011:旅立たない理由
職人区のど真ん中、外壁門の一つから中央広場までを一直線に繋ぐ大通り――ガーベラストリートの終端にほど近く、街の住民達の憩いの場にもなっている中央広場ことリリサレナ広場からもその看板を見ることが出来る場所に、この酒場はあった。
酒場にしては大きい二階建ての建物。その二階部分は
また昼時には食堂として店を開けている為、どんな時間に来てもわりと賑わっている店だ。
「……って、ワケなんだけど」
「がははははははッ!」
山賊や海賊のボスを思わせる風体の、この店のマスターが豪快に爆笑する。
「もぅ……そんな笑わなくてもいいじゃない」
ユノがやや遅めの昼下がりにやってきた理由を口にすれば、マスターの態度はこれである。
実験の失敗と、ここに来る途中に遭遇したアフロの男。
その話は、マスターの笑いのツボをおおいに刺激したようだ。
「いやぁ、すまんすまん」
「笑い過ぎよ」
ほっぺたを膨らませながら、ユノは無理言って出してもらったランチセットのソーセージを口に放り込んだ。
「笑いついでによ、思い出したんだが……少し前にも、店の入り口を爆破したとか言ってたろ? 腕の良い大工探してたよな?」
「……無事に見つかって直してもらったわよ」
「どうしてそうなったんだ?」
「…………」
黙秘するユノに、横で同じくランチセットを食べていたユズリハが答えた。
「実はね――」
そうしてユズリハが、トーマスと一緒にユノをからかった話を終えれば……
「がはははははははははッ!!」
マスターは大爆笑してみせる。
「本当に笑いすぎよ、とーさん」
「いいじゃねぇか」
厨房から出てきた娘のカルーアにも怒られるが、マスターは気にした様子はない。
その姿に、カルーアはごめんねと詫びを口にしながら、ユノの前にホットミルクを置いた。
それでも、ユノは機嫌は直らないようだ。
困った顔をしながら、カルーアはユズリハのところにも、ホットミルクを置く。
「むぅ」
ふんわりと緩いウェーブを描く長いピーチブロンドを揺すカルーアをじーっと見つめながら、ユズリハがうめく。
「ユズちゃん?」
「何度見ても、たゆんたゆんで、ばいーんで、ぼいーん……」
「どこ見てるのよ、もう」
照れるのでもなく赤くなるでもなく。呆れたような笑みを浮かべる。
線の細い華奢な雰囲気の美人だが、酒場の看板娘だ。多少のセクハラではビクともしないらしい。
「髪の毛のふわふわ具合と同じくふわふわしてそうな抱き心地……それを確かめる為に、今度抱きついてもいい?」
「だめ」
にべもない。
「なぁ二代目。ユズ嬢ちゃんって大丈夫なのか、色々と」
「さぁ? それより娘へのセクハラは咎めないの?」
「その辺の空気読めないバカなら咎めるけどな。
そういうサジ加減みたいの、分かってやってる分にゃ問題ねぇな」
「まぁ確かに。やっても後腐れなさそうな相手にしか、してない気もするわ」
そういう意味では、接客も含めてユズリハの会話術は高いと言えるだろう。
接客業だからという理由で営業スマイルこそ浮かべるが、本来は親しくない人と接するのが苦手なユノとしては助かっている。
「それにしても二代目も意外と女の子らしいコトを気にしてたのね」
ユズリハのセクハラ発言を適当にあしらいながら、カルーアはユノへと笑みを向ける。
「ちょっと、カルーア。意外に女の子らしいってどういうコトよ?」
それをユノは半眼で返す。
すると彼女は、ユノの横にいるユズリハに視線を向けた。
「だって」
「ねぇ」
それにユズリハもうなずいた。
ミルクを飲んで一息つき、ユズリハが告げる。
「ユノの
「そうねぇ。それ以外のコトには興味ないと思ってたわ」
「ああ。言われてみればそうだな」
それに続いて、カルーアとマスターからも畳みかけるように言われる。
「アンタ達はッ、あたしを何だと思ってるのよッ!」
それに、三人は顔を見合わせてから口々に答えた。
「才能あふれる
「
「天才なのは確かだが天災でもある。あと
言いたい放題の三人。
「アンタ達はぁ……ッ!」
「でも、実際問題――ユズちゃんが居候する前は、身だしなみとかいい加減だったでしょう?」
「……ぐっ」
カルーアの指摘に、ユノは詰まる。
ユズリハが居着く前は、師匠やカルーアが時々手入れをしていたくらいだ。
むしろ、時々手入れをしてもらわなかったら――それこそ食事も睡眠も取らず――
「そもそも、少し前だったらそうやってからかわれたところで、別に気にしなかったんじゃないかしら?」」
「確かになぁ……相変わらず素っ気ねぇコトは多いが、感情や表情は、豊かになってきてはいるな」
マスター親子は、先代に押し掛けて弟子入りしたばかりの頃からの知り合いだ。
そんな二人にこんなことを言われると、なんと言い返せば良いのかわからない。
「私がユノと出会った時は、すでにこんな感じだったけど、違ったんだ?」
「まぁな」
マスターがちらりとユノに視線を向ける。
その視線に対し、ユノは好きにしろと言わんばかりにぷいっとそっぽを向いて、ランチのスープを啜った。
「少し前の嬢ちゃんはなぁ……今と同じ花学バカではあったんだが――そうだな、花学を命綱にしていたって感じか」
パンをちぎって口に運びながらユノがマスターの言葉を補足するようにうなずいた。
「否定はしないわ。今だって花学に触れられている間は、
ホットミルクで口を湿して続ける言葉は、マスターは苦笑を浮かべ、カルーアとユズリハをぎょっとさせる。
「今のところ、花学があるから、旅立たない理由になってるだけよ。
あたしは花学への興味がなくなったりしたら、もう
ほかに興味を持てるものが見つからないなら、幻蘭の園へ旅立たない理由はないわね」
自分が花学を楽しむには、自分が存命していなければならない――だから、まだ死なない。それだけである。
「先代は、楔の一つだったのか?」
「そうね。そうだったかもしれないわ」
ユノの肯定は、
同時に、幻蘭の園へと旅立ってしまったことを、悔やんでしまう言葉だったかもしれないが。
「ねぇカルーア」
「なに?」
ユノとマスターのやりとりを見ていたユズリハが、カルーアに真面目な顔を向ける。
胸元で握り拳を作るユズリハが、カルーアへと告げた。
「私たちもユノの楔になろう」
「あら、いいわね。でも、ユズちゃん的にはユノちゃんを独り占めしたいんじゃないの?」
「
「……それがあったらどうしていたのか……って、たらればを聞くのが怖くなる返答ね」
ユズちゃんもだいぶ歪んでいるような――と、脳裏に過ぎったカルーアだったが、
「二人とも暇人ねぇ……まぁ、精々がんばってみなさい」
ユズリハとカルーアを見ながら、当人は他人事のような調子でそう言うと、サラダを口へと運ぶ。
(あの旦那が死んじまった時にはどうなるもんかと思ったが……この様子じゃ、問題はないかもしれねぇぜ、旦那)
子供たちの様子を見ながら――マスターは声にも顔にも出さず、胸中で小さな笑みを浮かべるのだった。
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本編ではマスターで通しちゃうので、あんまり本名に出番の無さそうですが、彼の名前はコアン・キュールって言います。特に覚えておかなくても平気ですので、気軽にマスターって呼んであげてください。
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