第72話 誓約書

 朝食はつつがなく終わった。


 カルロスとシリルが談笑し、グレイスとシンディーが結婚式について言葉を交わしていた。アシュトンとシェリーは時々目が合うと微笑みあったが、特に話はせず、両親の話に相槌を打つ程度だった。


 食堂を去る前にカルロスが言った。

「そろそろ婚約のための書類の準備をしよう。クラーク子爵、アシュトン様、準備が出来たら召使が声をかけますから少し待っていてください。シェリーも、書類にサインをしなくてはいけないから来るように。書類の準備が整ったら、執務室でお会いしましょう」

 カルロスは会釈をして、執務室に向けて歩き出した。


 シリルとアシュトン、シェリーは食堂に残り、雑談をして呼ばれるのを待った。

「アシュトンがこんな立派な家の一員になれるとは、思いもしておりませんでした」

「シリル様、こちらこそアシュトン様のような立派なお方が家族になってくださるなんて……とても幸運です」

 シェリーが言うと、シリルはにっこりと微笑んで頷いた。すこしえくぼが出来るシリルの笑顔は、アシュトンと似ているとシェリーは思った。


「ところでシェリー様は何故、我が国へ遊びに来たのですか? お父上のお使いでしょうか?」

「ちょっとした冒険をしてみたくて、父の用事にかこつけてトラモンタ国との境界の村に行ったのがきっかけです」

 シェリーは素直に答えた。アシュトンが困ったような顔で笑って言葉をつなげる。


「ジルがシェリー様を見つけたんですよね。あれ以来、危ないことはしていませんか? 少し心配です」

 アシュトンがシェリーの目を見つめる。アシュトンの瞳の中に自分の姿が見えるほど顔を近づけられたシェリーは赤面して顔を背けた。


「していません。ご心配はいりませんわ」


 シェリーはごまかすように窓から外を眺めた。日の光が眩しい。


「皆さま、執務室へご移動ねがいます。カルロス様がお待ちです」

 執事がシリルとアシュトン、シェリーに声をかけた。

 三人は執事の後について執務室へと向かった。


 執事が執務室のドアをノックし、カルロスに声をかける。

「皆さまをお連れいたしました」

「お待ちしていました」


 執務室の大きな机の上には、書類が何枚か並べられていた。

「シリル様、アシュトン様、左の書類から順に確認とサインをお願いいたします」

 書類を読み、頷くシリルとアシュトン。カルロスがふと、アシュトンに問いかけた。

「我が国とトラモンタ国が争いを起こした場合、アシュトン様には家族や友人と敵対しなくてはいけない状況になるかと思います。覚悟はできていますか?」

「……承知しております」

 アシュトンの真剣な表情を見て、シェリーは絶句した。シェリーの顔から血の気が失せる。


「私ったら……そんなこと、考えてもいなかったわ。なんて浅慮だったのでしょう……。アシュトン様はトラモンタ国のものをすべて失う覚悟で、私と一緒になるとおっしゃってくださっていたのですか?」


 涙を浮かべたシェリーがアシュトンに問いかける。アシュトンは穏やかな笑みを浮かべたまま「気にすることはない」と言う代わりに首を小さく縦に振った。シェリーを力づけるように、アシュトンはその大きな両手で、優しくシェリーの震える手をそっと包み込んだ。


 養子縁組と婚約誓約書にサインをしているシリルとアシュトンを、カルロスとシェリーは静かに見守った。

「さあ、婚約誓約書にサインをしなさい、シェリー」

 シェリーは最後の空白に、自分の名前を記入すると書類をカルロスに渡した。


「ありがとうございました。これで書類を教会に出せば、婚約は正式なものになります。皆さん、これからもよろしくお願いします。私は教会に書類を届けに行きます」

 カルロスは執事に外出の準備を言いつけると、皆にそれぞれ部屋を出て自由にしているように言った。


 執務室を出ると、メイドがアシュトンとシェリーに声をかけた。

「ドレス職人が来ました。採寸の件だそうです」

 シェリーが答える。

「今行きます。アシュトン様、ご一緒におねがいします」

「分かりました」


 シェリーとアシュトンはドレス職人のバリーが待つ、広間に向かった。

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