第2章 化生蠢く宵闇の戦

廃されし社に残るモノ

第13話 正輝という陰陽師

 桜音から紗矢音が刀を受け取った翌日、明信の姿は山の中にあった。あの後もう一度だけ社の本殿へと足を延ばしたが、やはり明信には手が出せない。

(あの人を頼るのは癪だが、仕方がない)

 ざくざくと足場の悪い山道を登って行く。明信の後ろを歩くのは幼馴染の守親で、二人は共に狩衣を身に着けていた。そして烏帽子はない。

 通常、貴族が烏帽子を取ることはない。それが当たり前であり、烏帽子を人前で取るという行為は、人前で全裸になることと同義だ。

 しかし明信と守親にはその意識が薄く、二人だけの時は外すことが多い。紗矢音もそれを見慣れており、何か言うこともなく恥ずかしがることもない。

「明信、師匠はこの先か?」

「ああ。もう少しでこの山の中腹だ。その辺りに庵があるはず」

 互いに息を弾ませることもなく、二人は歩く。そしてやがて、山の中腹にある平らな場所に辿り着いた。

 木々がまばらに立ち、背の低い雑草と呼ばれる類の草花が広がる。その中にぽつんと建つそれに向かい、明信は歩く。

「そういや、お前の妹は?」

「ああ。桜音と一緒に、刀を扱うための鍛錬をするんだと。昨日一戦やったが、あいつはかなりの手練れだ」

「ふぅん。……まだ気付いていないか」

「何か言ったか、明信」

「何でもないよ」

 久し振りの手応えに嬉しそうな守親に対し、明信は軽く首を横に振った。不思議そうに首を傾げる守親が何か言いたそうだが、まだ伝える時ではないと無視を決め込む。

(その時はまだ来ない。……何でこういうものが先に見えるかな)

「それが陰陽師なんだよ、愚弟子」

「師匠……」

 簡素な門を叩こうとして、内側から開いた直後がこれだ。

 正輝まさてるは朝廷に仕える陰陽師だが、ほとんど出仕しない。その能力故に強く言うことの出来る貴族は存在せず、帝に召された時のみ姿を見せる幻の存在だ。

 三十は超えているはずだが、その容姿は二十代と言っても騙されるだろう。目元は涼しく整った容姿をしており、人前では寡黙で近寄りがたい雰囲気を出す男である。しかしその実は、弟子で遊ぶのが好きな気の良い天才陰陽師だ。

 明信は大きなため息をつき、頭を抱えたくなった。代わりに額に手のひらを置く。そして、不敵に笑う男へと睨みを据えた。

「突然出て来ては驚きます、師匠。そして、勝手に心を読まないで下さい」

「おお、守親。久しいな」

「無視か!?」

 弟子を無視して守親に挨拶をした正輝。流石に声を荒げた明信に悪戯好きな子どもの笑みを見せ、正輝は「すまんすまん」と悪びれない。

 眉を寄せる弟子の頭を撫で、正輝は彼の耳に口を寄せた。

「――時は来る。

「――っ」

 全てを見透かされた気がして、明信は顔を上げた。そこにある師の表情は何処か切なげで、楽しそうに見える。複雑なものを感じ、明信はそれ以上追及しなかった。

 黙ってしまった弟子の頭をもう一度撫でると、正輝は困惑顔で置いてきぼりをくらっていた守親に向かって片手を上げてみせる。にやりと笑い、自分の方に招く仕草をした。

「守親、明信。二人共入ると良い。話があって来たんだろう?」

「はい、師匠」

「お邪魔します、正輝様」

 二人は庵に入り、囲炉裏を囲んだ。囲炉裏には鍋がかけられており、ぱちぱちと火の爆ぜる音が聞こえる。

 決して広くない部屋の奥に腰を下ろした正輝は、「さて」と客人二人を見回した。

「鬼門の方角に、不穏な気配を感じる。これについて話せるか、明信?」

「まさに、そのことです。師匠」

 明信はそう前置きし、ここ何日かで起こった事をかいつまんで話した。

 千年桜の不調。廃寺の気配。廃社の落とし物、そして廃寺の化生。更には千年桜の化身を名乗る『桜音』の存在。それら全てを話し、明信は師の反応を待つ。

「……成程な。このおいぼれも、大人しく引き籠ってはいられないということか」

 自身をおいぼれと蔑みながらも、正輝の表情には余裕がある。寧ろ、面白がっている節すら感じられた。

 いつもの師匠だ。そう思いつつ、明信は廃社の紙片について依頼する。

「師匠、その鬼門に位置する廃された社の本殿に、怪しい紙片が捨て置かれていました。それを拾おうとしたのですが、どうも俺に扱えるモノではないようでして。今、式を置いて様子を見させています。……ご同行、願えませんか?」

「『呪』と書かれた、破られた紙片。そこに渦巻く、負の気配か。――良いだろう、連れて行ってくれ」

「はい」

 明信が立ち上がった瞬間、彼の体が浮く。それは明信のみならず、反対側に座っていた守親も同様だ。

「はっ!?」

「……守親、いつものあれだ」

 驚き暴れる守親をいさめ、明信は自分たちを抱き上げた存在を見上げる。

「――久しいな、炎鬼えんき

『……』

 赤く大きな体をした鬼――炎鬼は無言で頷く。それは角を持たない異形の者で、昔正輝に打ち負かされたために式となったという。真偽のほどは定かではないが、少なくとも炎鬼は今の状況が嫌ではないらしい。

 幼くして陰陽師正輝の弟子となった明信のみならず、守親と紗矢音も炎鬼とは面識があった。この無口な気の良い鬼は、いつも気配なく正輝の傍にいる。

「さあ、炎鬼。

『……』

 炎鬼は頷き、二人の青年を両手に抱えてあるじを肩に乗せた。肩に腰掛ける主の指示に従い、彼は庵を出ると空へ跳んだ。

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