二節

グリーンベレーぶらり東欧紀行/1

場所 コソボ自治州 イバル川近辺 某村          二〇三〇年六月下旬


「ここか。随分殺風景だな」


 一人のアメリカ人が、一ヶ月前にフランス外人部隊の大量虐殺現場となったちっぽけな村落に立つ。若干油臭いが、それ以外に軍が駐屯していた痕跡はもう無い。

 この土地はだ。


 二〇〇四年三月十七日。アルバニア人武装集団三千名がセルビア人居住区の村を強襲。家屋、教会を焼き払い一方的にセルビア人を排除。多数のセルビア人が難民となった。

 当時のセルビア・モンテネグロ政府は、全土へ飛び火したこの暴動を抑え込むべく西側に救済を求めたのだが、あらゆる支援は拒絶され米国務省は「忍耐を評価する」の一言を発するに留まる。お前達の自業自得だと遠回しに言い放ったんだ。それが二〇〇四年の出来事。当然セルビア人達は、当時この地で全てに目を瞑ったフランス軍を良く思っていなかったのだろう。それを考えても今回の件、セルビア人はやりすぎだ。まさか外人部隊を攻撃するとはね。誰か知らんが扇動した者は頭が良い。銃や火炎瓶を使ってしまえば、いくら治安維持名目とはいえ必ず反撃される。今回はボウガンにこん棒、それに石――、つまりリンチ。発砲要件は満たせず、十分な暴徒鎮圧用装備も付与されていなかった彼らは、最後まで群集の脅威度を入念に判断し、最小限度の発砲を遵守したのだ。この判断は同じ軍人として尊敬に値するが、結果数に押され壊滅。

 この悲劇は『イバル川の悪夢』として外人部隊に未来永劫語り継がれることになるだろう。キーポイントはスナイパー。ファーストコンタクトの数秒で中隊長以下随伴の士官三名と通信士を射殺。中々痺れるね。悪くない。

 事の始まりは一ヶ月前に遡る。


                   ♢


「マジでヤバイ」


 こんな事なら素直に実家の工具店を継いでおけば良かった。

 今日ほど外人部隊に入隊した事を後悔した事は無い。例の核爆発の時に脱走しとけばよかったぜ!

 思えば入隊直後はフランス国籍欲しさにオレは浮かれていた。旧シリアでの停戦査察団護衛なんかもキツイ仕事だったが、これはマジでヤバイ。

 ほんの三日前まで、ここの住民はみんな俺たちNATOに好意的だったが、今は投石を受けている。たった三日で住民がアルバニア系からセルビア系に入れ替わっちまったんだ。

 冗談じゃない。ここは司令部のあるミトロヴィツァまで三キロと離れてないんだぞ。だのに司令部は動かねぇ。今の時勢じゃ発砲許可が出にくいのは頭の弱い俺でも理解できる。だが催涙弾もゴム弾も使用許可が下りない。頼りの国連警察とやらは全員逃げやがった! クソ共がっ! 今俺たちのボスは、クビを覚悟で発砲命令を出すかどうかの瀬戸際まで追い詰められている。こんなチンケな村なんぞセルビア人にくれてやればいいんだ。一旦、司令部まで後退して踏ん反り返ったクソデブイタリア人司令のケツの穴にラキアをぶち込んでやれ!


 治安維持部隊指揮所では定年まで四年の中隊長が、五分毎に電話を掛け続けている。接続先は司令部であったりブリュッセルのNATO本部であり、フランス本国であったが、NATOが積極的攻勢を禁止している以上、加盟国であるフランスは従う義務がある。だがフランスが本質的に米主体のNATOの、特に軍事部門の駒になる筈も無く。既に本国からの発砲許可は下りている。だが撃てない。彼は苛立っていた。佐官クラストは常に『政治』を考えて行動し、それは軍事行動においては足枷でしかない。


「役人どもめ」


 何もかもブレス、マスコミのせいだ。大手の特派員やフリーのジャーナリストにカメラマン。どれもこれも邪魔で鬱陶しい。こいつ等を守る名目でNATOから発砲許可を得ようとしたが不可能。かといって撤退許可も出ない。だったらメディアだけでも避難させろと進言したが、これに関しては何故か回答が無い。

