39 魔法使い
エミィを脱ぎ捨てやってきたのはステージ裏。即興で作られたステージとはいえ、しっかりと出演者の楽屋っぽいものまで作られていて野外フェスみたいに本格的だ。いやフェスなんて行ったことないけど。
リンエに案内された物置のような簡易楽屋に入ると、中にいた四人の男子生徒が一斉に立ち上がった。
「ゾーイ! 来てくれたのか!」
スキンヘッドの男子生徒が瞳を輝かせて俺の手を握りしめる。声が苦しそうにガラガラと音を立てていたので、恐らくこの人がダンテだ。確かに、ノイズ音が乗っかっちゃってるくらいに声が掠れている。
髪型のせいか、ダンテの顔がここにいる誰よりもハッキリと見える気がした。
綺麗な形をした瞳は確実に俺よりも大きく、武士の如く精悍な顔つきをしている。
「はい。あの、本当にわたしで大丈夫でしょうか?」
彼の勢いに圧倒されつつも再確認をしてみる。一応、本人たちの口からも聞いておかないと。
「もちろん。君の歌声は知ってるし。不足なしだ」
「そっか……よかった」
ダンテは俺の手を離してバンドメンバーに向き直る。
「皆、話してたゾーイはこの子だ。クラスでも俺の次くらいにいい声をしている。曲はゾーイの希望を聞いてやってくれ」
「了解」
三人のメンバーは俺に手を振りながら返事をした。
曲。そうだ、曲、どうしよう。
ステージから見える光景のことしか考えてなくて大事なことを決めていなかった。
俺が知っている歌っていえば限りがある。最近だとパーティーでの演奏をきっかけに”if you wanna”の曲をよく聞いているけど。歌詞も覚えているし、彼らの歌を選んだ方がいいよな?
うーん、と悩む俺を見て、リンエがとんっと肘で腕をつつく。
「ゾーイ、本当にありがとう。急にお願いしちゃってごめんね」
「ううん。大丈夫だよ。それより、曲どうしようかなって……」
「ふふ。なんでも大丈夫だよ。普段はダンテもギターを演奏しているみたいで、今回は歌わないけど楽器は演奏するってさ。だから、ゾーイは歌うことだけを考えれば大丈夫」
「うん。へへ……やっぱり緊張するね」
「大丈夫。ゾーイ、私たちが見てるから。怖くなったら、私たちのことだけを見ていればいいよ」
「うんっ!」
リンエの言葉が心強い。そうだ。ジアやリンエも観客の中にいるのだ。なら、そんなに怖くないはず。
「ありがとうリンエ」
そう思っているのに。徐々に指先は冷えていくし、身体の芯が微かに震えていく。
俺は演奏して欲しい曲をメンバーに伝え、一度外の空気を吸おうと楽屋を出た。
「はぁ……」
怖いって思ったらもうそれしか考えられなくなるから駄目なのに。
バンドメンバーと会話をすると、ようやく実感が湧いてきて緊張がぶり返してきた。
別にオーディションでもないし気負わなくてもいいはず。でもやっぱ、頼りにしてくれたバンドメンバーの期待に応えたいというエゴが顔を出す。
今のところステージの発表はどれも好評で客席は盛り上がっている。
ここで盛り下げちゃったらどうしよう。チア登場前に客席を冷えさせたらきっと、チアのリーダーに怒られるだろうな。
「うう……」
怖。チアサークルに睨まれたら、これまでの俺の努力も水の泡だ。
頭を抱えてガシガシと髪を乱す。どうしよう。色々と余計な感情が渦巻いてきた。忘れろ、忘れろ、忘れろ。
いくつかの物置が立ち並ぶ前で呻き声を上げる。今、観客を沸かせているのはタップダンスサークルだ。軽やかな曲が耳に流れてきて、情緒はどんどん不安定になっていった。
「ゾーイ、何してるの?」
すると立ちすくむ俺の前に一つの影が伸びる。
「……ダレン?」
顔を上げればダレンがいた。中途半端な位置にいる俺のことを不思議そうに見ていた。
そういえばダレンは出演者たちのメイクをするために中央ステージにいると言っていたな。
次の発表はパントマイム。ダレンの向こうにあるステージ脇を見やれば、そこにはばっちりメイクをしたピエロが立っていた。
「わたし、バンドのボーカルをやるの」
「え?」
ダレンに視線を戻した俺は、迷うことなくダレンに不安をぶちまけた。
「でも、引き受けたけど……すごく不安で……。急に怖くなってきちゃった。怖がってる場合じゃないのに。情けないよね。怖くて怖くて足が震えちゃう。声が出なかったらどうしよう」
身体が冷えているのか寒い。俺はがくがくと唇を震わせた。
「バンドの皆に恥をかかせちゃうかも。わたしのせいで……」
すらすらと、躊躇うこともなく素直な気持ちが口から出ていく。こんなに言うつもりはなかったのに。自分の中に収めて、自分なりの解釈を見つけてどうにか落ち着こうと思っていたのに。
けれどダレンの顔を見た途端、不安を言いたくて堪らなくなった。
気持ちを一方的に押し付けているから、迷惑かもしれないのに。
