第20話 一人の戦い

「えっ。今年もまた、桜舞の舞い手に?」

「ああ。お前を出すように、と帝がおっしゃったんだ」

 出仕から戻った守親の言葉に、紗矢音は目を丸くした。

 桜舞の舞い手は、通常一人一度が原則だ。まれに素晴らしい舞を披露した者が翌年もと請われることはあるが、紗矢音は自身の舞がそれに相当するとは思えなかった。

 血縁の欲目だろうな、と守親は思っている。しかし一度決めれば手を抜かない紗矢音は、昨年の舞を素晴らしい出来映えにしてみせた。

 だから、と守親は苦笑する。

「もしかしたら、帝が昨年ご覧になって気に入ったのかもしれないぞ?」

「そんなこと、兄上もないとわかっていますよね? 顔に書いてありますよ」

「バレたか。……本当は、何かの罠かもしれないと思っているんだがな」

「罠……」

 真剣な顔をする守親と顔を合わせ、紗矢音も考え込む。正直な話、事が運び過ぎているきらいがあると感じるのだ。千年桜への呪、桜舞への参加、この二つに関係がないと断じる理由もない。

 紗矢音は息をつき、困ったような諦めたような顔で微笑んだ。

「……どちらにしろ、帝のお言葉ならば断ることは出来ませんものね」

「すまない。当日までは日がないから、それぞれが舞を覚えるようにとのことだ。頼めるか」

 渋面の守親に、紗矢音は頷く。

「仕方ありません。その代わり……桜の、桜音どののことは頼みます」

「心得た」

 兄妹の間で取り決めがなされ、この件は一旦落ち着いた。


 空は夕闇に染まり、もうすぐとばりが降りる。

 庭の千年桜の枝の上では、桜音が目を閉じて体を預けていた。呪の影響で、桜音は日の半分以上を桜の傍で眠って過ごしている。そうしなければ力を使い果たし、桜が死んでしまうかも知れないのだ。

 紗矢音は桜音の様子を見上げ、彼の穏やかな様子にほっと息をつく。首に染みのように広がる紫色のものは、まだ彼の命を奪いかねない程には強くないらしい。

「……でも、確実に迫って来ているのですよね」

「そう考えて不足はないだろ。実際、その……真穂羅とかいう術師に狙われているわけだしな」

 守親が口にしたのは、紗矢音と桜音が出逢った術師の男の名だ。

 何の前触れもなく現れた真穂羅は桜音と互角か彼を上回る戦いを見せ、不吉な宣言をして消えてしまった。彼と再び相対する時のため、紗矢音は昼間の鍛錬を続けている。

 守親と明信は真穂羅と直接会ったわけではないが、真穂羅の残した化生との接触はしている。明信の師である正輝の協力の下、倒すことには成功していた。

「あの狐は強かった。だけど、おそらくそれ以上の強さを持つ何かに出逢うことになる。その前に、明信や大姫を守れるくらいには強くならないとな」

「ええ、わたしもです」

 桜守の刀と呼ばれる刀を手元に置き、紗矢音は鞘を握り締めた。自分がこれを使い慣れなければ、苦しむ桜音に無理を強いる。

 もう、守られているだけの姫にはならない。何度も心に刻みつけ、紗矢音は自分に言い聞かせるのだ。

「――じゃあ、おやすみ」

「おやすみなさい」

 守親を見送り、紗矢音は一つ欠伸をして寝るための支度を済ませる。そしていざ眠ろうかと思った時、庭で不自然な物音がした。

 ――カタッ。

「何の、音? あっちは桜の……」

 月明かりだけでは見通すことは出来ず、紗矢音はうちぎを羽織って桜守の刀を胸に抱くようにしてそろそろと簀の子から庭へ下りる。そして物音のする方へと足を進めると、急にぞわりと悪寒が走った。

(この感じ、桜音どのが言っていた『呪の気配』によく似ている……?)

 紗矢音はいつでも刀を抜き放てるよう、明信の式などを用いて鍛錬を繰り返してきた。その成果を出すことが出来ればと思うが、まさか夜の自宅で遭遇するとは思わなかったのだ。

 ――シャキン。

 暗闇の中で光る赤い瞳に気付き、紗矢音は桜守の刀を抜いた。その途端に刀からは薄紅色の霊力が溢れ出す。

「……何者?」

 震えそうな声を叱咤し、紗矢音は誰何する。まさかそれに相手が応じるとも思わなかったが。

「――ケケッ」

「化生? こんなところに」

 絶句した紗矢音の前に姿を現したのは、鋭い角と牙を持った人と同じくらいの大きさの化生だ。大きな犬と同じくらいのそれは、笑い声のような声を響かせ、身軽に飛び跳ねる。

 その眼光は鋭く、紗矢音を睨み据えて目を離さない。どうやら彼女に用事があるようだ。

「あなたは、あの真穂羅が送り込んだもの? ……あなたの主に伝えなさい。桜は、わたしたち桜守が必ずしも守り切ると!」

「ケッシー!」

「うっ」

 ぴょんっと跳ねたかと思うと、化生のものは迷うことなく紗矢音に襲い掛かる。紗矢音は刀を横にして、その突進から身を守った。

 しかし化生のぶつかる力は強く、紗矢音はその場に留まれずに押し込まれる。足の裏が小石で切れたが、痛みにしゃがむことは出来ない。第二撃を躱し、砂地に転がった。

「くっ……負け、ない」

「ケケケ?」

 こてん、と化生が首を傾げた。全く可愛げのないその仕草を無視し、紗矢音は地を蹴る。

「やっ!」

 刀に導かれるように、体が勝手に動く。その動きを自分のものとして覚え込ませながら、紗矢音は化生に向かって刃を振るった。

 軽い身のこなしで化生には逃げられたが、それが千年桜へ向かうのは防ぐことが出来ている。このまま何とかして追い払うために。紗矢音は諦めず、もう一度刀を構えた。

「桜に近付かせはしない!」

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