 ただ「待て」の一点張りだ。

 既に矢に射抜かれ重症者が出ている。今はまだいいが、銃が出てくるのは時間の問題。いや、まだ出てないのが奇跡みたいなものだった。

 そもそもセルビア人達は事態を理解しているのか? こんな事をしていてはまた攻撃の口実を我々に与えるだけで、何の解決にもならない。二十六年前の繰り返しになるだけだ


「中隊長。もう限界です」


 と各小隊長からの具申。


「せめて部隊を河の対岸に渡河させましょう。これほど切迫した状況なら非難はされません。状況は全て録画してますので、万一の発砲も完全に正当です」


 その通り。

 今部隊を後退させても誰も非難すまい。だからこそだ。これは明らかにロシアの手引きだ。統率の取れた過ぎた投石。此方の指揮を削ぐ為、絶妙なタイミングで使用される火炎瓶。群集の中にチラホラ見える顔が汚れていない男女。

 あれは間違いなく工作員だ。後退すればロシアに屈したと後々、外人部隊の汚点となる。それは避けねばならない。それに関しては指揮官全員、周知の事実だった。


「様子を見よう」


 私はそう言って、お付きの通信兵と指揮車へ向かう。


 流石に見張り台に上っては狙撃の危険性があるので、通信指揮車の伸縮式ペリスコープを使用する。相変わらず、群集は増え続けている。もう一個中隊で抑えられるレベルを超えつつあった。彼らは焚き付けられてる。それは不幸な事かもしれないが、この地域の歴史的背景を考えれば、彼らの主張を完全に否定する事は不可能だ。

 にも関わらず。NATOは一度、彼らを完全に否定した。若干の同情を見せた後に、奈落の底へ突き落としたのだ。


『お前達の自業自得』だと。


 それが二〇〇四年の出来事。当時のフランス軍は、国の政策によりNATOから少し距離を置いていた。だが出兵はしている。丁度この地域の治安維持に対する指揮を執る立場として、この地に居たのだ。なのにアルバニア人の暴挙を止める事も無く、ただ傍観していただけ。それも手が届くほどの目の前で。

 故にセルビア人は、確実に我々を良く思っていない。


「駄目だな。やはり現場判断で後退の可能性も視野に入れよう――」


 現場を改めて目にし、もう汚点云々の域を超えた状況を確認――。中隊長が撤退を決意し、指揮所に戻ろうとした時、恐れていた事は起きた。時間は巻き戻せない。

 それが後年『イバル川の悪魔』として語り継がれる事を、彼らは知るよしも無い。


 これが『極小の世界大戦』として語られる一連の出来事、最初の戦闘となった。


 この戦闘により、外人部隊は一一〇名近くを一度に損失。大半は群集によるリンチで殺害され、遺体は川に遺棄された。イバル川は神聖な川では無かったのか?

 現場検証の後、判明したが、全ての車輌はエンジンプラグが抜き取られていた。取り外すのに専門的な知識を必要とする装甲車のプラグさえも。焼き放たれた車輌には、運転手の焼死体が散見された。逃げれなかったのだ。この事実は暫くの間隠蔽される事となる。犯人は報道関係者に化けたスパイだったからだ。裏づけとして、同行したフリージャーナリスト二名の行方が掴めていない。二人が拉致された可能性も視野に入れたが、胸にデカデカと社名を貼り付けていた世界規模のテレビ局クルーが惨殺されていたのでこれは否定された。フリージャーナリストと正規のテレビクルーでは価値が違う。普通、拉致するなら後者だ。言論の自由とは認められて当然だが、こういったケースでは足枷にしかならない事もある。

 NATOはこの件を重く受け止め、誰だか分からん首謀者に膨大な額の懸賞金を掛け捜索隊を組織。フランスはNATO司令部の弱腰が今回の悲劇を招いたとして、再びNATO離脱論をチラつかせた。


 一九六六年。米国主導の戦闘行動に加担するだけだとし、フランスはNATOの軍事協定から脱退。以後、条件付で段階的に復帰する。完全復帰はなんと二〇〇九年だ。二〇三〇年現在に至るも、フランス軍の兵器システムにNATOから独立した独自技術主体の物が多いのはこの名残で、それを現在も堅持している理由は、またいつでも脱退出来る状態を維持する為に他ならない。フランス以外の加盟各国もこれに同調するかのように、次は我が身と続々NATOの有り方を問うて求心力は低下。NATO形骸化の一要因となった。


