013:負けられぬ闘い - 前編 -


 精霊の寵愛ちょうあいという現象がある。

 それが本当に、精霊から与えられた加護の類なのかどうかはこの際、問題ではない。

 大事なのは、そういう現象が存在するということだ。


 その精霊の寵愛によって、彼は今を生きていると言える。

 他の仲間に比べると、高い知能と、身体能力。そして、手足のように身体の内側にある力を利用できる。


 突然変異ともいえる、突発的に生まれる種族上位種。それが、精霊の寵愛受けた種――通称、寵愛種ちょうあいしゅだ。

 同じ種族でありながら、頭脳や肉体能力が、頭一つ飛び出ている個体の誕生。

 条件は不明だが、世界で時々観測される現象の一つ。


 彼自身は気付いていないが、彼はそういう存在であった。


「外は寒い。だが、今のこのチャンスを利用して逃げねば、我々に未来はない」


 彼はそう訴える。

 だが、彼の仲間でそれを理解したものは、そう多くはなかった。

 全体で見れば、半数程度だ。


 それは仕方がないことだろう。彼らは、種族的に見れば元々知性は高くない種なのだ。


「まとまって動くと、捕獲されやすくなる。

 ここからは、いくつかの群れに分かれて、それぞれに逃げた方がいいだろう」


 ついてきてくれた者達は、大なり小なり彼の言葉を理解できる者達だった。


「もし会えるのであれば、夏にまた会おう」


 そうして、数奇な運命によって命を拾った彼らは、方々へと散っていく。

 彼もまた、他の者達とは別の方角へと動き始めた。

 その後ろには、彼についてくる者もいる。


 自分には、彼らを守る義務がある――彼は自分の心の中でそう誓うと、気合いを入れて、羽に力を込めるのだった。



     ♪



 空は青く澄み渡り、雲一つ無い晴天ながら、ユズリハの頬を撫でる風は非常に冷たい。

 小さく身体を振るわせて、白い息を吐きながら、ユズリハはドラに訪ねる。


「ドラちゃんは寒いの平気なの?」

「クァゥ」


 ユズリハの横で、器用に二足歩行しているレッドラインリザードに問えば、彼は肩を竦めるような仕草で鳴いた。

 どうやら、苦手だが我慢できないほどでもない――と、言いたいようだ。


「まぁ、私もそんな感じかなぁ……。

 さすがに、今日はちょっと寒いけどね」


 普段使いのツムギであれば裾は足首近くまであるのだが、今回は動き回ることを前提とした仕事用のものなので、膝丈よりもやや短いスカートのようになっている。それに袖も普段のものよりもダボつきが少ない。


 素足のままでは当然寒いし、防御も心許ないので、黒いニーソックスを穿いている。見た目はただのニーソックスだが、黒い糸で護りの花術紋フルーレムを刺繍してあるので、耐寒性と対刃性に優れた代物だ。


 靴も普段使っている簡素なものではなく、スネまで覆う鉄板仕込みのゴツい編み上げブーツ。

 履きづらくて脱ぎづらいという欠点さえ除けば、通気性や丈夫さは折り紙付きの、綿毛人フラウマー達からの評判が良いシロモノだ。


 さらには、腰帯も普段より短い物を巻いており、上から革のベルトを巻いてある。ベルトの背中側にはホルスターがついていて、そこに横向きに近い形で、やや刀身が短めの東方型片刃剣イーステン・ハーフエッジ――コダチを納めてあった。


 両腕も、肘近くまで覆う手甲のようなデザインをした革製の丈夫な指貫きオープンフィンガーグローブで、普段の家庭的な雰囲気とは反した、動き易さを重視した出で立ちをしている。


