第10話 旅路の空気

黒の黄金ブラックゴールド


それは王女アーシェの、誰も知らない二つ名だ。


ん? どうして誰も知らないのかって?

それはもちろん、今つけたからに決まってる。金は美しい髪と目を。そして黒は——勤務の実態を示すのだ。


ブラック経営ゴールド王女。彼女に言われ、馬車ひとつぶんの荷物を背負わされた暴風おれは、よろよろと旅路を急いでいた。長くて長い上り坂。墓掘りで鍛えた濃密な風が、積荷の重さをどうにかこうにか支えていた。


「ほらお師さまぁ、早く早くー!」

「……無茶言うなって……お前もちょっとは持ったらどうだ?」

「無茶言わないでよぉ! ボクは微風そよかぜ! 重いのなんて持てるわけないじゃん?」


先を行くマルテがころころと笑う。背中にはアーシェが持っていた背嚢を背負っている。当のアーシェは小さな鞄と水袋、煌めく宝剣だけを腰につけて、たいそう身軽な装いだった。


旅の仲間——つまりは、大荷物持ちそういうことだった。


「うーん! やっぱりすごいね、【暴風ドラルア】くんは! 気は優しくって力持ち! これなら、夜までには着けそうだわ!」

「はぁ……まったくさ、調子いいなあ……。着くって、どこに?」

「ちょっと待ってね……ほら、見えてきた!」


アーシェは軽快にくるりとステップを踏み、長い上り坂の終着点に躍り出た。一足遅れて幼きマルテ。さらに遅れて、ようやく俺も、坂の向こうの景色を見た。


「うっわあー! すっごーい!! 見て見てー!」

「ちょっと待てって——うわ……すっげ……。」


それは煌めき。

大空を呑み込み、どこまでも続くかのような果てなき水。

王女はふわりと両手を広げた。


「ふっふーん。すごいでしょ? ようこそ、始まりの大河——ラトリンへ!」


坂の向こうに俺たちは、滔々と溢れる雄大な流れを見下ろしていた。


*****


大河の岸辺に栄える街——交易都市ウラトリアの路地裏に、三人の男が立っていた。大、中、小の三人だ。


埃に汚れた着崩した旅装。濁った目つき。マントに隠した無骨な凶器。その誰もが、どう見ても普通の旅人には見えなかった。


「おぉい、ヴォルよぉ。……間違いねぇのか? その情報。」

「へい、そうでさぁ。確かな風のウワサでやんす。」


中背の男が、小さな男にひそひそと話す。しきりと辺りを気にしていた。大男が不意に大声を上げる。


「おぉーなか、すぅーい……」

「しぃーっ!!……おぅおぅ、チョルよぉ、黙ってろぉ! 仕事が済んだら、後でたらふく食わせてやるからよぉ……で、なんだっけ。確かなんだな? 亡国の姫さま——あの『黄金姫ゴールディー』がこの街に?」

「そうなんでさぁ。金目に金髪。マントの裾から、たいそうな剣が見えてたそうですぜ。それから……なんか、子供連れとか? しかも、小せえガキが二人。」


二人は顔を見合わせて、にたりと下卑た笑いを浮かべた。


「孤児かなんかかぁ? 子供が趣味たぁ、まったく、貴族サマは変態ばっかだなぁ?」

「こど、もぉ……おぉー、やつ……ううぅ?」

「うるせぇ、チョルぅ、干し魚これでも食ってな! ——げへへ、まったく、そうでさぁねぇ、金持ちってやつは……! それで、ニャル兄ぃ……どうするんで?」


ニャルと呼ばれた長兄は、んん? と眉をひそめると、数秒ほど考えるそぶりを見せる。リーダーたるもの、考えるポーズは必要だ。たとえ考えていなくても。


「そうさなあ……ガキかぁ。使えるぜぇ。こういうときは、単純シンプルに行くのが一番だろぉ?」

「さすがはニャル兄ぃ! 単純シンプルっていうと、あの手でやんすね?」


長男は、思わせぶりに頷いた。

あの手というのは、いつもの手であり、唯一の手。

単純ではない手段など、そもそも考えつかない三人だった。


「そのとおりだぁ。誘い込んだら合図しろぉ。」

「了解でさぁ。……それじゃ、ちょっくら行ってきますぜ。」

「むしゃむしゃぁ……にいちゃん、おぉみやげ、よぉろしくぅう……」


小男は、足音もなく歩いて人混みの中へと姿を消す。

残された二人は、逆の方向——都市のさらなる暗がりに向けて進んでいく。

川から流れたひとすじの風が、誰もいない路地を静かに吹き抜けていった。

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