 程なくして米軍主体のスナイパーハントが始まり、連日連夜。怪しい建造物には片端からサーチ・アンド・デストロイを仕掛ける。アフガンやイラクと同じだ。彼らは自分の任務をこなしているだけだが、テレビ等で客観的にそれを見た場合。その行為は強盗と区別が付かない。大した成果も挙げる事無く。また反戦団体に利用されるだけだろう。虚しい事だ。誰しも平和を愛している筈なのに。

 それに、この作戦は「ちゃんと探してますよ」という対外向けのポーズだ。あれ程の仕事が出来るスナイパーが、その辺の民家や教会に隠れている訳がない。明らかに軍事訓練を受けた正規軍の所業だろう。グリーンベレーの俺が言うんだから間違いない――、と思う。 

 俺は射撃箇所の割り出しから、使用された銃の裏付けと入手経路の調査目的で本国から引っ張られた哀れなアマガエル。そんな事はフランス・ドイツ合同調査隊が全て調べ上げているだろうに。信用できないなら上が面と向かって話せばいいんだがね。


 で、調査結果に関してだが、特にこれといった進展は無かった。なので俺自身のスナイパーXに関する考察だが……。


 まず最初の数秒間で犠牲になった三名だが、それなりに訓練を受けた人間なら誰でも出来る。勿論、セミオートライフルでの話だ。ボルトアクションでも十分可能だが、これはには馴れがいる。

 何より地面にめり込んだ弾頭からボルトアクションの線は消えた。回収された弾丸は7・62ミリ×51Rと東側では一般的な弾丸なのだが、それの線状痕がなんとドラグノフのものだった。てっきりSV‐98系統かと思ったんだが深読みし過ぎたね。 

 ライフリングも同じ四条右回りなもんで何度も調べたがドラグノフで間違いない。ツァスタバM‐91じゃないのは意外だったなぁ。まぁこれで銃の入手先なんてもう解らん。その辺にドラグノフは転がっている。


 次に混戦時に狙撃されたと思しき三十二名。これは全員が将校とベテラン軍曹で、見事にヘッドショット。てことは、実行犯は複数。軍事的な常識から言えば最低でも四組計八名の凄腕スナイパーと観測手が展開していた筈だ。だが推定される狙撃ポイントは一箇所な上に、硝煙反応以外に痕跡は残っていない。推測の域はでないが恐らく、いや考えたくはないがロシアの特殊機関が、セルビア正規軍に化けて狙撃したのだろうとも考えられる。

 或いは、セルビア人に撃たせ、スポッターがロシア兵という可能性もある。何れにせよ狙撃ポイントは、今俺が立っているこの一箇所しかない。そうでないと最初に狙撃された三名とバランスが取れない。頭蓋骨への弾丸の射入角は全て同じだったのだから。

 勿論セルビアにも優秀なスナイパーは大勢居るが、その事を考慮しても今回の件は痕跡の消し方が鮮やか過ぎる。仮に一組なら尚更なおさらだ。しかし、ロシアが直にフランスを攻撃? 普通は考えられん。だが何にせよ今回の事件で一番得をしているのはロシアなのだ。核の使用により、セルビアは国際社会での地位を完全に失ったといっても過言でないダメージを負った。そしてロシアは、窮地に立たされたセルビア唯一の後ろ盾になった。嫌な予感しかしない。


 一つ気になる点がある――。何故射撃位置を変えなかった? コイツが射撃位置に選んだのは現場から一二〇メートル離れた民家の二階だ。俺なら、どんなに撃っても五発で場所を変える。通常、一キロ以上の長距離狙撃で制空権が取れているなら、頻繁な移動は必要ない。だがこれは近すぎる。外人部隊の側に、確実に射撃位置を割り出したヤツが出た筈。現に外人部隊が残した薬莢のから、何人かの兵士はこの民家に向け発砲している事が読み取れる。 

 混戦の中、敵の狙撃位置を割り出したのだ。そして犯人は位置がばれたにもかかわらず、射撃位置を変えた痕跡が無い。つまりコイツは、射撃の腕はそこそこ良く痕跡の消し方も上手いが、戦術に関してはズブの素人である可能性が高い。あえて素人を演じた可能性もあるが、現状ではそれを判断する事は出来なかった。正規軍ではないのかもしれない。謎は残るが今は……。

 とにかく後はフランスに後送された生存者から調書を取って、俺の任務は一先ず完了だ。これが一番厄介だな。面会すら出来ないかもしれん。俺は、その日の内にフランスへ飛んだ。


「案の定だ。クソッタレ」


 面会謝絶。特に米軍関係者お断り。だそうで、唯一見れたのはPTSDで自殺した兵の病室だけ。まぁ何も見れないよりかはマシと割り切るしかない。自殺した彼の病室。壁一面の文字。英語でもフランス語でもない。彼の母国語だ。医師に聞いたが、ブルガリア語で『子供』と書かれているそうだ。子供。PTSDは時として幼児退行の様な症状を出す。このダイイングメッセージに何か意味があるのだろうか。戦場で子供を殺してトラウマを抱える軍人は結構居る。ましてそれが、近親者に近い年齢だとしたら、例えば自分の子供と同い年とかなら尚の事だ。彼は暴徒に紛れ込んだ子供を撃ったのだろうか。いや、あれだけの乱戦だ。仮に撃ったとしてもそれを認識できたとは考えにくい。まして脅威度の高い人間だけ選別して発砲したらしいじゃないか。なら子供は撃たないだろう。武装でもしていない限りは。


「武装した子供。チャイルドソルジャーか」


 或いは、子供が同僚を殺害した場面を目撃したのか? いや多分違うな。もしそうなら彼は子供を躊躇無く殺した筈だ。軍人とはそういう風に訓練されている。それでショックを? その可能性もあるが、何か見過ごしている気がする。俺は医師に、彼の入院時の様子を詳しく知りたいと尋ねたが、プライバシーという民主国家最強クラスの防御壁に、なすすべなく後退を余儀なくされた。

 帰り際。最後に、もう一度自殺した彼の病室を覗いた。何か引っかかる。戦士としての彼の魂が俺に何か伝えようとでも言うのか。神なんか信じちゃいないが、俺は何故だが枕もとの壁を注視した。子供 子供 子供と爪で削られた痛々しい断末魔。せめて彼の魂が安らかに有らん事をなどと考えていた刹那、光明を見た。何故、最初見たときに気が付かなかったのだろう。その文字だけ薄っすらと血が染み込み、気付けと言わんばかりに俺の頭に響いてくる。パーソナルフォン(スマートフォンの後継)の翻訳ソフトで急いで翻訳する。俺は答えを見つけた気がした。

『子供 狙撃 小さな子供』画面にはそう表示される。

 少し想像してしまった。身の丈に合わない銃を担ぐ少年を。そいつは、たたった一人で外人部隊一個中隊を壊滅に追い込んだ? 子供が犯人なら腕が良い割に、戦術に関して素人という矛盾の解消にはなる。痕跡の消し方に関しては、日常生活で大人が気が付かない些細な変化に、何故か子供だけが気が付くのと同じような理屈が、戦場でも起こりえる。気が付いた変化を消してしまえば痕跡は消せるという意味だ。ゾクリとすると同時に怒りもこみ上げてきた。

 どこかのクソ野朗が、一流の狙撃術をガキに叩き込んだのだ。十中八九、ロシア人の仕業だろうが、考えただけでおぞましい。子供を戦争に使う国は、遅かれ早かれ必ず滅ぶ。ロシア人はそんな事も忘れてしまったのか。あれは第三世界が使う最も費用対効果の高い兵器。健康な子供に雑多な銃を持たせれば完成。爆弾を背負わせれば即席誘導弾の出来上がり。地雷原では探知機にもなる。足りなくなれば拉致すればいい。適当な女を犯して製造するのも有りだ。虫唾が走る――、この邪悪さの前では核兵器さえもが霞んで見える。それ位に下卑た兵器だ。



 まぁいい。判断は上に、ラングレーの技術屋連中に任せる。何にせよ俺はターゲットが仮に子供だとしても、それを止めなくちゃならない。主義主張はあるだろう。きっと不幸な生い立ちなんだろう。だが幼くして殺しの味を覚えているのなら、更正など不可能だ。やめさせるには魂を開放させるしかない――、あの世にね。


 とりあえずなんとかなるだろうと、この時は色々な意味でそう思っていた。翌月、米軍はベトナム以来の大損害を被る事になるのだが、当時の俺にそれを知るすべは無い。


 戦争は、既に始まっていた。



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