ダレンは俺の吐露を聞き瞬きをする。ああやっぱり。急にこんなこと言われても困るよな。
「……ごめ」
謝ろうと声のトーンを落とす。が、最後まで言う前にダレンがごそごそと手に持っていたポーチを探る。
「これ」
ポーチの中から取り出したのはリップだった。
「うん?」
黒のキャップで閉じられたリップを俺に見せるように顔の前に出し、ダレンはクスリと笑う。
「まだ発売前のリップ。夏休みに知り合った講師にこの前貰ったんだ。だから関係者以外、まだ誰もこのリップをつけたことはない」
「……うん」
淡々とリップの説明をするダレン。俺はただ頷くことしかできなかった。
「誰も使ったことがないから、このリップの魅力も、まだ世間には知られていない」
ダレンがキャップを外し土台をクルクルと回すと、ピンク色のリップの頂点が太陽の光に輝いた。
「でもこのリップが発売された途端、俺はちょっとした流行になると思ってる。試しに先生が使っているのを見た時、そう確信した。ラメが入ってるんだけど、今売ってるものよりも圧倒的に見栄えが良くなるから」
ダレンは手の甲に少しだけリップを這わせ、俺に見せてくれた。
彼の言う通り、きらきらと輝くシルキーなピンクは、派手すぎず大人しすぎず、それでいて上品な色をしている。艶やかで滑らかな発色。これをつけて微笑めば、誰もがどこかの令嬢に見えるだろう。
「ゾーイ。俺は君の歌を聴いたことないけど、多分、このリップと同じ」
「……え?」
「聴いたら誰もが虜になるよ」
「へっ…………!?」
ダレンは微かに口角を上げ、頬を和らげた。
ちょ、ちょっと待って。
これは不意打ち。それはずるい。
バクバクバクバクと、どきどきを超えて心臓が射抜かれた。もはや砲撃。
いや落ち着け。取り乱すな。そもそもどうしてこんなに打撃を受けているんだ?
しかもそんなこと言われたら、余計に緊張するような……!
「う、嬉しい、けど、そ、そこまでじゃ、ないよ?」
どもりながら反論する。が、顔はふやけてはにかんでしまう。
「そう?」
「うん!」
何を自信たっぷりに返事しているんだ。
情けなくてハッと目を見開く。
「……ゾーイ、このリップ、つける?」
「え?」
ダレンは俺の挙動不審な表情の変化を気にもせずにそう続ける。
「お守り代わり。に、なるのか分からないけど。立場は同じだから」
「……う。なるほど」
悪くない提案だ。
それに、これだけ魅力的なリップをつけたら少しでも自信になるかもしれないし。
「使ってもいいの?」
「うん。もちろん」
ダレンからリップを受け取ると、彼はすかさず鏡を出してくれた。
「ありがとう」
鏡に向き合ってリップを唇に運ぶ。
「ブラシ使う?」
「うう……」
ブラシを使った方がいいのか分からない。
というか、そもそも手が震えて、何を使おうと唇を上手く彩れる気がしない。
やっぱりダレンは器用なんだろうな。いつも正確な彩を与えてくれるダレン。改めて彼のことが羨ましくなる。
「ゾーイ、貸して」
ぷるぷると震える手があちこちに行くのを見かねたダレンが手を伸ばす。
「俺が塗るから」
ダレンにリップを渡せば、彼は慣れた手つきでリップブラシに色を移す。
「はい。じっとして」
「うん」
鏡を俺に持たせ、ダレンは正面から俺の唇へとブラシを向ける。
ブラシの先端が唇に触れると少しだけくすぐったかった。
ブラシの向こうに見えるダレンの表情は真剣だった。メイクをするときはいつもそうだ。目の前のものしか見えていない。そんな眼差しはとても誠実だ。きっとダレンのメイクに対する情熱の表れでもある。
「ふふ」
思わず笑いそうになる。そうするとダレンは「だめ」と俺の目を見て優しく叱責した。
鏡に映る自分の顔。緊張のせいか顔色が悪かったけど、リップが塗られると途端に顔色が明るく見えてきた。
さっきまではなかった潤いすら感じる。
「わぁ……」
ダレンの確かな巧手によって、俺の唇はあっという間に繊細なきらめきを宿した。
つい見惚れてしまって、鏡の前で顔の角度を変えてきらきらの変化を眺める。
「元気出た?」
そんな俺の様子を静かに見守っていたダレンが微かに笑い声をこぼした。
「うん……! だって、お守りだもん」
鏡から目を離し、ダレンに向かって興奮を伝える。
自分でも不思議だ。
たったこれだけのことで、押し潰されそうだった不安が消滅した。
やっぱり、ダレンって魔法使いなんだ。
鏡をダレンに返し、俺はステージに出ていくピエロの背中を見送った。
さぁ、次は俺たちの番。
チアまでのつなぎなんて言わせない。どうせなら、盛り上げすぎてチアに怒られてしまおう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます