24 秘策
朝の署名運動は、わたしとダーシー、そして緑化サークルメンバー候補の数名と一緒に行った。ちらほらと署名をくれる生徒や先生もいたが、やはりなかなかに興味を示してもらうことは難しかった。
昼休みを迎え、襷をつけたリンエとジアも一緒になって声掛けを行う。すると面白いほど読みが当たり、朝と比べ三倍増しの反応を貰うことができた。リンエは特に大きな声を出す必要もなく、順調に署名を獲得していった。彼女の存在感は心強い。俺は尊敬にも似た念を彼女に送り、同じ思いのジアとハイタッチをした。
放課後のチャイムが鳴る。俺とジア、リンエの三人は、チャイムが鳴り響くと同時に席を立ち教室を出た。
ここからの時間はサークル活動をする者や勉強する者、そしてのびのびとした時間を楽しむ者など、たくさんの生徒が自由に動き出す。放課後こそが署名を大量に獲得するチャンスだ。
俺たちは一番上の階の端の教室へと向かった。途中、ジアは「どきどきする!」と興奮した様子で声を上げた。
教室の扉を開ければ、中にはすでに人がいる。
「ごめんっ。お待たせしちゃったかも……っ」
早歩きで来た俺が息を切らしながら軽く謝ると、椅子をセッティングしたダレンが「大丈夫」と答える。
「ジアとリンエ?」
「うん。よろしくね」
ダレンが二人を見て俺に確認を取るので、俺はこくりと頷いた。
「じゃあ私はジアのメイクを手伝うから。ハルはゾーイをお願いね」
リンエは二つ用意された机と椅子の片方へとジアを引っ張っていき、通りすがりにダレンにそう声を掛ける。
「ゾーイ。ここに座って」
二つの椅子は教室の中央部の端と端に置かれていて、ダレンは自分がいる方の椅子を指差す。
もう片方の椅子にジアがストンと座ったのを確認し、俺はダレンの前にある椅子に腰を掛けた。
「大丈夫?」
まだ息が切れている俺を見やり、ダレンが化粧用品を手に取りながら尋ねる。
「大丈夫! ダレン、ごめんね。時間をもらっちゃって……」
「いいから。俺が言いだしたようなもんだし」
俺の前髪をクリップで留めたダレンは軽やかに笑う。
「ありがとう。すごく頼もしい」
「そんなこと言われたのは初めてかも。どういたしまして」
鏡を通して見えるダレンの姿。前に特殊メイクをした時と同じで一つ一つの動きが丁寧だ。化粧用品を大事に扱っているのがよく分かる。細長い指先で下地の蓋を開ける仕草を切り取っただけでも、物音も少なく気品があった。
昨日の帰り道。ダレンが俺のメイクをすると申し出てくれた。
自分に出来ることはメイクだから、それで少しでも自信を持って欲しいとの意向だった。
俺がやけに落ち込んでいたのを見て気を遣ってくれたのだろう。
確かにダレンの腕はいいと思う。まだ一度しかやってもらったことはないし、変身した先は魔女だったけど。
根拠なんてない。が、確かにあの時、俺は自分のまま他の誰かに変われるような気がしたんだ。
彼の魔法のような技巧に魅了されていただけで、ただの錯覚かもしれない。それでも、ドキドキとした期待に満ち溢れた。あの感覚がまた味わえるのならばと、俺はダレンの提案を受け入れた。
ジアとリンエにも署名活動の時に少しでも目立つためにおめかしをする旨を伝えたら、彼女たちも一緒にメイクをすると同意してくれたのだ。
リンエは自分でもメイクをしているから既にスキルがある。だから慣れないジアにメイクを教えてくれることになった。鏡に見切れる二人の姿を見てみれば、真剣にリンエの話を聞いているジアがいた。
一方の俺は、ダレンの言葉に甘えてメイクは彼にお任せすることにした。
藤四郎時代には無縁だったこの未知の世界。初めから自らの手で施していくことはちょっと怖かったからだ。
それに、化粧をしたところでそこまで大きく変わることもない。
半分諦めにも似た感情を抱きながら俺は鏡の中の自分と向き合う。
前髪を上げて額が全開になっているせいか、顔がいつもより大きくて余計に惨めに見えた。この顔を華やかにしようなんて無理難題すぎないだろうか。ダレンに申し訳ない気持ちすら湧いてくる。
