再起を願い、何処までも純粋な正統な帝位継承者。彼を見守り支え、共に歩む妹であることを、章は心から誇りに思っている。

 全てがうまくいけば、自分たちにこの国が戻って来る。だからそのために、出来ることは全てやる。

 例えそれが、神をも恐れぬ行為だとしても。

「姫様」

「行って来たわ。だからもう、待つ必要もないのよ」

 話しかけて来たのは、共に桜舞を舞う姫の一人だ。彼女の少しだけ不安げな表情を安心させようと、章は微笑んで見せた。

「さあ、我々の出番はもうすぐ。……彼らを圧倒する舞を見せつけてやりましょう」

 章の言葉に、姫たちは一様に頷いた。


 しゃらん、しゃらん。鈴の音が鳴り、春をことほぐ祭の幕が上がる。

 まずは、大社の巫女が始まりを告げる舞を舞う。その中で、神主が祝詞をあげるのだ。朗々とした男の声が響き、場は荘厳さを増していく。

 この祭に参列することを許されるのは、ごく一部の貴族たち。ただ彼らはこの和ノ国で最も帝に近い者たちであり、権力の中枢にあると言っても過言ではない。

 ひそひそという話し声すら聞こえない中に、不意に新たな鈴が鳴り響く。しゃらん、と複数の音が反響する方角へ、皆の視線が集まる。

「これは……」

「なんと素晴らしい……!」

「まるで、春の女神のようだ」

 称賛が静かに広がる中、章は誰よりも気高く前を向いて歩んでいた。誰もが彼女に見惚れ、誰も一人の舞い手が足らないことに気付かない。

「……紗矢音がいない」

 しかし、気付いた存在があった。貴族たちの更に奥に押しやられていた守親である。

(何かあったのか? まさか、邸で異変があったのか……)

 胸騒ぎを覚え、守親はぐるりと視線を巡らせる。すると内裏の屋根の上から儀式を見詰めていた明信と目が合った。

「……」

「……っ」

 任せろ、そう言われた気がした。

 守親に向かって頷いた明信は、身を翻して闇に溶けてしまう。これでひと安心か、守親がそう思ったのも束の間だった。

 舞い手を努める最も華やかな衣を身につけた姫が、手にした扇をゆっくりと上へあげる。鈴のつけられた扇は動く度、しゃらん、しゃらんと音を鳴らす。

 扇の端から垂れ下げられた細い布状の紐が、風にあおられてなびく。丈の長い衣と相まって、神々しさに拍車をかけた。

 その姫君に合わせるよう、他の三人も舞を見せる。それでも中央にいる姫には敵わずに、どうしても霞んで見えてしまった。

「……」

 誰かの吐息が漏れた。

 紫、藍、黄、若草。幾つもの色が夜空を彩り、桜舞に艶やかな花を添える。ここにあるべき薄紅の色はなく、ただ四つの色が人々の目に焼き付く。

 守親はただ逸る気持ちを抑えることに苦心し、明信が間に合うことを願う他ない。ただそんな中でも、舞姫の一人が何度か宮中で顔を会わせた姫であることには気付いていたが。まさか、彼女がこの非常事態にかかわっているなどと思い付くはずもない。

 ──しゃらん、しゃらん、しゃらん

 鈴の音が止まり、舞姫たちの動きも止まる。勢いに乗っていた衣の裾が地についた時、章はようやく立ち上がった。

「いかがでしたか、帝」

「うむ。……素晴らしい」

 側近に問われ、帝は満足げに微笑んだ。彼が満たされれば、この儀式は無事成功したと言える。側近は胸を撫で下ろし、舞台の方へと顔を向けた。

 その時、章もまた天照殿に歩み寄ってきていた。美しく儚げな衣そのままに、簀の子の床に膝をつく。

「この度、このような場を頂きましたこと、帝に感謝申し上げます。これで、

「願い? 何を……」

「帝ッ!」

 しゃんっと鈴が鳴る。鳴った途端に床に落ち、その奥で閃く刃が几帳を斬り裂き落としていた。切っ先は帝の首を狙っていたが、それを阻むように小さな障壁が作られている。

 ぎちぎちと障壁を壊そうとする刀の切っ先は、それが無理だとわかると早々に離れた。障壁を創った守親は、帝を守ることが出来たとほっと息をつく。

「――間に合った、か」

「ちっ」

 ひらりと後方に跳び、章が短刀を手に着地する。彼女の豹変に対し、帝も側近も、他の者たちも反応が出来ずにいた。

「――っ」

 声にもならない悲鳴を上げ、帝が止めていた息を吐いて腰を抜かした。そうしてようやく、側近の男は我に返って帝を支えようと傍に駆け寄った。

「……あんた、何者だ?」

 帝たちを背に、守親は桜の力を借りた刀を構えて問う。目の前にいるのは、舞姫として舞を披露した姫ではない。敵なのではないか、と守親の直感が囁く。

 守親の問いに対し、章は無邪気とも取ることの出来る笑みで応じる。

「わたくしは、章と申します。兄と共に、真の正統血族としてこの国を偽物から奪い返したいと考えております」

「真の、正統血族……。お前は、真穂羅の仲間か」

 真穂羅は確か、和ノ国を統べるべき者に仕えていると言わなかったか。

 守親の言葉に、章は苦笑を浮かべる。

「仲間。そんな関係とは少し違いますが、互いの目的のために一時的な共闘関係にあるのは間違いないわね」

 少し言葉遣いを崩し、章は懐から何かを取り出した。それは黒と灰色が混ざったような色をしている玉で、章がそれを空中に放つ。

「あなたの相手をするのは、この子よ」

 玉がほどけると、その中で眠っていたらしい何かが目を覚ます。それは「ぐるる」と唸り声を上げ、守親を睥睨した。

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