第18話 傷だらけで
守親の狩衣に袖を通し、桜音はようやく人心地ついた。
しかし、衣の持ち主である守親と明信は未だ帰らない。紗矢音が気もそぞろであるのを見て取り、桜音は目を閉じた。瞼の裏で千年桜と繋がり、周囲の様子を
桜守の邸、その前の通り、そして周囲へ。二人の気配を探ると、不自然な足音が聞こえてきた。足音は一人分だが、いやに重い。
「……紗矢音、近くに明信がいる。こちらへ向かっているが、おそらく人の手が必要だよ」
「明信どのが? それに手が必要というのは……いえ、ここで手をこまねいていても仕方ありませんよね。わたし、見てきます」
年頃の姫が自ら人目に己をさらすなど、貴族としてあるべき姿ではない。しかしそんな暗黙の規則は、紗矢音にとって何の価値もないのだ。
パタパタと男の子のように駆けて行く紗矢音を見送り、桜音は己の手を強く握り締めた。
この邸の家人たちは、紗矢音が貴族の姫君らしくすることはないと知っている。数人の家人とすれ違い様に軽く挨拶しつつ、紗矢音は裸足のまま門を出た。
「明信どの!」
「さや……大姫」
ほっとしたらしい明信が背負っている者に気付き、紗矢音は悲鳴に似た声を上げた。
「兄上!?」
「怪我して、気を失ったんだ。……すまない、守親を守り切れなかった」
「明信どのは、精一杯なさったのでしょう? あなたも怪我をして……手を、貸します!」
そう言って、紗矢音は明信の後ろへと回った。背負われた守親を支えることは体格差から難しいが、せめてもと彼の背を押す。
押されることで進むのが少しだけ楽になり、明信は力を振り絞って邸の門を跨ぐ。そして紗矢音の部屋守親を運び入れ、崩れるように座り込んだ。
「はぁっ……はぁ……。助かったよ、大姫」
「はっ、はっ……。いえ、桜音どのが教えて下さったので」
「桜音どのが?」
明信は目を見開き、それから「そうか」と微笑んだ。
「そういえば、その桜音どのは何処に……」
「ここだよ。二人共、お疲れ様」
紗矢音と明信が庭を見ると、千年桜に手をついて立つ桜音の姿があった。彼の姿がわずかに緑がかって見てた気がして、紗矢音は瞬きを繰り返す。
しかし次に見た時、桜音の様子は普段と同じだった。
明信は頬についた血を拭うと、苦笑いを漏らして桜音に「ありがとう」と口にする。桜音が桜を通じて自分たちを見付けてくれたのだろう、と明信は察していた。
「ありがとう、桜音どの。無事、とは言わないが帰って来ることが出来ましたよ。……大姫が見付けてくれなければ、その辺で倒れていたかもしれません」
「礼を言うのは、僕の方だ。物言わぬ桜のため、心を砕いてくれることにどう礼を言ったらいいのかわからない」
桜音は明信に近付くと、彼の胸元に向かって手のひらを広げた。何をするつもりなのかと明信が驚くのを無視し、目を閉じる。
「少しの間、動かないで」
そう言うと、桜音の手から霊気が溢れ出た。それは音もなく明信を包み込み、その身に受けた傷を癒していく。
「これは……」
「千年桜に蓄えられた霊力の一部だ。僕には何も出来ないけれど、これくらいはさせてくれ」
「……全く、あなたの方が死にそうな顔をしていますよ?」
霊力を使った桜音の顔色は悪い。彼自身も正体不明の敵から攻撃を受けて瀕死に近いはずなのに、と明信は飽きれる。だからこそ、桜音のために出来ることは全てやりたいと思えるのだが。
「う……?」
「兄上」
パシャンと音がして、桜音と明信も気付く。
「守親、気分はどうだ?」
「あ……明信か。それに、大姫。桜音どの」
「だいぶ、やられたらしいな。待っていて……」
そう言うと、桜音は明信にしたのと同じようにして彼の傷を癒した。それでも傷を完全に塞ぐことは出来ず、桜音の指が震え出す。
「くっ」
「桜音どの、無理はしないでくれ。それにこれくらいの傷、舐めていれば治る」
「……すまない」
顔を歪め、桜音は手を下ろした。青白い顔をしているそちらの方が心配だ、と守親は笑ってやる。桜音の手当てのお蔭で、それくらいの余裕は生まれた。
ふと桜音の隣を見ると、何か言いたげに彼を見詰めている妹の姿が目に入る。彼女の瞳に映る色を見て、守親は一瞬だけ寂しそうな顔をした。
しかし一切それには触れず、守親は咳払いをした。自分が寝かされているところが自邸だと知り、桜音と紗矢音に話さなければならないことがあると思い出したのだ。
「――こほん。兎に角、俺たちが何と出会ったかを話さなければな。……ん?」
顔色が戻って来た守親は、ふと桜音が自分の狩衣を身に着けていることに気付く。紗矢音を見れば、少し目を伏せて事情を話してくれた。
「後で話すけれど、こちらにも敵襲があって……。桜音どのが怪我を負ったのです。衣もぼろぼろになって、兄上のを借りました」
「それは構わないが……。敵襲とは本当ですか、桜音どの」
「ああ。そして、敵の思惑の一部は推察が付くかもしれない」
「わかりました」
真剣な桜音の顔に、守親と明信は頷き合う。廃社で狐に襲われたことは、決して無駄ではない。
「互いに、起こったことを話そうではありませんか」
明信の言葉を合図に、その場でそれぞれの身に降りかかった災難について話し合いがなされることとなった。
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