信念
「……今の声は、エリザベスくんだね」
カイさんは僕が背負っている杖を睨みつける。絵面的に睨まれているのは僕だが、彼女の怒りの矛先はベスに向いているのだ。
「断るというのは、『
「そうじゃ。儂は手を貸さん」
ピクッと、カイさんの右目が動く。素気ない対応を続けるベスに対し、怒りゲージが貯まってきたらしい。
「おい、ベス。とりあえず杖から出てきてくれ」
「なぜじゃ。杖への出入りも魔力を使うから、今は控えておきたいんじゃがの」
「お願いだから」
このままでは、カイさんがいつ暴れ出すかわかったもんじゃない……そして当事者がこの場にいなければ、僕が被害を受けるのは明白だった。
あの机よろしく、無残な肉片にされてしまうのはごめんだ。
「仕方ないのぉ」
僕の意図を汲んでか汲まずか、渋々といった感じでベスが杖から出てくる。紫の髪に寝癖がついているのは、寝起きに嫌々登場したアピールなのだろうか。
「……それで、エリザベスくん。どうして私たちに協力してくれないのかな」
「潰す理由がないからじゃ。闇ギルドか正規ギルドか知らんが、冒険者はやりたいように生きるだけ……あのラウドとかいう男も、じゃから好きにやらせておけばいい」
初めて会った相手の名前を憶えているということは、ベスは彼の実力を認めているということだ。気に入った人間に対しては甘い奴だし、ラウドさんを倒す気になれないのかもしれない。
「この前の銀髪や元勇者は、明確な敵意と殺意を持っておったから叩き潰したまでじゃ。こやつに危険が及ばないなら、儂は動かん。むしろ、動くことで逆に危険になる」
「その理屈は随分独善的だね。確かに現時点で君たち二人に被害は出ていないが、ラウドを放置すれば何らかの不都合が出てくるよ」
「それはそうなった時に対処すればいいだけの話じゃ。とにかく、儂はわざわざギルドを潰すために力を使うことはしない。ラウドたちが悪じゃと思うなら、そう思う連中だけで何とかしろ」
ビックリする程綺麗な平行線だ。
ベスは僕に危険がない限り力を使わないと主張し、カイさんは問答無用で闇ギルドを討伐すべきと主張している……両者の折衷案をとるなら、僕がラウドさんに襲われればいいのだけれど、そんなことは御免こうむりたい。
「私の権限で、クロスくんを強制的に『破滅龍』掃討の任務に就けることもできるのだよ。そしたら、君も動かざるを得ないだろう」
僕の願いも空しく、カイさんは御免こうむりたかった折衷案を提案してくる。まあ最初から協力する気ではいたし、任務に就けというなら従うしかないが……本音を言えば、あくまで外野から手を貸すくらいのイメージで手伝いたかった。
「はん。そんなことをすれば、儂は特別公務メンバーをやめるぞ。そして泣き落としでも何でもして、こやつにも公務員を辞めさせる」
しかしベスは一歩も引かない。それどころか、僕に公務員の地位を捨てさせてまで拒否するという。
こいつにしては珍しく強情だ……強者と戦いたい気持ちは人一倍あるはずなのに、どうしてここまで頑ななんだろう。
「……なぜそこまで拒むんだい。確かに危険はあるだろうが、喰魔のダンジョンに潜るのだって同じことだろう」
「重要なのはそこではない。儂はな、お前ら役人が冒険者の自由を押さえつけるのが許せんのじゃ」
吐き捨てるように言って、ベスはカイさんのことを睨み返した。
二人の間に、火花が散る。
「ギルドに正規も闇もない。少なくとも三、四百年前には、そんなくくりは存在しなかった。みなが自由に生き、自由ダンジョンに潜り、自由に争い合っていた。秩序こそなかったが、己の責任で冒険をしていた。弱ければ死に、強ければ生き残る……それが冒険者というものじゃ」
「生憎、もうそんな時代ではなくなったんだよ。今は法があり秩序がある。弱き者は無条件で守られ、強き者は他者を守る義務がある時代だ」
「そんなこと儂には関係ない。例えラウドがこの先何百人と人を殺したとしても、それはあやつの自由じゃ。それを止めるのもお前の自由じゃ。じゃから、勝手に自由にやっておれ」
「……やはり、君とは根本的な考え方が違うようだ、エリザベスくん」
ベスの不遜な態度を受け、ついに怒りが頂点に達したかと思ったが……以外にも、カイさんは冷静な表情でそう呟いた。
「確かに、君の言いたいこともわかる。世界に国という概念ができるまでは、ギルドや冒険者は自由に生きていたと聞く。魔法という暴力が誰の手にも平等に与えられている以上、個人の責任と自由が重んじられるのは当然だ。力さえあれば何でも思い通りにできる……そういう発想になるのは自然の理だ」
逆に言えば、もしこの世界に魔法がなかったら……僕たちはきっと、互いに助け合って生きていくしかないのだろう。個人の自由を制限してでも、何らかの権力の元で庇護を受けるしかない。
「誰もが自由な世界……一聴すると素晴らしいが、しかしそれでは弱者が生きていけない。魔法を自由に使い、個人が好き勝手に力を振るえる世界では、弱き者は淘汰されてしまう……それを防ぐために国ができた。法ができた。罰が生まれた。秩序が形成された。冒険者たちを制御し、力を抑制することで、弱き者に生きる自由を与えたんだ」
カイさんは静かに、だがハッキリとした意思を込めて語り掛ける。
それはまさに――彼女の信念。
「各地のギルドが一斉に反旗を翻せば、この国など簡単に滅びてしまう。だからこそ、闇ギルドの存在を許してはならない。奴らの無法を、自由を許してはならない。魔法を盾に取って、法を破ることを許してはならない。私は弱き者たちを守るため、この国を守らなければならない」
以前、彼女は言っていた。
最も許せないのは、未来ある子どもに絶望を与えることだと。
子どもは弱者でもあり。
未来につながる――希望でもあるのだ。
「エリザベスくんが封印される前に生きていた自由な世界を否定する気はない。だが、これだけは言わせてくれたまえ。私は、弱き者が生き残れる世界こそ、正しい世界だと思うんだ。そんな世の中を作ることが、魔法という暴力を持って生まれた私たちが為すべき使命だと思っている」
カイさんの瞳は。
まっすぐ――ベスを捉える。
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