第4話 呪

 とても、安らかな夢を見た。あたたかく、優しい何かに身をゆだね、紗矢音は眠りに落ちていた。

「……あ」

 ふと意識が覚醒し、紗矢音は飛び起きる。室内には誰もいなかったため、紗矢音は盛大にため息をついた。

「もう一度蔵に行ったのに、どうしてまた寝てるの……」

 思わず悲鳴に近い叫び声をあげたが、運良く家人等は誰も近くにいなかったらしい。いたら最後、飛び込んで来るに違いないのだ。

「……ふぅ、まずは落ち着かないと。父上ももうすぐ戻って来られるはずだし、わかったことだけでもお知らせしないと」

 紗矢音は机の上に置き直した巻物をちらっと見て、また目線を戻した。もう一度蔵へ行くという手もあるが、時はあるまい。外を見れば、日が落ちている。

(それに、今度は覚えているもの。夕陽で見えなかったけれど、誰かがいた)

 はっきりと瞼の裏に焼き付いた、儚げな気配の青年。声色と容姿で若いであろうことはわかるが、その髪色は雪のような白。更に、瞳は満開の桜のような薄紅色をしていた。

 ──とくん。

 青年の姿を思い描くと、胸の奥が高鳴った。紗矢音は驚いて胸に手を置き、次いで頬に手のひらをあてる。

 頬に熱が集まり、未知の感覚に戸惑う。それでいて、心地良さも感じる。

(あの人は、誰……?)

 紗矢音の心が『知っている』と強く震える。しかし、紗矢音自身はまだ思い出せない。

 幼い頃に会ったことがあるのか、それとも、まさか紗矢音として生まれる前の知り合いか。思い悩んでいた紗矢音は、父が帰宅を告げたことにも気付かなかった。

「大姫? ……静かすぎて、眠っているのかと思ったぞ」

「申し訳ございません、父上。少し、考え事をしておりました」

 御簾の向こう側に座った父・紗守に無礼を詫び、紗矢音は御簾の内側へと招き入れる。

 円座に胡座をかいた紗守は、娘の息災そうな顔にほっとした様子だ。脇に抱えていた巻物を床に置くと、それを紐解くようにと言う。

「内裏の塗籠をひっくり返し、見付けたものだ。この邸では見たことがない記述が書かれている」

「……拝見致します」

 先程まで一人で懊悩していたとは思えない程落ち着いた様子で、紗矢音は巻物を手に取った。大切に仕舞われていたのか、ほこりなどはついていない。

 床に巻物を広げ、文字を追って行く。




 ──桜は一度、枯れかけたことがある。

 何故ならば、呪を操る者にその不可思議な力を狙われたためだ。しゅを操る者は、桜の力を我が物とせんため、桜に呪をかけた。

 呪は桜の力と混じり、反発を生み、やがて徐々に木を蝕む。国を支え守る力は削がれ、都でも時折、見たこともない化生けしょうのものを見るようになった。

 つまり、桜の力が弱まったことにより、向こう側の世にはびこる化生がこちら側へ来てしまったのだ。それらはこちら側にいるだけで、人々に害を及ぼす。早急な手立てが望まれた。

 それを可としたのが、桜守である。

 桜守は桜と繋がり、力を分け与えられた血筋である。最も強い結び付きを持つ者は、桜の真呪しんしゅを使いこなすという。

 桜守の血筋の者たちにより、桜を狙った術師は倒された。それにより呪は解け、桜は息を吹き返したのだ。




「……では、千年桜の不調もまた、何者かの故意だとおっしゃるのですか?」

「流石は我が娘、呑み込みが早い。その通り、私はこの度も『呪』がかかわっていると踏んでいる」

 紗守は腕を組み、深く眉間にしわを刻む。父の悩ましげな様子を見て、紗矢音もまた胸を痛めた。

「何処の誰、というものはまだわからないのですか? 何か一つでも手掛かりがあれば、わたしたちで調べることも出来ますよね」

「手掛かり、な」

 娘の助言を受け、紗守は思考を回す。ここ数日内裏に詰めていた彼には、方々から様々な知らせや噂が舞い込む。その中から、有益であろうものを選び取る。

「……そういえば、一つの噂が出回っていたな。何でも、恐れ多くも帝を呪い殺さんと画策する一派が存在するとかしないとか」

「帝を? この和ノ国における柱とも言える帝を、なんて。冗談にしても質が悪過ぎます」

「私も悪い冗談の類だと思っている。この国を根底から覆そうだなんて、考えるのも恐ろしい。……だが、それも私たちの考え方がそうであるだけで、立場が違えば幾らでも変わろう。世には、帝をも恐れぬ輩がいないとも限らない」

 例えば、都という国の中心に住まいしていても、夜盗や追剥にいつ襲われるかわからない。彼らは暮らしに困り、やむなくという事情で暮らし方を変えた者たちだ。彼らは帝を恨みこそすれ、有難く尊いものとは考えもしないだろう。

 また、武力という貴族には持ち得ない力を手に入れた者たちを、人は武士もののふと呼ぶ。彼らを利用出来ている間は良いが、蜂起されれば一巻の終わりだろう。

 幾つかの例を上げながら、紗守はちらりと娘を見た。何やら考えているらしい彼女に、父は一つ釘を刺しておく。

「どちらにしろ、お前は大人しく邸で調べものをしていてくれ。大姫。お前は時に、こちらが思いもつかないことをしでかす。幼い頃にも……」

「わかっています、父上。ご心配なさらないで下さい」

 父の言葉を遮り、紗矢音は微笑む。しかし、に。

「ならば良いのだが。――ではな」

 円座を立ち、紗守は部屋を出て行った。足音が遠ざかり、紗矢音はようやく張り詰めていた糸を緩めた。どうやら父は、自分の都合の良いように解釈してくれたようだ。肩の力を抜き、父が出て行った几帳を見詰める。

 紗守の娘が心配だから閉じ込めておきたい、という心遣いはわかっている。それでも紗矢音は、己の心に従いたかった。

「父上、それもまた『呪』なのです。けれどわたしは、あの桜のためならば何だってやってみせます」

 ぽそりと呟き、紗矢音は庭を顧みる。

「帝を呪う。国を呪う。……その達成のために最も早く狙うべき対象は、何?」

 春の陽射しに照らされ、普段の春よりも少ない花数ながらも咲き誇る千年桜。その儚い姿に、紗矢音の心は決まった。

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