第74話 婚約指輪
夕暮れ前にカルロスとシリル、アシュトンが狩りから帰ってきた。
大きな鹿を従者が抱えている。カルロス達の機嫌は良く、お互いをほめたたえていた。
「お父様、狩りはいかがでしたか?」
「ああ、シェリー。上々だったよ。アシュトン様が鹿を仕留めたんだ。アシュトン様は、狩りがあまり得意ではないとおっしゃっていたが、上手なものだった。さすが、クラーク子爵の息子だ」
「運が良かっただけです」
アシュトンは恐縮して頭を下げた。
「一日早ければ、夕食に鹿を出せたのだが……残念だ。明日クラーク子爵たちが持ち帰れるように、鹿をさばいておくよう料理長に伝えておこう」
それを聞いたシリルはカルロスに言った。
「よろしければ、半分はホワイト辺境伯に差し上げたいのですが。鹿を見つけたのはホワイト辺境伯でしたし」
シリルがそう言うと、カルロスの表情がにこやかにほころんだ。
「実は、私は鹿肉が好きなのです。お言葉に甘えていただくことにしましょう。まったく、いまからでは鹿肉の調理が今日の夕食に間に合わないので、残念でありません」
執事がカルロスの言葉を聞き、料理人に鹿肉の処理をするよう指示した。
カルロスはクラーク子爵とアシュトンが汗を流せるよう、執事に風呂の準備を急がせた。
「食事はもうすこし後の時間にしましょう。風呂の準備が出来るまで、おくつろぎください」
カルロスの言葉を聞き、シリルとアシュトンは部屋に戻ろうとした。
立ち去りかけたアシュトンにシェリーが声をかける。
「アシュトン様、危ないことはされませんでしたか? 馬は怖くありませんでしたか?」
心配そうに尋ねるシェリーに、アシュトンは苦笑して答えた。
「シェリー様、大丈夫ですよ。意外かもしれませんが、馬に乗るのは慣れていますから」
シリルとアシュトンが部屋に戻り、すこし時間がすぎた。
ゲスト用の入浴の準備ができたころ、カルロスもかるく汗をながすと言って応接間を後にした。
先に入浴をすませていたシェリーとグレイス、クラーク子爵の妻のシンディーは、たわいのないおしゃべりをしていた。
「アシュトンは外遊びよりも読書の方が好きな子ですけれど、馬に乗るのは得意なんですよ」
シンディーがグレイスとシェリーに言った。
「そうなんですか? シェリーは知っていたの?」
「あまり意識をしたことはありませんでしたけれども……言われてみればそうかもしれません」
シンディーが付け加えるように言う。
「森の奥や、鉱物のとれる山のふもとに馬で遊びに行くことも好きなようです」
「そうなんですか」
シェリーはアシュトンの意外な一面を知り、驚いた。
男性たちが風呂から出て部屋着に着替えて応接間にやってきた。
皆がそろっているところに執事が声をかけた。
「そろそろ、お食事の用意が整います」
「そうか、では食堂に行こう」
カルロス達は食堂に移動した。
それぞれが食堂の席に着くと、食前酒と前菜が運ばれてきた。
「おや? これは……?」
カルロスが給仕に尋ねていると、奥から料理長が出てきてカルロス達に説明した。
「鹿肉のタルタルでございます。立派な鹿でしたので、夕食にお出ししたいと思いまして」
「それは嬉しい心遣いだ。これでクラーク子爵とアシュトン様も一緒に食べられる」
カルロスは上機嫌で料理長をほめた。
赤ワインがグラスに注がれ、食事が始まった。
「うん、良い味だ」
カルロスが鹿肉のタルタルを食べて頷くと、シリルも笑顔で頷いた。
「美味しいですね」
グレイスがシリルに話しかけた。
「クラーク子爵もアシュトン様も、婚約の手続きに狩りにと、お忙しかったでしょう? お疲れではありませんか?」
「いえ、大丈夫ですよ。なあ、アシュトン」
「ええ。いろいろとお気遣いいただき、心地よく過ごさせていただいております」
シリルとアシュトン、シンディーが改めて感謝の意をカルロス達に伝えると、カルロス達は「楽しんでいただけたようで良かった」とホッと胸をなでおろした。
「それにしても、森も草原も立派で感動いたしました」
シリルが言うと、カルロスはちょっとだけ得意げにほほえんだ。
「まあ、広いだけが取り柄の領地ですがね」
「いえいえ。緑も豊かでしたし、鹿もウサギも何度も見かけましたし、りっぱな森で感心
いたしました」
シリルは狩りの様子を思い出したのか、ふう、と息をついてからにっこりと微笑んだ。
「狩りは久しぶりでしたが、運よく鹿を仕留めることが出来て良かったです」
アシュトンの言葉を聞いてシェリーが言った。
「狩りってそんなに楽しいのですか?」
「森の中を馬で走るのは、気持ちが良いですよ。獲物をしとめた時は、達成感がありますね」
「アシュトン様にもそんな一面があるのですね」
シェリーの目が丸くなるのを見て、アシュトンはいたずらっぽく微笑んだ。
「それにしても、もう明日にはお帰りになられてしまうなんて寂しいですわ」
グレイスがシンディーに言った。
「半年もすれば家族になるのですから、寂しいなんておっしゃらないでくださいませ」
シンディーが言うと、グレイスが「そうですね」と頷いた。
食事を終えると、カルロスとシリルは広間で食後の甘いワインを楽しみながら、今後のことを話し合っていた。
シェリーはなんとなく中庭にでると、アシュトンがついてきた。
「シェリー様、短い時間ですが一緒に居られて楽しかったです」
「私もです」
シェリーはアシュトンに何か言おうとしたが、ちょうどいい言葉が見つからなかった。ただアシュトンの目を見つめて、もう一度、「私もです」とだけ言った。
アシュトンはシェリーの左手を取り指先に口づけしてから、その薬指に、プラチナの指輪をはめた。
「まあ、これは?」
「婚約指輪ですよ」
「私の指にぴったり合っています。いつ、サイズを測られたのですか?」
シェリーが驚いてアシュトンを見つめると、アシュトンは何も言わずに微笑んでいた。
「私にも、指輪をはめていただけますか?」
アシュトンはもう一つの指輪をシェリーの手の中に置いた。
「ええ」
シェリーは細い指先で、アシュトンの左手を取り薬指に指輪をはめた。
「おそろいですね」
「ええ」
二人は指輪を月明りにかざした。
プラチナの上品な輝きを見て二人は微笑み見つめあうと、静かに口づけを交わした。
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