第14話 黒煙の狐

 炎鬼えんきに連れられ、守親たちは空を駆ける。都の家々の屋根を足掛かりに、軽々と移動して行く。重さを感じさせないその足さばきに、守親は感嘆の声をあげた。

「凄いな、炎鬼。相変わらずだ」

「そうだろう? 炎鬼は私の誇りだからな」

「……何で師匠が威張るんですか」

 炎鬼の肩で胸を張る正輝にため息をつき、明信は文句の一つでも言おうかとした。しかし次の瞬間、進行方向から漂う気配に気付く。

「……師匠、守親」

「ああ。あまり遊んでもいられないな」

「明信、あれは何だ?」

 正輝が懐から札を数枚取り出し、不敵に微笑む。彼の斜め下では、顔をわずかに青くした守親が前方を指差した。

 彼らの行く先には一部、黒い雲の渦がある。音もなくゆっくりと回るそれの中心は地上へと伸び、あの廃された社へと繋がっていた。

 ちっと舌打ちをし、明信は歯噛みする。

「もたなかったか……!」

「お前の式、取り込まれているかもしれないな」

「はい。……すまない、式」

 脳裏に白い犬の姿を思い描き、明信はうめいた。

 そんな弟子を見下ろし、正輝は声もなく苦笑する。口調とは裏腹に優しい心根の弟子を誇りに思うと共に、やや危うさも感じているのだ。

「明信」

「……はい」

「わかっているだろうが、あれを止めなければ都に広がるぞ」

「はい。だからこそ、今向かっているんです」

「ならば、良い」

 既に弟子は前を見据えている。これならば、と正輝は先程とは違う意味で笑いたくなった。だから正輝は、その楽しさを別の存在にぶつける。

「炎鬼、頼む」

『……っ』

 炎鬼も正輝の気持ちをんだのか、目元を和らげてから前を向いた。ぐん、と駆ける速度を上げて社へ近付く。

 ぶわっと黒雲が広がった。そして、守親たちに気付いたらしいそれの一部がこちらへと伸ばされる。鋭利に伸ばされたその雲を見て、明信は隣に叫んだ。

「守親、斬れ!」

「おう!」

 炎鬼の手のひらを踏み台に、守親が跳ぶ。腰の刀を抜き放つと、自分に向かって突進して来る槍状の雲を正面から叩き斬る。

 すると雲であるはずのそれは真っ二つに割れて霧散し、落ちる守親を炎鬼が受け止めた。

 ふっと安堵した明信に、正輝が楽しげな顔で問う。

「何故、雲を斬れると思った?」

「守親が素直だからですよ」

「ほう?」

 その心は。とでも言いたげな正輝に、明信は種を明かした。

「守親なら、俺の言葉を信じてくれます。そして守親はあれを刀で斬れると信じて刀を振るうでしょう。……ああいうものは、こちらが弱気になったら負けです。違いますか?」

「違わないな! いやぁ、流石私の弟子と友だ」

 カカッと笑うと、正輝は表情を変える。雲の出どころである本殿に置かれた、この現象の根本を見付けたのだ。

「炎鬼、私をあそこへ向かって落とせ。明信と守親には、私を阻もうとする化生の類いの相手を頼もう」

「心得ました」

「任されますよ、正輝様」

「……重畳だ」

 本殿を見据えたまま、正輝の唇の端が上がる。

 炎鬼は廃社の入り口に降り立つと、明信と守親を置く。まだ何も襲いかかって来ないが、これからだと二人は気を引き締めた。炎鬼は再び上昇すると、本殿の真上に立つ。

『……』

「ああ、構わん。やってくれ」

 何か言いたげにした炎鬼だが、主の命令は絶対だ。ひょいっと肩に乗った正輝を掴むと、地面に叩きつけるが如く投げつけた。

「……ったく、相変わらず力が強いな」

 地面に激突すれば即死だが、勿論正輝はそんなへまはしない。本殿の屋根を突き破る直前で体を浮かし、そっと降り立つ。

 くるりと境内を見回せば、明信と守親がこちらへと駆けて来るのが見えた。この距離ならば、何が起こっても対処出来るだろう。

「さて、まだそちらからの働きかけはなし。……では、何が出るか」

 正輝は式となる札を一枚取り出すと、それに筆で文字を書いた。流麗なその文字は、刀。

 札は細身の刀に変化し、それを手にした正輝は切っ先を足元へ向ける。そして、一思いに突き刺した。

「──ッ、キェェェェエエェェエエッ」

 屋根に突き刺したはずの切っ先は、何故か床の上の呪と書かれた紙片を串刺しにした。その途端、つんざくような金切り声が響き渡り、黒煙が噴き出す。

 外で様子を見ていた守親は、悲鳴に耳を塞いで前に立つ明信へ声を張り上げた。

「おい、明信! この後……」

「来るぞ、守親!」

 守親の言葉を遮り、明信が右手人差し指と中指を立てた。彼の声に気を引き締め直し、守親も刀を抜く。そして二人の前に、黒煙をまとった巨大な狐の化生が姿を現した。

「これが……『呪』?」

「その力を具現化し、形を持たせたものだ。二人共、こいつを倒さんと『呪』は破れないぞ」

 既に炎鬼によって助け出された正輝は、二人の背後に建つ塀の上に腰を下ろしている。高みの見物を決め込むのだろう。

 狐が一歩踏み出した。踏み締めた場所から黒煙が立ち昇り、守親はぞわりと全身を駆け巡る嫌悪感に身を震わせる。

「明信」

「臆するなよ、守親。これを滅せなければ、桜を救うなど夢のまた夢だ」

「わかっている。それに、妹と約束したからな」

 大姫こと紗矢音。守親のただ一人の妹と、守親はこの社へ来る前に約束を交わした。――決して、諦めないこと。誰一人欠けずにやり遂げること。

「だから、俺たちは負けない」

 刀を構え、守親は微笑む。それを見て、明信も肩をすくめて笑みを見せた。

「行くぞ」

「おう」

 たった一言で、二人は同時に飛び出した。

 いんを結んだ明信の手から力が放たれ、狐の前足を捕縛する。更に高く跳んだ守親の刀が狐の首を狙う。

 二人の連携が功を奏し、狐は囚われた前足を動かそうと必死だ。その首に、刀が突き刺さる。

「キイイィィィイッ」

「効いてるぞ、守親!」

「くっ……固いっ」

 金切り声を上げる狐の急所と思われる首を斬ろうと刀を握るが、守親の力ではびくともしない。少し切り傷を与えるに留まり、守親は深追いしようと腕に力を入れる。その時だ。

「――っ、守親!」

 明信の叫びが聞こえ、守親は顔を上げた。その瞬間、右側から強い衝撃を受けて吹き飛ばされる。

 その衝撃が狐の前足によるものだと気付いた時、守親の耳に明信の声が響いていた。彼の声は怒りに震え、普段の明信のからは想像も出来ない強さを秘めていた。

「よくも俺の無二の友を……。光よ矢となりて、彼のモノを貫け。祓い給え、浄め給え。――急々如律令!」

 ――ゴッ

 天から降って来た光り輝く矢によって、『呪』をまとう狐は頭から串刺しにされて絶命した。

「……はは、お前やるじゃないか」

 社を囲む塀にぶつかり仰向けに倒れていた守親は、狐の最期を見届けると同時に気を失った。気を失う直前、友の声が聞こえた気がしたが、それを確かめる術はない。

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