「寒くはあったけど、すぐに終わって良かった……かな。ドラちゃんのおかげだね」


 ありがとう――とお礼を告げれば、ドラは気にするなと言いたげに、鼻を数度大きくしてみせる。


 ユズリハがこのような格好をしているのは、仕事をするためだ。


 フルール・ユニック工房に居候している身ではあるが、フルール・ユニック工房で働いているわけではないのだ。

 もちろん、ユノから頼まれ事などをして、それをこなした時などは相応の代金が支払われるが、それとて毎日ではない。

 毎日の炊事や洗濯なども、基本的には家賃の代わりにしているものである。


 その為、ユズリハは時々、お金を稼ぐ為に外出をする。

 今回は新しい居候としてドラもいるので、共に稼げる手段として、綿毛人協会フラウマーズギルドからの依頼をいくつかこなしてきた。

 元々、大陸各地をフラフラと旅して回る綿毛人フラウマーだったユズリハにとっては、簡単に稼ぐ手段の一つだ。


 今回は基本的に一人と一匹のパーティでできる魔獣退治がメインにこなしてきた。

 ユズリハ達はほとんど無傷でそれをこなし、報酬を受け取り終わったところだ。

 あとは、綿毛協会フラウマーズギルドから工房への帰路を行くだけ。


 その途中で、小腹が減ったので屋台で買い食いするのは、悪いことではないだろう。


「すいませーん、串肉ふたつお願いしまーす」

「はいよ。作り置きが切れちまってるんで、今から焼くんだが、待てるか?」

「もちろん」


 焼き立てが食べれるのなら文句はない――と、ユズリハがうなずくと、店主は笑いながら肉と串を用意する。

 一口サイズながら厚切りされた肉を何個か串に刺し、火に掛けた。


 火に炙られた肉から、肉汁が滴り、それが火の中に落ちると、香ばしく焦げる匂いと共に、火が大きくなる。

 肉そのものが焦げないように、位置を変えながら、二本の串刺し肉を焼いていく。


 ある程度焼けてきたら、店主自慢のオリジナルのタレを塗って、さらに火に掛ける。

 香辛料とフルーツを煮込んで作ったタレの甘辛い香りに、こうばしい焦げの香りも混ざって立ち上りはじめれば、周囲を歩く人達も、チラチラと屋台を気にするように視線を向ける。


 焼けるのを待つユズリハはもちろん、同じように彼女の横で待っているドラも、気持ちソワソワとし始めた。


 そんな時である。


「あの、すみません」

「おう。なんだ?」


 声を掛けられて、店主が返事をした。


「行政局の者なんですけれども」

「役人さんか? 何か用かい?」

「実はですね……職人街二区のムーシック工房さんのところでトラブルがありまして、街全体に影響があるかもしれない――ということで、説明をして回っているのです」

「そりゃあ役人さんにしても迷惑な話だな」


 店主が笑うと、役人は曖昧に苦笑した。明確に口にしてしまうのは、問題があるのだろう。


「それで、ですね……。

 ムーシック工房さんなのですが……」


 役人が言うには、実験用のスタッガークワガタが大量に脱走したらしい。

 数が数なので、街のあちこちで見かけるかもしれない――という話だった。


「可能ならば、工房に連れて来て欲しいそうですが、基本的には捕まえてそのまま飼うのも、処分するのも、見つけた人の自由で構わないそうです」

「えーっと……そのスタッガーって、あれ?」


 話を聞きながら周囲を見渡していたユズリハが指で示すと、串肉屋の屋台の看板よりもやや高い位置を飛ぶ、スタッガーの群れがある。


「……そのようですね」


 役人もどうしたものかという顔をしているのを見て、ユズリハは隠し持っていた、先端が鋭く尖った大人の中指ほどの長さをした鉄串のようなもの――投針とうしんを指の間に数本構えた。


「街中にスタッガーが溢れるのもちょっと気持ち悪いから、少し数を減らそうか」


 彼女の言葉にあわせて、ドラも喉を膨らませる。


 軽くドラとアイコンタクトをすると、ユズリハの手首が一瞬だけブレるように動く。

 同時に、ドラも口の中から鋭く尖った鉱石片を数度吐き出した。


 一人と一匹によって投げ放たれた凶器は、先頭にいた一匹を除いて、そのすべてを打ち落とした。


「お見事」

「嬢ちゃんもトカゲもやるな」


 役人と店主だけでなく、それを見ていた周囲からは感嘆の声と拍手をくれる。

 だが、ユズリハとドラの眼差しは、先ほどよりも鋭く冷たく細くなった。それこそ今しがた放った投針とうしんのようだ。


 野次馬達の中で、その視線の意味に気付いた者もいたようだ。

 二人の攻撃を、明らかに避けたスタッガー。

 その一匹だけは、どうにも動きがおかしい。


 一度、ユズリハの頭上を通り過ぎた後、ぐるりとターンをすると、そのアゴを真っ直ぐにユズリハへと向けた。


「……知能が高い? 仲間をやられて怒ってるのかな?」


 スタッガーらしからぬ動きに、ユズリハが警戒心を高める。

 その動きを見据えたまま、ユズリハは右手で腰のコダチに触れる。


 瞬間――


「――ッ!」


 高速で、スタッガーが突撃してきた。

 それに反応して、ユズリハはコダチを逆手で引き抜くと、抜き放つ勢いそのままに振り上げる。


 ギャギィィィ――ッ!!


 ユズリハのコダチと、スタッガーのアゴがぶつかり合う。

 直後に響いたのは、金属同士が激しく擦れ合うような、不快音。


「みんなッ、離れろッ! 嬢ちゃんの邪魔になるッ!!」


 誰かが叫ぶ。

 おそらく、野次馬に混ざっていた綿毛人フラウマーや警邏の人間だろう。


 わざわざユズリハの邪魔になると口にしたのは、邪魔とだけ言われるだけよりも、理由を添えた方が理解が早まるからだ。

 それに、人を襲う危険なスタッガーなんて言葉よりも、説得力がある。


 瞬時にそれを判断して、人間と鍔迫り合いをするスタッガーという奇妙な光景に戸惑いながらも、即座に出来るフォローをしてくれる姿勢は好ましい。


ァァァァ――……ッ!!」


 裂帛の気合いと共に、鍔迫り合いの状態から強引にコダチを振り抜く。

 どれだけ強靱なアゴとパワーを持っていようとも、所詮はスタッガー。人間とのサイズ差にはかなわない――そう判断してユズリハは、投げ飛ばすように動いたのだ。


 くるくると回りながら吹き飛んでいくスタッガーだったが、恐ろしいことに空中で姿勢を立て直して、こちらに向き直った。


「うあー……向こうより先に、こっちのプライドが真っ二つになりそう」


 平然としているスタッガーに対して、ユズリハが思わず毒づく。

 その光景に驚いているのは、周囲の野次馬達も同様だ。


「おいおい……あれ、本当にスタッガーかよ……?」


 いくらスタッガーのアゴが頑丈で強靱で、甲殻が丈夫だと言っても、それは、同サイズの生き物と比べて――という話だ。

 小柄で非力そうな少女とはいえ、剣を構えた人間と鍔迫り合いをした上に、振り抜かれた刃に吹き飛ばされても傷一つないというのは、いくらなんでもおかしすぎる。


「もしかして、寵愛種ちょうあいしゅか……?」


 空中で羽ばたきながら静止しているスタッガーを見上げながら、誰かが呟く。


「なるほど、寵愛種」


 ユズリハも当然、その言葉を知っている。

 知性や肉体能力などが、同種の他個体よりも優れた存在。


「このスタッガーはその中でも、とびきりなのかも」


 だけどこのスタッガーは、虫の寵愛種としては、少しばかり飛び抜けすぎてる。

 人間――とまではいかなくとも、犬などと同じくらいの思考力は持っていそうだ。

 だとすれば、先ほど共に飛んでいた仲間を落としたユズリハに怒りを向けるのも仕方がないと言える。


 そこまで考えて、ユズリハは苦笑した。


「因果……かなぁ。

 人から怨みを買うような裏方家業からは、だいぶ離れてたんだけど」


 よもや、虫から怨みを買うとは思わなかった。

 結局自分は、そうやって知らずに怨みを買って、命を狙われていくのだろうなぁ――と、自嘲する。

 生きていく為に仕方がなかったとはいえ、人生の半分をそういう仕事に使っていたのは事実だ。

 こういう些細なこともまた、因果なのだろう。


「ドラちゃん、邪魔しないでね。

 買われた怨みは、ちゃんと返品拒否しないと」


 横でどうやって加勢しようと考えている様子だったドラに、少し離れてて――と告げる。

 思いこみだろうがなんだろうが、この闘いは、自分が決着をつけないといけない気がしたのだ。


 軽く顔を上げて、真っ直ぐにスタッガーを見据えながら、ユズリハは握った左手を口元へと持って行く。

 口元で、人差し指と中指を立てた左手に、逆手にコダチを持った右手を付けた。


「さぁ、おいで。寵愛種のスタッガーさん。

 貴方の怨みにつき合うわ。だけど、きっとそんな怨みごと――貴方を断ってしまうだろうから、今のうちに謝っておくよ」


 通じるかは不明だが、ユズリハはそう告げて、意図的に呼吸の仕方を変えていく。

 幼い頃に叩き込まれ、生き延びる為に必死に取得した、闘式呼法とうしきこほう。マナとは別種の力を使うための前準備。


青纏せいてん


 詠唱コールはいらない。この技術に必要なのは、葉銘ワーズだけだ。


 葉銘ワーズを口にするのと同時に、ユズリハの身体が青い光に包まれていく。

 これはユズリハが纏衣てんいと呼称している技だ。

 光を纏っている間、自身の身体能力の全てを底上げする効果を持っている。


「なんだあれ……花術フーラ……なのか?」

「違う。似てるが――確か、葉術フィーユスっていうまったく別系統の戦闘技術だ」


 野次馬さん、解説ありがとう――ユズリハが胸中でうそぶいた直後、ユズリハの……いや、その場にいた全員の表情が驚愕に歪んだ。


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 葉術に関しては、本編内でそのうちちゃんと解説しますので、それまでお待ちください。

 今は気合いでパワーアップする系のスキルなどと思って頂ければ。

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