「ゾーイ。目に入ったら良くないから、少し閉じて」
指示されるままに瞼を閉じる。するとふわふわとした心地良いブラシが頬を叩く。少しくすぐったくて、眉間のあたりがムズムズした。
「もう大丈夫」
瞼を開けても鏡に映る姿は見慣れたゾーイの姿のまま。だが肌の発色が滑らかで明るくなっている気がした。
思わず頬を触る。ダレンは注意することもなくそんな俺のことを見守ってくれていた。
肌がサラサラとしている。ダレンが何をつけたのかは分からない。でも、気づけば口角が微かに持ち上がってきていた。
「続けてもいい?」
「あっ。うん。ごめん!」
両手を膝の上に下ろしてダレンの邪魔をしないように姿勢を正す。
「いいよ。このパウダー、肌にもいいからおすすめだよ」
ダレンは先ほど使ったパウダーが入った丸い瓶を掲げてそう教えてくれた。
「そうなんだね。化粧品って、いっぱいあるから悩んじゃうよね」
「うん。自分に合っている物と出会えたら最高だけどね」
「ふふ」
化粧品って奥が深いんだな。
これまで無関心だった神秘の扉が開かれた感覚で、どんどんと心が浮足立っていくような気がした。
「もし分からないことがあったら、少しくらいはアドバイスできるから言ってね」
「うん……っ!」
変な感じ。でも、やっぱり前に感じた時と同じくらい楽しい気分が巻き上がってくる。
次にダレンは目の周りのメイク作業へと入っていく。瞼を開けたり、閉じたり。鏡に映る自分を見る度に、徐々に雰囲気が変わっていくのが伝わってきた。
もしかしたら。
少しでも可愛くなれるのかな。
メイクの可能性って、思った以上に無限大だったりする?
ダレンの上品な技能のおかげか、俺は次第に夢心地になってそんなことを考える。
「はい。これで完成、かな」
最後に眉毛を整えたダレンは、瞼を閉じたままの俺に向かってそう告げた。
「終わり……?」
「うん。確認してみて」
この目を開けたら鏡にはメイク後の自分の姿が映るわけか。
やけに緊張する。思ったほど変化がなかったらどうしよう。目を開いた瞬間、自分にがっかりなんてしたくない。
心臓が強く動き出し、全身が太鼓になったように脈音が響く。
両手の指先を握りしめ、恐る恐る瞼を開けていく……と。
「well done!」
鏡に映る自分の姿を見て思わず驚嘆の声が出た。思ったよりも声が出てしまって恥ずかしい。なんか声が響いた気がするし。リンエとジアも俺の方を振り返ってきた。
「気に入ってくれた?」
「もちろん! すごい! 凄いよダレン……!」
両手で頬を包み込む。しかし化粧が落ちるのが勿体なくてすぐに手を離す。
目の前にいるのは確かにいつものゾーイ。だが、表情は明るく、頬も瞳もキラキラと輝いて見えた。そりゃミゼルやリンエと同じとはいかない。けれど愛嬌のある雰囲気はこれまでに見たどのゾーイよりも愛らしい印象を抱く。ぶさかわ猫であることに変わりない。なのに、まるで別人のように思えるんだ。特別な鎧を手に入れた勇者の気分ってこんな感じなのだろうか。
ダレンは喜ぶ俺の顔を鏡越しに覗き込む。
「うん。かわいい」
「どぅぇっ?」
不覚。どこから声出してんだ。
すぐ横にあるダレンの顔を見やると、彼はメイクの出来に満足そうに微笑んでいた。
近。近い。
間近で見る彼の斜め横を向いた表情。とても清々しくて誠実な眼差しをしている。
ぴょこんっと、胸の底が躍ったような気がした。
待て。
待て待て待て待て。
「ハル。ちょっとこっち来て」
「ん」
リンエに呼ばれたダレンはジアたちがいる方向に顔を向けてゆっくりと歩いていく。
彼の顔がようやく離れた俺は、頭が横を向いたまま固まっていた。
駄目だ。ときめく。
ポトンと落ちていく単純な胸の囁きに、俺はしばしの間逆らえずに困惑し続けていた。
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